第3話 長い長い恋の序章

 

「おはようございます」


 フィアネスはいつもの紳士然とした振る舞いで、パーシャルに朝の挨拶をした。

 

「おぉ、おはよう」


 グーッとひと伸びして挨拶を返すパーシャル。


 昨夜の血濡れた出来事など、すっかり忘れてしまうような清々しい朝を迎えていた。



 フィアネスは今日も朝から、背筋をピンと伸ばし、端然たんぜんと立っていた。


 実は彼の年齢は17であり、まだ少年とも呼べる年頃であった。

 しかしフィアネスもまた幼さを感じさせない仕事ぶりで、補佐官として最高の立ち回りをしていたのだ。


 常に冷静さを欠かないところもパーシャルそっくりである。




「昨夜はお疲れ様でした」


 と、フィアネスが丁重に頭を下げた。


「あぁ。そっちこそ、色々とご苦労さま」

「いえいえ、パーシャル様のしもべとして当然の働きをしたまでです」

「ふっ、相変わらずの謙遜だな。まぁいい、ところで今日の予定はなんだ?」

「いえ、特にはございません。…………ですが……………」


 急に歯切れが悪くなったフィアネス。


 いつもは堂々と話しており、口ごもるのは珍しい。何か言いよどんでいるようだ。


「ん? なんだ? 言いたいことでもあるのか」

「いえ……」

「別になんでも言って構わないぞ」

「あの…………その……パーシャル様は、素晴らしい暗殺技術をお持ちで…………ですから…………」

「ん? どうした? お世辞せじなど要らん。本題を言え」


 じれったそうにパーシャルが急かす。


 フィアネスは、このままではらちが明かないと思ったのか、意を決したように顔を上げて言った。


「こ、国王様から手紙が届いたのです」

「てがみ……? 国王から……?」

「はい。我らがつかえる、シルヴィア帝国の国王様からでございます」

「そうか……それで、何て書いてあるんだ?」


 パーシャルは怪訝そうに首をかしげる。


「あの、結婚しろだそうです」

「はっ?――――け、けっ……結婚?!?!」


 予想だにしなかった発言に、目をまるくして驚くパーシャル。

 「暗殺者」とはかけ離れた「結婚」というワード。それがフィアネスの口から飛び出したのだから、びっくりするのも無理はない。


 だがフィアネスにとっては、想定内の反応だったのだろう。

 パーシャルが困惑しているのを気にすることなく、淡々と説明を続ける。



「先程申し上げた通り、パーシャル様のお力は非常に強いです。もし貴方が味方であれば、とても心強いでしょう。しかし敵にすればどうでしょうか? おそらく誰もが恐れる脅威となるはずです」

