第2話
満月だった。
浩々とした光が、余すことなく地上を照らす。
雲一つない、快晴の夜。
月の光は、陽の光よりは優しい。
そんな気がするのは、どうしてなのだろう。
月の光は、暴くことは、しないような気がする。
から、だろうか。
翌朝、二人は宿を出た。
野原に立つと、シシルは大きく伸びをした。朔も真似して大きく息を吸い込むと、草の匂いが胸いっぱいに広がった。
草の匂いなんて、いつぶりだろうと思う。公園にしか緑がない都会で、仕事と家の往復しかしていないことに気づく。休みもあってないようなもので、やっと取れた休みも家のことで終わってしまう。
まるで、気分転換に別荘にでも来てるみたいだと、朔は思った。。
「気分転換はどうだ?」
ふっと、朔の頭の中に魔王の言葉が浮かんだ。
これでは本当に気分転換のためだけに来たと勘違いしそうだ。改めて、自分はいったい何のためにここにいるのだろうと思った。
「で?朔はどうする?」
タイミングの良すぎるシシルの質問に、朔は少なからず動揺した。
「どう、って……」
正直、魔王退治なんて言われても、ピンとこない。
そもそも今まで、自分はもとより、この世界の人が魔王なるものの被害にあったのを見たことがない。少なくとも宿屋があった町は正常に機能していて、普通の街に見えた。魔王が本当にいるのかどうかすら怪しい。
「あのさ、実際、魔王ってどんな被害をこの世界に及ぼしてるの?退治するって思う人がいるってことは、それなりに魔王に居てもらっては困る理由があると思うんだけど。例えば、魔王が来てからモンスターが現れたとか、町が襲われたとか、法外な税金を収めさせられて人々が苦しんでるとか」
朔の発言にシシルはことごとく首を横に振った。
「正直、魔王もモンスターもどれくらい前からいるんだかわからないんだよな。俺のじいさんのじいさんのじいさんのじいさんのころからずっといるらしいから」
そう言ってシシルはひいふうと指折り先祖の数を数えた。そして、朔の方を向いて無駄に明るい笑顔を見せた。
「もういるのが当たり前になってるっていうか、もう、モンスターの毛皮とかで作った品物も普通に流通してるし、一部の地域にしか出没しないやつの素材で作ったやつなんて、プレミアがついて高値で取引されてモンスター自体が絶滅しかけて、愛護団体が保護を呼び掛けたりしてるっていうぜ?」
「愛護団体?」
「モンスターとの付き合いも長いから、そういう連中も出てくるんだよ」
それじゃほとんど普通の動物と変わらないじゃないかと朔は思った。疑いの目を向けるとシシルは慌てた様子で懸命に何かを思い出していた。
「あ、町が襲われたってことはないこともないけど」
「そうなんだ。じゃあそれが魔王退治の風潮の原因なんだね」
朔が納得しかけると、シシルはバツが悪そうな顔を見せた。
「でも、それに対して町もそれぞれ独自に体策してるし、最近はそれ用に強化もされてるから自然災害の方が怖いってこともあるぜ?壊滅したって話はきかない……なぁ」
イナゴが大量発生するとかそういうレベルなんだろうかと朔は思った。退治にわざわざ向かう理由としては少し弱い気がした。その気持ちにシシルが申し訳なさそうに追い打ちをかける。
「……金とか女とか生贄とか出せって言われたってことも、聞いたことない……」
「ああ、そう……」
ここまでくると、どうして魔王退治なんてことになるのかわからなくなってくる。
「シシルは腕試し、なんだっけ?」
そう訊かれて、シシルはぱっと明るい顔になった。それもどうかと思いながら朔は話を聞く。
「そ、強いって聞くからさぁ」
「ふうん」
しかし、退治する、しないにかかわらず自分がここに来たカギになるのは魔王なのだ。
「とりあえず……魔王のところに行ってみたい、かな」
「倒すんじゃなくて?」
「そもそもそんな力ないよ。運動苦手なんだ」
「運動苦手なのに、剣士?」
「だから、僕が望んでこんな格好してるんじゃないってば」
サクは出発してからずっと鎧姿だった。
不思議なことに、宿でその鎧を脱ぐと、それは小さな水晶玉に姿を変えた。そして、朔の意思でまた鎧として着ることが可能だった。慣れてくると着脱は一瞬で済むようになった。その水晶玉をどこかに忘れてくるというようなことがなければ、だが。
