第7話

 裏屋敷へと帰り、スーパーで買ってきた食材やら諸々を冷蔵庫へと運ぶ。


 お嬢様に関しては、昼休みの終わりギリギリになって教室へ戻ったところ、花音が那由多と共にさとしてくれたらしい。


 お陰様で午後の授業を無事受けることができた。斜め後ろからの視線は怖かったけど。


「……俺は塾に行く余裕ないし、学校の授業は贅沢なんだよな」


 使用人の中でも俺は他の二人と役割が大きく違う。役割としてはという名が付いているものの、肉体労働の仕事としては衣食住がそろっている夢のような待遇の良い仕事だ。


 贅沢なことに生活費のはんちゅうであれば好きな食材を買う事だってできる。


 以前から何も考えず買い物をしているもんだから、たまに那由多から色々言われるような事もあった。お小言を頂いてしまうのは、仕方ないが。


 買ってきたものを一通り冷蔵庫へと仕舞いこんだところで、リビングの扉が開く音を聴いて振り返る。


「帰りが遅いと思ったが、お嬢様の付き添いか? ……って、それ何だ?」


 そこには、重たそうな袋を持った那由多の姿があった。


「見ての通り、食材とか買ってきたけど……あれ、どうしたの?」

「えっと、その……俺も買ってきたんだけど」


 あれだ……俺が自分の判断で食材を買ったように、那由多も買ってきてしまったという事だろう。連絡は入れておいた筈なんだけど、この様子だと確認していないな。


「はあ? なんで連絡入れない訳……ってそうだ、スマホの電源切れていたんだった」

「……ふむ」

「いや、ふむ……じゃなくてさぁ。はい、ごめんなさいね、あたしが悪ぅございました!」


 投げやりで、気持ちの篭っていない一方的な謝罪。俺も既読が付いてないことに気付くべきだったしお互い様なのだが……帰って早々くされて、疲れているのかな。


「別に謝らなくていいよ。ただのすれ違いなんだし、一々騒ぎ立てることじゃない」

「あたしが短気だって言いたいの? ムカつくんだけど」


 一言もそんなこと言ってないだろ……。

 学校でもこの程度の事で怒っているなら、そりゃ友達作れないだろう……と冷静に分析してみたが、さかなでするのは得策じゃない。


「どうして俺があおったように受け取るんだよ」

「だって、凄く面倒くさそうな顔してるもん」


 そりゃそうだし。


「あのな。那由多だって神経質になることじゃないってわかってるだろ?」

「そりゃ、そうだけどさぁ……じゃあ、あたしも悪くないってことでいいね?」


 今度は開き直って強気な主張をしてきた。スマホの電源が切れていたのは明らかに那由多のなんだけどな。


 でも態々重そうに食材を買ってきてくれたのに、責め立てることはできない。


「いいよ。ほら、袋重いだろ。仕舞うよ」

「……ありがと」


 小さいが聞こえる感謝の言葉。彼女の感情のは難しい。

 袋をテーブルに置いて中身を確認すると、重さから予想はしていたが最初に目に入るものがあった。


「ん? 米買ってきたのか……そりゃ重いだろ。俺は買ってなかったから良かったけど、米は自分で買わなくてもいい」


 というか、米が一番上に置いてあると下敷きになっている食材が痛む。


「馬鹿にしないで。幾らあたしが女子だからって、それなりに力くらいあるんだけど? ……そうじゃなきゃ、護衛係として雇われてないし」


 そういう話をしているんじゃなくてさ――。


「お前、ここまでそれ持って歩いてきたんだろ? 俺が言ったスーパーで見かけなかったし、表屋敷近くの方に行ったんじゃないのか?」

「うん。お嬢様と表屋敷の前で別れてから……距離は近いよ」


 それがどうしたって顔だ。


「道のりだと大通りの交差点を通らないといけないから、結構歩くだろ。今度からは俺が買うから言ってくれ」

「学校の帰りとかは厳しいかもしれないけど、休日に自転車使えば大丈夫だから」


 頑固者め。もしや俺が気を遣っているようにでも思えたのか?