「いきなり何の話だ…………。結婚と関係あるのか?」

「えぇ、あるのです。簡単に言うと、国王様は恐れていらっしゃるのですよ」

「国王が恐れている…………? 何をだ?」

「簡単に言えば、パーシャル様が国王様に反逆することを、です」


 パーシャルの顔が険しくなった。


「は? 俺が、国王に刃を向ける? ありえない。そもそも俺はこの国の味方だぞ」

「えぇ、もちろんです。私は、貴方が絶対に国を裏切るような方ではないと存じ上げております。ですが……国王様は違うのでしょう」

「違う……?」

「はい、おそらくパーシャル様がいつか反旗をひるがえし、敵となる日が来るのでは、と不安なのです」

「そうなのか……?」

「えぇ、ですから王族の一人と結婚させて、パーシャル様を王家に入れれば裏切らなくなるとお考えなのでしょう」

「…………なるほど……」


 パーシャルはフィアネスの言葉を聞き、眉根を寄せて考え込んだ。


 流石さすがは超一流暗殺者。すぐに冷静さを取り戻し、状況の理解に努めている。


「つまり…………婚姻こんいん関係を結べば、俺が国に反逆することはないと考えたのか」

「えぇ、おそらく」

「はぁー」


 パーシャルは心底うんざりしたようで、深いため息をついた。


「拒否は難しいな」

「そうですね。国王様から直々に届いたお手紙ですから。そう簡単に無視できるものではありません」

「うーむ……」


 重苦しい雰囲気が場に流れる。


 ふとパーシャルが思い付いたようで、フィアネスに訊いた


「そういえば、相手を聞いていなかったな。誰なんだ、俺と結婚することになっているのは?」

「お相手は……確か…………」


 と言いつつも、名前が出てこないフィアネス。手紙を探しだした。


 懐から手紙を取り出して、読み上げる。


「えーっと……、エレナ王女だそうです。年は16、パーシャル様と同い年ですね」

「ひゃ、はぇっ!?!?!?」


 相手の名前を聞いた途端、パーシャルは悲鳴にちかい大声をあげて、飛び上がった。


「あっ? えっ? エレナ王女って、あのエレナ王女なのか?!?!」

「はい? 今『あのエレナ王女』っておっしゃいました? ……もしかして、王女のことご存知なんですか?」

「え? ああ、まぁ少し。……昔に王女の護衛を任された事があったからな」

「なるほど。元からお知り合いだったなら安心ですね」


 その言葉に、パーシャルは目の色を変えて反論し始めた


「あ、安心? 何を言ってるんだ! 俺はあんなやつと結婚なんてしないぞっ! いくら可憐で、上品で、澄んだ瞳で、つやのある黒髪の、知性に溢れた女性だからといって、結婚はしない! するはずがないだろっ!」


 急に大声を出して反論しだしたパーシャル。端正でキリリと整った顔は赤く染まっており、足をバタつかせながら叫んでいる。


 今までの揺るがぬ冷酷さはどこへやら。

 「凍った暗殺機械」の異名とかけ離れた姿がここにはあった。



 お察しの通り、パーシャルは「感情ダダ漏れのツンデレ」である。


 ただの恋に迷える子羊。

 ただの素直になれない十代だ。


 こんな分かりやす過ぎるツンデレに気づかない人など、一人もいない――――――はずだった。

 しかし補佐官のフィアネスは真剣な顔をして、こうつぶやく。


「なるほど、『結婚はしたくない』とお考えなのですね……」


 パーシャルの言葉を、そのまま文字通りに受け取ったフィアネス。


 だが彼は、決して意地悪で言っている訳では無い!

 本当に純粋に、パーシャルの心中に気付いていないのだ。


 「いや、ツンデレ心くらい気遣ってやれよ」と言いたいところだが、仕方がないのである。


 フィアネスは生まれてこの方、恋愛経験が皆無であった。


 補佐官として必要な知識は豊富であるが、恋は一片も知らずに生きてきたのである。


 そんな彼が、「好きなのに素直になれない」という複雑な恋心を理解できないとしても、やむを得ないのだ。


 そして彼は今、職務をまっとうすべく、「結婚を避ける方法」を全力で考えているのである。

 そこでフィアネスは言った。


「うーん。ここで結婚を断ってはかどが立ちます。国との対立は避けたいところでしょう。……ですからエレナ王女の裏の顔を告発するのはいかがでしょう」

「ん?」

「エレナ王女の社会的立場を墜落させるようなスキャンダルを見つけ、国王様にご報告するのです。そしたらそれを理由に婚約を取り下げられるでしょう」


 なるフィアネスが、合理的な提案をする。

 彼は自信満々に胸を張って、言葉を続ける。


「『地位を墜落させる』と言うと心苦しくはありますが、背に腹は代えられません。そもそもあちらの身勝手な提案が原因でもありますし、作戦だと割り切りましょう。王族ですから、きっと後ろ暗いところの1つや2つすぐに見つかります」



 その言葉を聞き、パーシャルが困り顔で、思案する。


 当然である。意中の女性をおとしめる作戦など、「」は許せるはずがない。


 だが、残念なことにパーシャルの送ってきた人生は、普通とはかけ離れている。


 幼い頃からたった1つ、暗殺術だけを教わってきた。

 その他の事はまったく経験せずにのだ。



 つまり早い話が、パーシャルの恋愛経験もまたゼロなのである!


 よわい16にして、恋のコの字も知らない初心うぶな少年。それがパーシャルだ。



 それゆえ重大な問題があった。 

 そう、彼はのである。



 パーシャルは自問を繰り返していた。


(なぜ俺は  王女を拒絶するような態度を取るんだ? 彼女のことを、悪く思っているつもりは無いが…………。いやしかし間違いなく、俺は彼女を拒むようなことを言っている。そこから考えるに…………俺は「王女を嫌っている」ということになるな……。うん、そうだ。きっとそれが俺の本音なのだ! だとすると結婚は避けなければならない。断じて結婚などするものか!)



 どんどんパーシャルの思考がおかしな方へ行く。


 結果、彼は真剣な眼差しでこう告げた。


「ふむ、流石だなフィアネス。いい案だ。採用しよう」

「はい、光栄です」


 フィアネスはうやうやしく一礼する。


「よし、必ず王女の社会的地位を落とすのだ!」

「かしこまりました。精一杯、お助け致します」


 まったく意味のない「王女失墜作戦」への決意を固める二人。


 だがツッコミ不在のこの場を、修正するすべはない。

 二人がたどり着いたのは、 とんでもなくアホな結論だった。





 かくして、遠回りな恋物語が、幕を開けた。


 「自分の恋心に気付く」というたった一歩を踏み出すまでの、長い長い道のりの始まりである。



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