「ま、道中出るから用心にこしたことないし、着てれば?運動できないんなら、余計防具は必須だろ」
「出るって、何が?」
「モンスター」
シシルがそういった途端、近くの草むらからがさがさと音がし始めた。
「う、うわああああああああ!」
思わず朔が悲鳴を上げて蹲ると、草むらから一匹のスライムが出て来た。しかし、それは特に二人に向かってくるわけでは無く、道を横切って反対の草むらに消えた。
心なしか、消える寸前、げっぷをしていたようにも見えた。満腹なので、何も襲う必要はないといことだろう。
「あっはっはっはぁ、タイミング良すぎ!」
シシルは腹を抱えて笑った。
「そんなに笑うことないだろ……本物のモンスターなんて初めてなんだから……」
朔はそれでもまだへたりこんだままだった。
「……どうした?」
「腰が……」
それを聞いて、シシルはまたぷぷっと笑った。それを見て、朔はぷんと顔をそむけた。
そして、はっとなった。
自分の感情をむき出しにしたのはどれくらいぶりだろう。ここ最近はずっと、会社に居ても、友だちと居ても、いつも気を遣っていた。こんな風に不機嫌な態度を取ったりしたら、嫌われるんじゃないだろうか。そんな思いに急に襲われた。
そもそもここにいることだけでも、シシルが居なければ難しいのに。今、彼に嫌われてしまったら、自分はどうやってこの知らない世界で生きればいいのか。彼こそが、一番媚びを売らなければいけない相手ではないのか。
「あの、」
朔が恐る恐る声をかけると、
「そんなに怒るなよ、悪かったって」
シシルはそう言って手を差し出してきた。
「あ、りがとう」
その手を取ると、シシルは朔を引っ張って立たせてくれた。
「だよなぁ。朔の世界には、モンスターなんていないんだよな。びっくりして当たり前だよな」
「怒って、ないの?」
「何で?怒ってるのは朔だろ?」
「いや、僕は……」
「不機嫌な面、してたぞ。俺がからかったからだろ?だからごめんって」
「……」
思いがけない展開に朔は立ち止まってうつむいた。どうしていいのかわからないのだ。
「朔?」
「いや、うん」
朔はシシルの態度に違和感しか感じられなかった。しかし、嫌な感じではなかった。単純に、今までの自分が感じて来たことと、違う、ということ。それが、逆に何だか嬉しかった。
そう、嬉しかったのだ。
今までと違うということが、こんなにも嬉しいと感じる。そのことが、また、嬉しい
「ありがとう。シシル」
「ん?ああ、どういたしまして?」
シシルも何だかよく分からないという顔をした。シシルとしては、引っ張り起こしたことに礼を言っているのかという認識であったのかもしれない。
それでもいいと思った。
今は、それでも。
その日の夜は野宿だった。
二人、焚火を囲み、道中で仕留めたウサギを捌いて食べた。森に生えていた野草もシシルが取った。調理ももちろんシシルがすべてやってくれた。一連の工程は一応、朔にも教えながらではあったが、ウサギを捌く段になっては、朔も顔からあからさまに血の気が引いていた。それを見てシシルが苦笑いする場面もあった。
「ほんっとに何もできないんだなぁ」
それを思い出して半ば笑いながらシシルが焚火に薪をくべる。
「すみませんねぇ」
木のカップに注がれたお茶をすすりながら朔は答えた。
ぐぅの音も出ないとはこのことか。
ウサギを仕留めるどころか、捌くことも調理することもできなかった。野草の知識もない。実は数回、毒草を取ってしまい、シシルが退けてくれていた。シシルは一見、身軽そうな装備でいて、狩りや調理、野営に必要なものはすべて持っていた。道具もそうだが、技術も。人間性も、の、ように思えた。朔のような、この世界の初心者を連れて歩くための素質。シシルは毒草を間違って摘んでも怒らず、間違いやすいからと、その違いまで丁寧に教えてくれた。
「……朔の世界ってどんななんだ?」
「どうって……」
「だって、そんなに何もできなくてもいいんだろ?」
多分、仕事上で言われたら絶対にかっとなるセリフだ。だが、場所のせいか状況のせいか、はたまたシシルの人徳か、何も言えない朔がいた。
「うん。僕たちの世界ではほとんど機械とか、他人がしてくれるからね」
「ふうん?」
