第4話 ヒロイン登場?

 時計の針が、チックタックと時を刻んでいく。

 すでに時刻は、深夜1時を過ぎていた。


「………………」


 天井とにらめっこを続けるパーシャル。彼はベットに入ってから、一睡もできていなかった。


 それもそのはず。明日はエレナ王女との食事会があるのだ。


 直接会うのは、パーシャルが10歳の頃、王女の護衛を務めたとき以来である。


 明日のことを考えるたびに、心臓がバックンバックンと飛び跳ねていた。

 とても寝付けるような状態じゃない。


(くっ、なぜこんなに眠れない? 明日はただの食事会だ。それなのに胸の鼓動がうるさいんだ?)


 自問自答を繰り返すパーシャル。


(透き通るような黒髪。

 おしとやかな気品。

 ひかり輝く笑顔。

 雪の結晶のような清らかな瞳。

 こんなことを思い返して、ドキドキしている訳じゃない! 別に楽しみにしてない! なのに、なぜ眠れないんだぁーー)


 勝手に妄想し、身体をジタバタさせるパーシャル。


 ……まったく。ポンコツ過ぎる……。まぁ放っておいてあげようか。









 *  *  *









 神殿のような豪華で巨大な一室にパーシャルは座っていた。



 ここはエレナ王女が使う食堂である。ただ食堂といっても、一般庶民が使うものとは段違いだ。


 天井の高さはゆうに5メートルは超えており、広さは体育館ほど。

 テーブルだけでも普通の庭くらいの大きさはある。そしてその机には、金の装飾があしらわれた大きなテーブルクロスがかかっていた。


「もう少しでエレナ王女のお目見えです」


 王家の執事が告げた。

 パーシャルは居住まいを正した。


 彼の表情には、緊張が見て取れる。

 6年前、王女の護衛をしていたときのことが、彼の頭の中をぐるぐると回っていた。


 久しぶりの再会に不安もあるのか、グラスに入った水を何回も何回もちびちびと飲んでいる。


 今置いたばかりのグラスに、また手を伸ばそうしたその時、エレナが扉を開けて入ってきた。


「あっ、お、お久しぶりです。エレナ王女」


 パーシャルは慌てて頭をさげ、挨拶をした。


「そうね、久しぶり。パーシャル」


 柔らかく朗らかな声がパーシャルの耳をくすぐった。

 彼は恐る恐る顔を上げた。

 するとそこには、洗練されたドレスに身を包んだ、白鳥のようなエレナ王女の姿があった。


 16歳になり、パーシャルの記憶よりもずっと大人びた雰囲気を纏っていたが、可憐な笑顔はそのままである。王家の正装と美しくマッチしていた。


 溢れる気品も昔と変わらぬままであった。

 エレナは、凛とした佇まいでゆっくりと口を開く。


 誰もが、「王女のことだから、皆を光に包むいつもの暖かい言葉をかけるに違いない」と思った、その時だった。


「べっ、別に、会えて嬉しくなんか無いんだからねっ」


 え――――。

 まさかの発言に場が凍る。


 よく見ればエレナは頬を赤く染め、オロオロと視線を彷徨さまよわせていた。今さっきまでの高貴なオーラなど霧散していた。


 そう。エレナも例のごとく、ツンデレだったのである。



 控えていた執事が、何かを察したのか、エレナに声をかけた。


「あのエレナ王女、私は退室させていたただきます」


 扉に向かう執事の口元には、からかうような笑みが隠れていた。

 エレナのあまりのツンデレっぷりがおかしいのか、笑いをこらえているようだ。


 だが王族の執事をしているだけあって、気が利く。二人だけの時間をつくろうと、護衛とともに部屋を出ていった。


 恋の予感を感じ取ったのだろう。

 なかなかいきな執事だ。どこかの補佐官と違って……。




 しかし、そんなことはパーシャルには関係ない。

 パーシャルが考えていたことはたった1つ。エレナの発言についてだった。


(な、なんだと……。『会っても嬉しくない』だと……。俺のことなど、どうでもいいのか。いやいや、別に動揺はしていない。そうだ、むしろ作戦を遂行する上では良いじゃないか。うん、作戦のためなら……………あれ? さくせん? そもそも……俺は何をするんべきだっけ? さくせん…………あぁ、そうか俺は王女を暗殺するんだった――ってんなわけあるかっ!)


 完全に思考が分散して、頭が混乱の渦でぐちゃぐちゃになっている。相当ショックを受けてるらしい。


 しかし一方、パーシャルを混乱させた張本人のエレナの心も、上を下への大騒ぎだった。


(な、なんで私はあんな事言っちゃったの? 別に、嫌ってなんかいないのに……。いや、もしかして「会っても嬉しくない」っていうのは私の本音なのかな……? だとしたら結婚なんてするべきじゃ無いんじゃん!)


 パーシャルと同じような思考回路を辿っていた。

 ……はぁ、お前もかよ。呆れて物も言えないとはこのことである。


 だが、のんきに呆れている場合ではなかった。

 実はパーシャルとエレナは、重大な危機に瀕していたのである。


 別に恋愛の話ではなく、もっと深刻な事態が差し迫っているのだ。


 それは出窓の影に隠れたとある男の存在が原因である。彼は、コックの見習いとしてここで働いていたのだが、裏では王女の暗殺を画策していたのである。

 男の正体は、敵国の殺し屋だったのだ。


 これまでは護衛に阻まれていたため、暗殺を遂行できなかった。だが護衛がいなくなった今が、男にとってまさに絶好のチャンスであった。

 自然と刃物を握る手にも力が入る。


 しかし絶体絶命のピンチが訪れているとは露知らず、心のなかで複雑な感情に身悶えしている二人。


 一刻も早く仕留めてやると言わんばかりの猛スピードで、殺し屋は突っ込んできた。

 だが男の、先走る気持ちが裏目に出てしまった。気が逸るのを抑えられず、足音を消すことを忘れていたのだ。


 いくらツンデレ状態のパーシャルとはいえ、耳に入った音には気付く。パーシャルは侵入者を感知し、すぐさま戦闘モードへと切り替わった。


 刃物を持った男が、エレナを狙っていると分かった瞬間、椅子を蹴って飛ばし、猛然と走り出した。


 しかし殺し屋の男はエレナ王女しか眼中になかったため、まったく速度を落とさい。


(まずい、間に合わない……)


