第9話

 仕方ないので夕飯の出来事をかいつまんで話すと、今度は自信満々な顔をしだした。


「そんな事が……。でも、このままだとお野菜嫌いな大人になってしまいます」

「いやいや、まだトラウマにはなっていないから」

「なので、矯正の意味も込めて食べましょう!」

「話を聞いて……」


 嬉しくないあらりょう。俺はこんなに食べたくないと身振り手振りしているのにまったく伝わっている様子が無い。そんな時、トレーの端に置かれていた三種類の何かに気付く。


「これは何だ? ドレッシングのバラエティパック?」

「はい。以前、秀吏くんと那由多ちゃんがケンカしていたので、私なりに色々試してみればいいんじゃないかなぁ……と思いまして」

「ほうほう」


 そういうものもあるのか。初めて知った。


「一先ずこの三種類を試してください。味比べというやつです」


 どうやら、俺は是が非でも食べなければいけないらしい。


 でも、さっきから食欲がいたことを思い出して、実際に食べると夕飯ほど不快な気分にはならなかった。ドレッシング……複数あってもいいかもな。


「そういえば、那由多がお嬢様の件とは別件の話があるから、花音から聞いてくれと言われたんだけど、心当たりあるか?」

「はい……そうですね。一応、今お邪魔しているのは、そっちが本題だったりします。あっ……もちろん、秀吏くんが勉強がんれるようにという応援の意味も含んでいますよ!」


 花音は応援の気持ちを仕草でも示してくれる。可愛い。


「そこは疑っていないよ。急いでいたら、もっと慌てそうだもんな……主に那由多が」

「ふふっ、そうかもしれませんね。話は……率直に言うと席替えの件です。毎度、秀吏くんが何とかしてくれて……手間をかけさせます」


 それか。うちのクラスは毎度ランダムで配置されているから、いつも通りハッキングしてソフトから一部生徒の配置を近づけるように設定し直していた。


 数回ソフトを起動されたりしてばれる可能性があるので、ある程度近くなるようにアルゴリズムを組んだりといった工作をしている。職員たちが使っている学校指定のソフトにぜいじゃく性があって良かった……良くはないか。


「お嬢様の件はてっきり花音が何とかしてくれているって聞いたけど、もしかして席替えについて条件でも出された?」

「はい、その通りなんです」


 このタイミングで席替えの話が出たんだ。

 予想くらいついてはいたが――。


「具体的な条件は?」

「お嬢様が私に、秀吏くんを自分の席から離れた場所にしてほしいと。すみません、勝手に飲んでしまって……」

「別にいいって。むしろ良かった。ずるずると話を引き摺るよりも、上手く解決したとお嬢様に思わせた方がいい」


 席替えの工作くらい朝飯前だ。ハッキングについては、きちんと許可を取っているしな。担任教師の許可などではなく教頭及び校長等相手に達郎……俺達の上司が便宜を図ってくれている。


「今日は……私のミスでご迷惑をお掛けしました。私がお弁当忘れてしまって――」

「謝らなくていい。今日みたいなフォローこそ、俺の仕事なんだから気にするな」

「秀吏くんがそう言うならそうします。ところで……お嬢様に襲われた後、帰らなかったんですね」

 ん……? まあ逃げ切ったしな。


「俺が普通にサボると思っていたのか?」

「あっ……その、ごめんなさい」


 余計なことを言ったと謝ってくる花音。

 まあ実際はサボろうとしていたしな、当たってる。


「ああ、いや責めているんじゃないから。実際、その通りに帰ろうとしていたからな。那由多に引き留められて学校に残ったんだ……って、叩くなよ」


 謝り損に感じたのか、花音は無言で俺の背中にぽこぽこと軽いパンチを繰り出した。

 お嬢様もこれくらい手加減してくれればよかったのに、伝家の宝刀(物理)出してくるから、当然サボりたくもなってくる……俺だって木刀付きつけられたら怖い。


「そういやお嬢様と裏工作の会話する時は、先生にバレないようにしてくれよ? 担任は何も知らないんだから。いもづる式に俺まで辿り着かれる可能性もゼロじゃない。ないとは思うが」

