第8話

 しかし、その後事件はとつじょとして起こった。


「…………草」


 ドレッシングの一件があったからか知らないけど、今日の夕飯としてテーブルに並べられたのは米とサラダ、そしてサラダ、さらにサラダ、最後に味噌汁。うん……草ばっかりだ。


 夕飯は特に当番が決められている訳ではない。いつも押し付け合いの形になっていたところ、今日は那由多が自分から作ると言ったので任せたが――。


「どうしてこうなった。俺、ベジタリアンじゃないんだけど? そりゃ、お互い緑色の野菜を中心に買ってきたとはいえ、肉もあっただろ。あったよな?」

「朝も言ったけど、食事中にうるさい。健康的でいいじゃない。胃に優しい」


 優しいか……? そうじゃなくて、明らかに俺が買ってきた食材はポトフを作るためのものだったんだよ。サラダよりポトフの方が胃にも優しいだろ!


 何か味付けされている訳でもなく、テーブルの中央にドレッシングが並べられている。

 那由多は料理が下手な訳でもない。つまり、に出されている。


「やっぱり、味気なくないか?」


 それでも俺はムシャムシャと虫になった気分でサラダを食べている。


「へー、あれだけフレンチドレッシングを推していたのに、やっぱり味気ないって、和風ドレッシング使う? ごめんなさいって言えるなら、使っていいけど?」


 そう言って俺が謝るわけないだろ。


「最早ドレッシングの問題を通り越しているって……せめて、ハムとかあるだろ」

「トマトの甘さを嚙み締めればいいじゃない。含有成分のGABAが血圧を下げてくれるかも」

「頭に血が上っている訳じゃないからな?」


 というかトマトでリコピン以外の含有成分げる奴初めて見た。


 その後、言われた通り黙って食べることにしたが、那由多へ目を向けるとつまらなそうな顔をしていることに気付く。


 呆れながら立ち上がり冷蔵庫へと向かうと、ベーコンを取り出す。ドレッシングについて負けを認めた訳じゃない……流石に合わせて食べられる塩分が欲しかった。


「ほらよ。那由多の分」

「しょっぱいもの食べたいと思わない訳でもないけど……ありがとう」


 やはり味気ないと思っていたのだろう。悔しそうな顔をこたえて皿を受け取っていた。

 滅茶苦茶わかりやすく表情に出ているのだが、気付いていないのかな。


 何はともあれ、出されたサラダは全て無事食べ終わった。もう草は勘弁。

 食器をコンベア式食洗器の前にあったラックに置くと那由多に呼び止められる。


「部屋戻る前に、ちょっといい?」

「ん、どうした?」

「いやー、その……昼間の件について、話し忘れたことが……ね」

「ああ」

「昼間の件だけど、秀吏は花音のストーカー扱いされていた」


 ストーカーか……間違ってない。そんなことはお嬢様から逃げる際にそう呼ばれたから知っているが。


「だろうな。本来なら、教師に呼び出される案件だが、その点お嬢様だけは問題を起こす訳にはいかないから助かったな」

「それもあるでしょうけど。ほら、秀吏って花音のファンクラブ?」

「ああ、うん。あるけど……それが?」


 話が繋がらない。


「みたいなものでリーダーやっているんでしょ? それで納得したみたい」


 ……なるほど。


「みたいなじゃなくて、ちゃんとしたファンクラブなんだけどな……まあお嬢様に襲われなくなったなら何でもいい」


 そこだけ懸念していた。


「……そうね。あたしからは以上。他は花音から聞いて。もうお風呂入りたい」

「他? なんかあったのか?」

「まあね。お嬢様は納得したって言っていたけど、あの性格だから……」


 なんか引っ掛かりのある言い方だ。那由多にとって関わりたくないことなんだろうか。


「わかった。あとで花音に聞くとするよ」

「うん……そうして」


 那由多の反応はわかりやすかったけど、何故か寂しそうな顔を見せられ、その胸中はよくわからなかった。




 ***




 裏屋敷では、親もいないし就寝時刻なんてものは定められていない。


 風呂から上がった俺は就寝前、眠気が近づくまでの暇つぶしに机に向かってペンを走らせている。今日はエキセントリックな出来事が多かったせいか、どうも体に気怠さを感じる。