「例えば、肉は誰かが育てて、それを捌いて肉にしてくれる人がいる」
「ああ、家畜はそうやってるな」
「うん。調理も機械がしてくれることも多い。火も、ボタン一つで着いたりする」
「へぇ!便利だな」
「……シシルだって魔法で着けたじゃないか……」
「いや、まぁ、あはははははは。でも、普通の人は火おこしからするぜ?」
「だよね」
そうだ、と、思う。
自分はずっと、誰かに助けられていた。元の世界にいたって、食べ物一つ、自分では入手できない。誰かが、代わりにやってくれているのだ。そういう意味では、自分も押し付けているということになるのかもしれないと思った。
命を奪うこと。その奪った命を、食べ物に転換させること。
「でも、朔も人の役に立つこと、してるんだろ?」
そういわれて、どきりとした。
「人の役にたたなけりゃ仕事にならないじゃん」
「そうなんだけど……なんていうか、わかりづらいこともあるんだ」
「わかりづらい?」
「例えば、肉を食べたい誰かの代わりに家畜を育てて肉にする。それは、わかりやすいよね」
「おう」
「でも、王様とか、役人とか、そういう人ってちょっとわかりづらい」
「ああ、確かに。ほかの国と仲良くしたり、帳簿を付けたり、って確かに国のためになってるかもしれないけど、直接俺らに何かいいことが目に見えてあるか、っていうと、ないな。金をくれるとかしてくれたらいいのに」
「まぁね」
そういって朔は笑った。どこ世界も、やっぱりそう思うらしい。もっと、分かりやすく政治による個々への利益を見せてくれと。
「じゃあ、朔の仕事も役人なのか?」
「そういうわけじゃないけど、わかり辛い仕事ではあるよ」
「そっか。とりあえず、狩りをしたり、肉を捌いたりってことは朔の仕事じゃないんだな」
「そういうことだね」
「じゃあ、何ができるんだ?」
「ここで、だよね」
「そう」
そういわれて、朔はうーんとうなってしまった。改めて言われると、何もない。鎧は着ているけど、剣は使えない。防具を生かして盾になれるほどの度胸もない。
「どうしよう……」
「どうした」
「何もない」
驚くほど自分がこの世界では無能だと気付いた瞬間だった。シシルと目が合うと、みるみる不安が顔に染み出していく。そんな朔の様子に耐えかねてシシルは笑い出した。
「いいよいいよ。じゃあ、これから何でもできるようになれるじゃん。最初はだれでも初心者だって。ある意味、自由だし、楽しいぞ」
「怒らない?見捨てないの?」
縋るようなを向ける朔に不思議そうな顔でシシルは答えた。
「何で?もう仲間じゃん。友達じゃん?それを見捨てる奴なんかいないよ」
「いつの間に?」
「だって、俺ら出会ったからな。旅は道連れ、世は情け」
そういってシシルは笑う。その笑顔が救いだった。その時、朔は自分がどうして人の要求を断れないのかわかった気がした。
怖かったのだ。できない、と言って、見捨てられることが。
「やれるようになろうって気はあるんだろ?朔に何ができるか、これから探していこうぜ。長旅になるし、いろいろ楽しまなくちゃやってられないだろ。楽しいぞー、新しいこと覚えるの」
「長いのか?そんなに遠いのか?」
「遠いも何も、魔王がどこにいるのか知らないし」
「はぃ?」
そういって驚いた顔をする朔にシシルはへへへといたずらっぽく笑った。
進む先を決めていたのはいつもシシルだった。自信満々に歩く背中をいつも信頼して追いかけていたのに。それでも、朔は騙されたと思いつつも、裏切られたとは思わなかった。
なんとなく、それでもいいかとすら思っていた。正直、シシルにものを教わるのは面白かった。できなかったことができるようになるのはうれしい。誰だってそうだろう。今の朔には自分の成長がわかりやすく見えている。特に、技術的なことは分かりやすい。シシルの教え方がうまいということもあるだろう。それには感謝している。
もっとたくさんのことを知りたい。
もっとたくさんのことができるようになりたい。
朔は心躍らせている自分に気づいた。
「冒険、だな」
