第10話

 教室に入った瞬間、俺に向けられた形容しがたい強い感情の視線を察知する。


 ゆっくりとその方向を見てみると雲散するように視線は立ち消えた。


 誰かと思えば、その方向にいた花音が気付くと同時に微笑みを返してくれる。なるほど、視線はお嬢様のものだったらしい。


「おはよう。笹江……今、香崎さんに見られていなかったか?」

「ああ、あー? うん」


 席に着く前に小野塚に捕まり、気の抜けた返事をしてしまう。


 そういえば、こいつは花音のファンクラブ会員だから何となく席を離すように設定していたけど、俺の代わりに席を寄せるのもアリだろうか……いや、ないな。


「何だよ、じろじろ見て。もしや、髪ハネてるのか?」

「考え事していただけだから、気にすんな」


 やっぱり小野塚には俺と席を近くして会話相手になってもらおう。


 割とどうでもいいことを決めると、今度は小野塚の方が俺の顔をまじまじと見てくることに気付く。なんだ? 


「寝不足か?」

「その通りだよ。なんでわかっ……いや、言わなくてもわかった」

「そのクマ、一晩でできるものなんだな」


 みんなして言うけど、そこまで酷くないだろ。

 元の顔が白いせいか?

 もう少し夏に日焼けしておくんだったな。


「昨日は疲れていたんだが、ちょっと無理をしてかししてな」

「そういや昨日と言えばお前……体育サボっただろ? あれ、俺も何とか頑張ったんだけどよ。その……すまん、多分ばれた」

「え、なんでさ?」

「昨日の放課後、部活中に先生が笹江のことをわざとらしく心配してきてさ。探ってきている感じがしたから……疑っているんだと思うぜ」


 マジか。後になって掘り返すなんて、子供相手に随分大人げない……暇なのか?

 勘の鋭い小野塚の言う事だし、一応あの教師には注意しておこうか。


「ああ、顧問だったか。なんで体育教師がゲーム部の顧問やってるのかよくわからないけど」

「それ、運動部の顧問に立候補した先生が多すぎたかららしいぞ」

「……この学校、何か体育会系で有名な部活なんてあったけか」


 どこかの部が大会で優勝した話なんて、聞いた事がないけど。


「いんや? ああでも……どちらかと言えば、武道は有名か」

「ブドウ……葡萄?」

「寝不足で耳までおかしくなったか? 運動文化の方だっての」

「そっちか。確かにこの地域じゃ道場とか多いよな」


 武道か……俺にはなじみ深いもので、あまり触れ直したいとは思えないものだ。

 そんな心意を汲み取れる訳ないだろうけど、何かを察した小野塚は気を利かせて話を変えてくれる。


「かくいう俺も、ゲームの中じゃ武道の達人なんだ」

「武術を使うキャラのレベルが高いだけだろ……ゲームは決まったコマンドの技しか繰り出せないだろ。それじゃあ達人とは言えないと思う」

「いやいや、RPGじゃなくて最近流行っている格ゲーなんだ」

「同じだ……予め組まれたプログラム通りの動きをするだけ」


 小野寺が何を言いたいのか、さっぱりわからない。


「そう言うなって……実際の剣道のルールやテクニックが組み込まれているものがあってだな。これがリアリティ高いんだ。良ければ笹江もやらないか?」

「パス。てか、お前いつもゲームの話の時だけ早口になるのやめた方がいいぞ」

「俺はオタクであることに誇りを持っている!」


 決して大きくはないが、確かな意志を感じられる声色で小野塚はそう言った。

 俺も、よりによって剣道かよ……と呆れ半分に八つ当たってしまったな。


「……寝不足の俺には情報量が多すぎるみたいだ」


 目は覚めているが、頭が冴えない。


「はいはい。でも、もし興味持ったら、ゲーム部はいつでも笹江を歓迎するぞ!」

「ゲーム部に行ったら顧問の先生に探られるんだろ? 行かねーよ」

「ちくせう。言うてさぁ、不知火をいなせるお前なら何とかできるんじゃないのかよ」


 突然脈絡のない人物を話に絡めてきたが、言いたいことはわかる。


 不知火しらぬいじん……同じクラスの中でも特に顔が良い男子で、まあ人気がある男子と言えば間違いなく最初に出て来る名前だ。彼女をとっかえひっかえしているうわさはよく聞く。


 良く言えば行動力があってワイルド、悪く言えば素行が悪い……そんな印象がある。


「以前絡まれた時の話を言っているなら、不知火が一方的に絡んできて一方的に離れただけで……俺は何もしていないぞ」

「いや、むしろ笹江が不知火に絡んでいたように見えたけどな」


 どちらの認識でも合っているのだが、客観的にはそうなのだろう。

 以前、本格的にとして、お嬢様へと関わることが一度だけあった。


 この地域でしおみねそらの名前は有名だったから……興味本位なのかモテ男はプライドなのか、ともかく不知火はお嬢様に近づこうとしていたのだ。


 不知火はコミュニケーション能力高いし容姿も良いけど、しつこくてお嬢様のしゃくさわったらしい……お嬢様が裏で花音に愚痴った事を報告として受け、俺は雑用係として動いた。


 結果、普段の性格に似合わず積極的に話しかけ何度も邪魔をする羽目になったのだ。


「別にどちらでも良いけど、単純にあいつが気に食わなかっただけだよ」

「顔がいいから?」

「まあ、そんな感じ」


 俺にとっては、もう終わった話だ……いつの間にか不知火からお嬢様へ近づかなくなり、事態は終息した。


 皮肉にも俺の介入が遅れた時に、お嬢様が不知火を諦めさせたらしい。


 真実は知らないが、お嬢様と呼ぶにはある意味で浮世離れした性格だし、強気な言動で追い返して不知火に幻滅されたのかもしれない。


 気付けば俺の出番も自然となくなり、興味さえ失ってしまった。


「……なーんか、理由が安直じゃね? まあ俺もあんまり好かないけどさ」

「やめようぜ。他人の陰口なんて朝から眠くなる」

「そうじゃなくても、笹江は眠そうだけどな」

「授業中は寝ないからいいんだよ」

「真面目ちゃんかよ! 見習うべき向学心だと思うぜ」


 こうして見事、小野塚の部活勧誘をかわした俺は席に着いた。


 振り返ってみれば……俺がお嬢様と席が近かったことで、ひんぱんに邪魔する事が出来たんだと思う。あの件で不知火の席も離れるように小細工したしな。


 ……本格的に俺も使命を果たす頃合いなのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る