「あ、今のフラグってやつですよね。お嬢様がよく那由多ちゃんにそういうツッコミを入れています」

「……そうなんだ」


 花音の言葉に頷くも、極々低い確率の話に念を押しているだけだから、残念ながらフラグにはならない。断言していい。


 俺は意識的な話をしているんだが……そういや花音も疲れているのか。


「まっ、もしバレそうになっても、達郎の名前を出せば何とかなるしな」

「むぅ……それだと秀吏くんの仕事がなくなっちゃっている気がします」

「……実際、那由多が加わってから俺の存在価値とかよくわからなくなっているよ」


 まあ雑用係なので、小さな仕事は無限にあるが。


「もー、不吉なことを言わないでください。秀吏くんがいなくなると、寂しいです」

「そこは嘘でも仕事が回らなくて困るとか言ってほしかった。いや、気持ちの問題で言えばそう思ってもらえている方がいいのか」


 一緒に生活して支え合う関係の中で、それが笹江秀吏でなければいけない理由があると考えれば、悪くない。そういうのは、那由多が言われた方が嬉しそうだけどな。


「えっと、話がれてしまいましたが、席替えの件は――」

「問題ない。任せておけ……以前同じことしたし、今回は丁度良い」

「そうだったんですね」


 できないなら最初からできないって言っている。

 花音のために多少の苦労は、わけないさ。


「元々偶然にしてはお嬢様の周りに固まり過ぎだったし、今までが過剰な態勢だったんだ」

「確かに……前まで秀吏くん、とても警戒していましたもんね」

「ああ。あっ、食べ終わった。サラダごそうでした……美味しかった」


 話していたら食べ切っていた。絶対に食べ切れないと思っていたのに、不思議だ。

 事務的な連絡ではあるが、何よりも好きな人とこうして喋ることができて気分が良かったのかもしれない。


「席替えの件はまだ日にちに余裕があるので、また変更があれば、急ぎでお伝えします」

「了解。お嬢様は一度決めた決断を花音の頼み事でもない限り変えないと思うけどな」

「お嬢様だけの問題じゃないですよ。まあ変更する場合のお話なので、深く考えなくて大丈夫です。では、私ももう寝る時間なので……これはお下げしますね」


 そう言うとトレーを取り上げてくる花音。


「こっちこそ助かるよ。そうだ、いい機会だから花音にも頼みたいことがあるんだ」

「なんでしょう?」

「お嬢様に言い聞かせてほしいことがあるんだ」

「それは……」


 お嬢様に言い聞かせるなんて難しい……そんな気持ちがわかりやすく花音の表情に見え始めた。でも、花音の言葉なら伝わる筈だと俺は思っている。


「威嚇するために木刀を見せつけることは良いとして、絶対にそれを攻撃手段に使ってはいけない……ってな。やんわりとでも伝えておいてくれ」


 言い聞かせたい事に、深い意図はない。ただ俺の中に残っている武士道精神か何かなのかもしれないな。


 いや、なんだかんだ言って俺自身のためか……またお嬢様に木刀を向けられた時、話し合いができるように。蒔ける種はいち早く……俺なりの流儀だ。


「わかりました……任せてください! 私にしかできない仕事ですからね。それでは秀吏くん、夜更かしは厳禁ですよ?」

「ああ、程々やって寝るよ。今日は体力を使ったからな。おやすみ」

「おやすみなさい」


 花音はお弁当を作るために、明日も早起きをしなければならない。

 急ぐことでもないのに、態々夜食を持ってきてくれたんだから……俺もできるだけ頑張りたいといけない。心に灯を取り戻し、根気強く勉学へ挑んだ。




 ――そして翌日の朝。

 洗面所で鏡を見ると、薄っすら目の下にクマができていることに気付く……見なかったことにしよう。

 朝食。少し味はいが美味しく感じる。


(ん? あれ……何か忘れかけているような)


 そんな何かわからない違和感を抱き考えていると、突然「ああっ!」と驚きの声。


「どうした那由多……俺は今日黙って食事を楽しんでいるけど、今日も何かあるのか?」

「いや、違……って、秀吏……目の下にクマができているけど大丈夫なの?」

「ヘーキヘーキ」


 最低限は寝たからな。


「いつも通りの平静を装っているのはすごいけど、顔に出てるから。そうじゃなくて、そんな事はどうでも良くて!」

「煩いぞー」

「ああもう……花音、野菜どうしたの? 大量になかった?」

「野菜? 冷蔵庫にあったのでしたら、昨日の夜食として、私と秀吏くんで食べて、残りは弁当に入れました」


 ああ、そういえば、朝ご飯で花音が使うドレッシングを次回選ぶという勝負があったんだ。

 なのに、サラダが無ければ勝負は元も子もない訳で。


 マジか……昨日冷蔵庫に入っていた野菜食べ切ったのか。引くわー。


「あっちゃー、ナイスと言えばナイスなんだけど。まあちょっと、うーん、まあいっか……っていうか、秀吏はよく食べられたね」

「まあ、な。花音が気を利かせてくれたから、助かったんだ。今回は花音の一人勝ちだよ」


 すると伸び伸びと腕を伸ばしながら、呆れる那由多。


「そうね。何があったのか後で訊くとして、朝ご飯に野菜が出てこなくて安心した。花音の大勝利みたいね」


 なんだか朝から今日が幸運な日に思えてきた。


「何のことかわかりませんが、二人が喜んでくれて良かったです。でも……秀吏くんは夜更かししましたね? 一週間は夜更かし禁止です」


 残念ながら、幸運な一日は起きてから一時間も経たずに終わってしまったらしい。

 花音は特に怒った表情を見せないが、単純に俺の身体を心配しての制限だろう。


 ううっ、その優しさがわかってしまうから従わざるを得ないよ……でも八つ当たりしよう。


「那由多が余計なこと言わなければバレなかったのになぁ」

「ええっ、何その難癖……朝からうるさくない時点で八つ当たりだってバレバレだけど?」


 なんでだよ。

 これでも充分うるさくしているつもりなんだけど。


「……そういう那由多は今日うるさい癖に」

「早起きしたからね。それに、あたしは秀吏みたいに無駄話しないから」

「何だと……?」


 那由多って早起きできたのか……!?


「はいはい、二人とも喧嘩していないで、早く食べてください。学校遅れますよ?」

「はぁい」


 花音が仲裁してくれて、那由多が気の抜けた反応をする。


 あっ、こいつ早く起きすぎて実は睡眠時間短いな? 今、軽くあくが出そうになっていた。


 しかし花音の目線が俺に向けられていることに気付いて、煽ろうとした口をつぐむ。

 今日は、俺じゃなくて那由多にとって幸運な日みたいだ。

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