 喉や鼻に症状を感じないので、風邪じゃなさそう。本当に疲れただけなのだろう。


「まったく、俺達はお嬢様のために働いているというのに、ままならないな」


 今日の苦労の半分は、元を辿たどればお嬢様に勘違いされたせいだ。とはいえ、自らが使える相手にふんがいしていては仕事にならない。他責思考は止めよう。


 お嬢様の為に動くのは俺にとって仕事であり……義務、或いは使命なのだから。


 冷静になろうとしたら、食欲がく。そんな時、扉から数回のノックが聞こえた。


 部屋の光が漏れているだろうから、花音が気を遣って来てくれたのだろう。

 顔は見えず相手を判断できたのは、礼儀知らずの那由多がノックをする訳ないからだ。


 数秒して、扉の向こうから何故か小さく花音の声が聞こえた。


「秀吏くん?」

「ああ、起きているよ……ライト点けっぱなしで寝ちゃいない」

「すみません。開けてくれますか?」


 言われた通り扉を開けると、トレーを両手に持った花音がいた。

 その姿を見て色々と察しながらも、まずはトレーを受け取って中へと入れる。


「両手が塞がるくらいなら、先に連絡してくれればよかったじゃないか」

「連絡入れましたけど、返事がなかったので……心配したんですよ?」


 トレーをデスクとは別のテーブルへ置き、ベッドに転がっていたスマホを確認しようとするとブラックアウトしたまま反応が無かった。


「あー……すまん。電源切れていたようだ」


 残りバッテリーが少ないことを知っていながら、迂闊にも勉強に集中しようとして手放して忘れていた。よくある事だ……那由多は真面目にも責任を感じ過ぎだと改めて思った。


 すると、花音は珍しくムスッとした顔を見せる。


「も~! うっかりするほど疲れているなら、早く寝た方がいいんですからね」

「その通りだ」


 言い訳の余地がない。こうして態々心配かけてしまったしな。


「ところで、那由多はもう寝たのか?」

「いいえ、さっき寝ようとして顔を合わせたので、まだ起きているかもしれません」


 那由多こそ早く寝るべきだろうに……何やっているんだ。


「それにしても秀吏くん、私達の就寝時刻を確認するのはルール違反じゃないんですか? 間違っても押し掛けちゃダメですよ。女の子は眠い時、なんですから」


 そんな事は流石に理解している。だからこそ寝込みを襲わない等のルールを決めた。


「無防備になった時に揺さぶられると、本音を隠せなくなってしまうんですからね」


 そんな知識、俺には要らないと思うんだけど……何の意味があるんだろう。

 気にしても仕方ないと考え、切り替える事にする。


「へぇ、女の子と一括りにしているけど花音も無防備になるのか? 見てみたいな」

「故意でやられたら、怒ります」

「もう怒っていそうに見える。不貞腐れている顔が隠しきれていないぞ……本音か?」


 不貞腐れている顔も、やっぱり可愛いな。


「……も~、からわないでください! 那由多ちゃんほどわかりやすくはないと思っていたんですけど。本当ですね……私は今怒っています。次はこの倍は怒ります」


 花音は自分のっぺたをむにむにっと、手でほぐしていた。

 ふむ、とても柔らかそうだけど、頼んだら触らせてくれるかな?


 やめよう……冗談じゃなく怒られたくはない。どうやら脳まで疲れてきたらしい。


「あんまり怒ってなさそうだけど、具体的に怒ったらどうなるんだ?」

「一週間くらい清掃員にボーナス休暇を与えて、秀吏くんに押し付ける権限を私は持ち合わせています」


 うわぁ、シャレにならない。


「なんだよ……今そんなに怒っているなら、もっと怒った顔を見せてくれていいんだぞ」

「冗談に決まっているじゃないですか。ぷくー」

「最後のぷくーがなければ信じたんだけど……そういうのって逆に怖いよ?」


 もちろん、純粋な花音のことだから冗談で済ませてくれると思っているけど、急に日頃しない奇行をされると、困惑してしまう。まあ可愛いんだけどさ。


「そうなんですね。那由多ちゃんは大笑いしていたのに、残念です」

「いや、多分だけど……それ那由多に吹き込まれたんだろ?」


 指摘すると、ふふんと満足そうな顔になる花音。


「よくわかりましたね。エスパーですか?」

「誰かに吹き込まれたのはすぐにわかったよ。お嬢様は言いそうにないから消去法で那由多」

「なるほど。秀吏くん聡いですね。那由多ちゃん曰く私は愛想がとぼしいみたいなので、こういうのが良いらしいです。機嫌の良い顔に見えませんか?」

「誤解を生むから、俺以外にはしない方がいいと思うよ。それでこれは?」


 さり気なく花音の可愛い行動を独占するように言い聞かせながら、テーブルに置いたトレーに目をやる。そこには野菜が積まれていた。なぜかなオーラが見える。


 今まで会話で逸らしていたのは、これが夢だと思いたかったからだ。


「サラダです。冷蔵庫にあったので、夜食用かと思って刻みました。結構余っていたので那由多ちゃんにも渡そうとしたんですけど、断られてしまったので大量です」


 とっても笑顔な花音。俺、サラダ好きだなんて言ったことなかったろ……。

 俺がここから逃げられる可能性は残っているのだろうか……今度からはきちんとスマホの充電を入れておかなければならないと肝に銘じた。


「あっ……以前、俺が夜食はサラダに限るって言ったからか? 憶えてくれててありがとう花音。でもごめん、今は気分じゃないっていうか……あのそのえっと」


 どう言えば、花音が気を遣わないでくれるだろうか。難しいな。


「どうしたんですか? 秀吏くんも遠い目をして」

「うっ、そのだな……野菜がトラウマになりそうだ」

「な、何があったんですか!?」


 頭を抱えて、俺はこの苦しみをうったえた。

 そうするしかないだろう。今は何よりこの緑の食物に恐怖を感じていたのだから。

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