 キリがないし、ここはじょうし合うのがなんだろう。まったく、今日はお嬢様を説得してくれた恩もあるから、那由多に対して強く出にくいのにな。


「じゃあ、平日にどうしても重い物買う時だけでいい。『約束ノート』持ってきてくれ」

「わかった」


 那由多にとある物を取りに行かせ、俺は急いで冷蔵庫に仕舞おうと袋の中身を取り出していくと、気になるものがあった。


 目に付いたのは、ただの何の特徴もないドレッシング。しかし、人には拘りというものがある。俺はフレンチ派なのに、和風のものを買ってきやがった。


「はい、持ってきた……ってどうしたの? あー……今回もまた和風ってことで」


 ノートを持ってきた那由多が、俺が机に置いたものを見て、得意げにつぶやいた。


「言っておくが、先に冷蔵庫へと入れたフレンチの方が優先だからな」

「え、秀吏も買ってきたんだ。でも先に入れたって何? そんな決まりないでしょ」


 そう、そんな決まりはない。まだ……そんな決まりは俺達の中で定められていない。


 尤も、今回のような出来事は例外的と呼べるかもしれないが、裏屋敷で起こる俺達のトラブルについては、様々なルールがある。


「そうだな。だけど、今回もまた和風とも決まっていないからな?」

「そうね……というか早く冷蔵庫に仕舞ってくれない? 口より手を動かして!」


 減らず口に対しへいへいと従う。取りえずあるものを全て仕舞い込んだ。


「なあ、俺は常々思うんだけどさ……そのにごった液体の何処が良いんだよ」


 和風ドレッシングを手に取った時、小声で呟いてしまった。


「はあ? フレンチこそ、ただのオイルじゃないの!」


 声うるさいのはさておき、それよりも聞き捨てならないことがある。


 今のは全国のフレンチドレッシング愛好家に喧嘩を売る言葉だぞ。

 確かに俺が呟いたことはぼうとくに捉えられるかもしれない……けど事実だ。


「わかってないなぁ。フレンチは微細に成分が抽出されている洗練されたドレッシングなんだよ。適当に野菜選んでミキサーにかけたような和風の何処がいいのか、まったくわからない」


 そも、オイルって言い方が気に食わない。フレンチドレッシングにも色々あるのだし、一つを差して括りを語られても困るのだ。


 まあ俺が好むのは透明なものだから、共通認識として間違ってはいないけど。


「ちゃんとバランス考えられて作られているに決まっているでしょ? 工程だって知らない癖に適当なこと言わないで。大体、こっちの方が一般的!」

「そうは言うが、フレンチの方が若干値段安いじゃないか」

「そんな変わらないでしょ」


 えぇ……?


「おいおい、お得意のケチ臭い口癖はどうした? 安い方が良いに決まっているんじゃなかったか? 都合の悪い時はしないのか?」

「それはけんやくだから! 何でもかんでも安いもの選んだら食事が楽しくないし、健康にも悪いでしょ」


 あー言えばこう言う。


「例えば、糖分が無いからって甘味料まみれのゼロカロリージュースをごくごく飲まないでしょ。それと同じ」


 それ、俺が以前教室で小野塚に注意していた言葉じゃないか……聞かれていたのか。


「話をずらすな。俺は食事が楽しくなるフレンチを選んだ。シンプルで目にも悪くない」

「はあ? 和風が目に悪いって言いたいの? 変なこだわり気持ち悪い」

「どうしてフレンチドレッシングの長所をげただけで当てつけのように受け取るんだよ。何か俺に恨みでもあるのか?」


 心当たりがあり過ぎて、まるで見当がつかない。


「秀吏が適当なみりんを選んで買ってきたこと、今でも根に持っているんだけど」

「ああ、あれか……その時謝って終わった話だったろ」


 みりんの件だったかー。以前、未成年じゃ買えないから通販で取り寄せているなんて知らなくて、代わりに風味調味料を買ったら理不尽に怒られた……何故か、那由多のこだわりのために。


「まあ買ってきてしまったものは仕方ない。そういう事なら、和風の方は那由多一人で使えばいい。俺と花音はフレンチの方を使うとするさ」

「はぁ? そこは花音が使いたい方を選ばせてあげなさいよ!」


 一々聞いても、花音を困らせるだけだろ。


「俺は花音の好みもこっちだと思ったから、そう言っただけで他意はないんだが……じゃあこうしよう。明日の朝ご飯、花音が選んだ方を次回定番のドレッシングにしよう」


 ハードネゴで、らちが明かないので、打開策をぶん投げてみた。


「あーそれ良いね、提案飲んだ。絶対、ぜ~ったい花音は和風を選ぶから。秀吏の自信の在り処を知りたいくらい」

「はっ、むしろ俺の台詞だな。そういえば那由多……昼間は、めそめそしていたっけ?」

「してないでしょ! 曲解しないで!」


 いやしていただろ。


「はいはい、自信があるのは那由多も同じじゃないか。絶対に和風を選ぶと思うんだろ? 立派な自信だろ……そういう感覚が、友達関係でもあればいいんじゃないか」

「……何よ、急に話を変えて」

「俺は憶測を述べているだけなんだけどな……気にさわったのか?」

「わかった気にならないで。ムカつく! もう何でもいいから、はい! これ書いて」


 そう言って差し出されたのは、那由多が持ってきた『約束ノート』だった。一緒に渡された油性のボールペンで、俺は丁寧にルールをつづる。


『那由多は、危なそうな場所で着替えることをしないと約束する』


 今確認したら、もう半分以上のページが既に埋まっていた。沢山ルールが増えたもんだ。

 例えば、各自の寝込みを襲わない……とか、いくつか書き込まれている。


 俺がノートを返すと、那由多は一文を記述してからもう一度俺に渡してくる。


『那由多と秀吏は、花音が明日の朝使ったドレッシングを次回の定番に選ぶ』


 こちらを書く意味はあまりないが、俺と那由多のプライドを賭けた勝負だから、一応書き込んだ。このノートに書いたという事は、絶対の自信があることに他ならない。

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