まるで、朔の胸の中で忘れられていた少年が、再び息を吹き返したような、そんな気がした。カタカタとランドセルを鳴らして通った道も、読んだ本も、漫画も、やったゲームも。学校の勉強だって、友達のとのサッカーだって、すべてが、毎日が冒険だったあの頃。できることが少なくて、それでも、自分が何になれるのか、何になりたいのか、何ができるのか、必死になって考えていたあの頃。無責任なほど、身勝手な夢を見ていたあの頃。そして、できる限りのことができるようになりたいと思っていた、そして、できると信じて疑わなかった、あの、輝くような日々。
「うん?」
そんな朔を見ているシシルの目が温かい。
「うん、楽しいな」
そういって、朔は天を仰いだ。元の世界では見たこともないような、美しい星空が、少し滲んで、そこにあった。
「で、どうするんだ?」
いつもシシルからされる質問を今度は朔がシシルに向けた。
「とりあえず、この森を抜けた先に町があるから、そこで情報収集しよう」
二人は歩きながら話をしている。シシルの足は少し早い。朔はそれに少し遅れ気味になりながらついていく。
「行商してる時に何か話とか聞かなかったのか?」
「魔王絡みの話は出たことは出たけど」
「けど?」
「買い物に来てるオバサン連中や、市井のおっちゃんたちの言ってることが信用できるかどうかってことだよなぁ」
「……なるほど……」
世界は違えど、世間の噂の内容は眉にたっぷり唾を付けて聞かないといけないようだ。
「じゃあ、町についたら信用できる筋があるってことか?」
「………」
朔が期待の眼差しを向けると、シシルは足を止め、笑顔のままで固まった。うっかり追い抜いてしまった朔が振り返り、シシルと向き合う。
「……そういう専門の機関があるとか」
「……」
「誰か、信頼できる知り合いがいるとか」
「……」
「予言の巫女がいるとか」
「……」
「分かった、もういい」
シシルの表情が一貫して変わらず笑顔なのを見て、朔は諦める事にした。
もともとそれほど急ぐ用事でもない。そもそも自分は元の世界に帰りたいのかと思うくらいだ。自分がいなくなったところで、困る人もいない。否、少しくらい困ればいいんだと朔は思ってもいた。机の上の山積みの書類は、処理が終わっていないままだ。それで困るようなザマーミロというくらいだ。朔の口からふっと嫌な息が漏れた。まだ、そんなことを思うのかと思う。
だが、それもまた、自分だ。と、朔は開き直った。
しかし、そうなると、自分は何を求めているのだろう。魔王に会って、元の世界に返せとでも言うのだろうか。あるいは倒せば魔力が無効になって、元の世界に帰れるとか。しかし、それほど、価値のある世界だっただろうか。あの世界に、自分は必要だったのだろうか。
ずきり、と、胸が痛んだ。
どうあれ、自分は何を望んでいるのだろう。魔王に会って、何がしたいのだろう。
「なぁ、朔。そんなに怒るなよ。大事だろ、情報収集……」
「あ、ああ。もちろん。情報は大事だな」
自分の脳内を整理することに没頭していた朔は、驚いてこくこくと不自然に頷いた。
「……大丈夫か?」
「な、何が?」
「疲れてるみたいだから」
「そりゃね。この世界は分からない事だらけだし」
自分の心もね、と、朔は胸の内で呟いた。
「分からないから、知っていく楽しみもある」
シシルは頷きながらそう言って、朔を見て、
「だろ?」
と、言った。
朔はふぅ、とため息をついた。確かに、それもあるな、と、思った。
「そうだね。じゃあ、シシルが責任持っていろいろ教えてよ」
「おう、じゃあまず、シカのさばき方だな」
「ちょ、そこは敵の倒し方とかじゃないの?」
「何を言う。腹が減っては戦は出来ぬ。まずは食料調達とか、身の回りのことができるようになってからだろう!」
「う、正論」
朔がそう言って項垂れると、シシルはやった、と、叫んであからさまに喜んだ。
そんな様子を見ても、嫌な気持ちにならない。子供の頃は、ずっとそんな感じだったような気がする。あの頃は、周りの目なんて気にならなかったのに。
(いつから、気になって動けなくなったんだろう)
それはもう覚えてもいない。
それは、人の中でうまくやっていけるようになったということかもしれないけれど。
「それで、自分が息苦しくなってたら、意味ないよな」
「ん?何か言ったか?」
「何でもない」
朔はそう言って笑った。
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