 パーシャルは急いで対処を変え、近くにあったカトラリーのひとつを手に取った。


「手を出すな!」


 鋭い怒号とともに、フォークを投げつける。

 放たれた銀の凶器は、殺し屋の右手に直撃し、男が持っていた刃物が吹き飛んだ。


 だが殺し屋の男は、スピードを落とせずそのままエレナの身体に激突した。


 殺しを生業なりわいとする者同士の早すぎる応酬に、エレナはまったく理解が追いついていなかった。

 気がついたときには、彼女の身体は宙を舞っていた。


「危ないっ」


 パーシャルは全力で足を動かし、床に落ちる寸前にエレナをキャッチした。そして直ちに、殺し屋に目をやった。


 すると殺し屋の男はフォークの攻撃を受けて流血している右手を押さえ、窓の外へ逃げていた。


「……クソがっ」


 殺し屋は投げ捨てるように言葉を残して、立ち去っていた。



 ほっと息を吐いた二人。


「あの、お怪我はありませんでしたか?」


 パーシャルがおずおずと心配の言葉をかける。


「えぇ、大丈夫みたい。ありがと」


 まだショックが抜けないのか、弱々しい声でエレナは答えた。


 今の二人の体勢は、パーシャルがエレナを受け止めたときのままである。

 つまりお姫様抱っこのような恰好だ。顔と顔がすぐそこに近づいていた。


 食堂に沈黙が流れる。二人は長い時間見つめ合っていた。

 その静けさを断ち切るように、ドタバタと足音が聞こえてきた。また襲撃か、とエレナが体を固くした。


 しかし扉から現れたのは執事だった。王女の身を案じ、飛んできたのだろう。肩で息をしている。


「ご無事ですか? 王女っ、エレナ王女!」


 執事は焦った様子で大声を上げた。


 ただ王女の無傷な姿を見て安心したようだ。

 「良かった……」とつぶやき、床にヘナヘナと座り込んだ。


 落ち着くにつれ、エレナとパーシャルが『いい感じ』の雰囲気になっていることに執事は気付いた。


「あっ……。ご無事で何よりです。では私はこれで……」


 執事は気まずそうに、すごすごと部屋を出ていった。


 また二人だけの時が訪れる。


「ほんとにありがとう」


 エレナがもう一度、礼を言った。


「いえ。お怪我がなくて安心いたしました」

「えぇ、そうね」

「王宮でも、不埒ふらちな輩が潜んでいるのですね」

「まぁでも襲われるのは、よくあるから」


 諦めたような表情を浮かべるエレナを見て、パーシャルが唇を噛んだ。

 

「早く。一刻も早く、殺し合いのない平和な世界になるといいですね……」

「あははっ、それ殺し屋の貴方が言うセリフ?」


 さも可笑しそうにエレナが笑った。そして目を細めて、「でも」と言葉を付け加える。


「でもいいのよ。何の罪もない人々が、戦争やらなんやらで命を奪われてしまうよりは、私たち王家が矢面に立つほうがずっと良いと思うの」

「いや、そんな……。エレナ王女だって罪は無いでしょうに……」

「だから私はいいの。それが仕事だから。そんなことより、パーシャル。あなた流石の身のこなしだったわね。早すぎて目で追えなかった」

「ありがとうございます。まぁ……それこそ仕事ですから」

「そっか。……私たちが10歳の頃と同じだね。こうやって守ってもらうの」


 ふたりとも、遠い過去の思い出に心を移した。


「あの頃から、パーシャルは『絶対に背中を預けても大丈夫』って安心できた。それは今も変わってないね」

「エレナ王女こそ。民を思う高潔な理念を、持ち続けていらっしゃったんですね。どんなに危険にさらされても変わらずに」

「ふふふっ、そう? そんな当たり前のこと褒めてくれるの、君だけだよ」


 エレナが恥ずかしげに微笑んだ。


 部屋中をロマンチックな香りが満たす。

 二人は、互いの目を見つめあい、語り合っていた。しかもお姫様抱っこの状態で。


 どちらかが愛の言葉をささやけば、たちまちに恋が叶いそうな、甘い空気だった。


 時が止まったのかと思うほど、長いあいだ見つめ合っていた。

 二人の心臓の音だけ、トクトクと響く。


 そしてエレナはゆっくりと唇を開いた。


 さて、どんな美しい言葉を紡ぐのだろう――――皆がきっとそう思うであろう、上品な仕草で声を発した。



「べっ、別にあなたに助けられても嬉しくないんだからねっ!」


(えええええーーーー?!?)


 こころの中で絶叫するパーシャル。


(えっ? なんで? ねぇ、さっきあんなに感謝してたのに? いや急に態度変わったんだけど? え? どうゆうこと?)


 彼の頭の中で「?」がどんどん自己増殖していく。


 うん。今回はパーシャルに同情の余地があるかも知れない。エレナの態度は完全に意味不明で、支離滅裂だ。


 一瞬で消えて去ってしまった、バラ色のムード。

 立ち尽くす二人。






 だから言っただろ、この恋物語は長いって。

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