ワンコインドリップ

結城綾

エッグオアチキン

「お帰り!」

「ただいま、しかしすごいねこの機械は」

「そうでしょう、これこそが『エッグオアチキン』なのだ!」

『エッグオアチキン』とは、卵から鶏までの範囲内でなんでも転送してくれる装置。記録媒体を用いてその媒体に最も関係のある時間軸へ接続する。

本来なら僕達の世界とほとんど似ているようで少しズレがある平行世界に移動してしまうのだが、そこが彼女の新発明であり人類の革新に迫る所である。

なんと、無限に等しい多元宇宙の中から唯一の世界線に行けるのだ。

お値段たったのワンコインで五百円。

元素に空いている穴を針で通すような不可能じみた現象を、博士は可能にしてしまったのだ。

そのマシンで僕は先ほど過去に接続して、1945年の戦後にタイムスリップしてきた。

僕はx人の命を救った。

xの内一人は過去の人物で、結核を患っていた少女であった。

きっかけは些細なことであった。

媒体は一枚の封筒に入ったカビの生えかけた手紙で、僕の父がずっと宝物にしていた物を譲り受けていたのだ。

そこで彼女が、

「どうせなら、そのお願い叶えてあげようじゃないか!」

と封が閉じられていた手紙をポイっと取られてまとめて装置の中に入れられてしまった。

 




 痛覚と吐き気が無事に到着したと脳内通知でお知らせしてくれた。

装置は転送式なので、生身の体が放り出されたという散々な扱い。

おかげで、田んぼの糞が撒かれた場所にダイブしてしまい泥だらけとなった。

幸いの所、土臭さのみであった。


 望月の夜、満月とそよ風になびく荻が人一人の体を冷却していった。

逢魔の時なのかそうでないのか、この時間帯は魔物でもやってくるに違いない。

そう錯覚させてくれるぐらい、僕の気持ちは澄んだ心で一杯だった。

年齢分の死ぬまでにやりたいことリストがあっさり叶ってしまったが、それでも夢が叶うのはいいものだ。

心地よさで世界ごと救ってしまいそうと思えてしまう。


 平屋の一軒家にたどり着いた僕は、坪庭でひっそりと寝込んでいる一人の少女と視線が会ってしまった。

誰か呼ばれてしまうのはまずいので、超特急で彼女の口を塞ごうとすると避けられてしまった。

「話だけでもしちゃ駄目ですか?」

と交渉をしようとしたら、首を弱々しく横に振られてしまった。

「私、肺が……」

その言葉には重みがあった。

以前にも聞き覚えもあり現在進行形の症状が僕にもあるから。

誰よりも苦痛で誰にも相談できない孤独感はよく分かる。

歴史改変は誰かの人生を無駄にしてしまうかもしれない。

誰かの努力を蔑ろにしてしまうかもしれない。

責任という可視化されない重力が、よりはっきりとのしかかってきた。

それでも、誰かを見捨てるのだけはしたくない。

今救える命は、拾って次に繋げよう。

途切れかけた未来の糸を紡ぐだけでもしてあげよう。

そう思った僕は、無責任で苦し紛れな行動をした。

「魔法の薬をあげよう」

「魔法の……薬?」

「そう、魔法の薬。この薬を毎日用量を守って飲んだら、すっかり治っているよ」

「……本当?」

余命宣告をされたであろう少女は、先が見えないせいか達観した性格になってしまっていた。

「そうだよ、お兄さんを信じて」

「信じてもいいの」

「いいんだよ、君が将来したいことってある?」

静かで、安らかな表情をした彼女はこう呟いた。

「…………文字」

「あ、文字が書けるようになりたいの」

「ん、そう」

コックリと頷く、しかし軽やかな体と違ってその返答には巨大な意志が感じられた。

「文字を書いて何したい?」

「文通」

文通、手紙のことだろうか。

「そう、いい夢じゃないか」

「いい夢、うんいい夢」

その時終始無表情だった彼女に、初めて微笑みという感情が芽生えた。

「僕、その夢応援してるよ。絶対叶うさ、なんてったって魔法使いなんだから」

「お兄さん、外国人だから魔法使いなの」

確かにちょっとフィリピン在住っぽさはあったが、歴とした日本生まれ日本育ちである。

「ううん、お兄さんじゃなくても、みんなが魔法使いになれるの」

これは信念でもあった。

大切な人、困っている人、そんな人を守ってあげられる人間になろうって。

魔法使いの定義は人それぞれだけど、僕にとっての魔法使いはそういう人だった。

「じゃあ、そろそろ行かないと。その魔法は決して他の人に言っちゃ駄目だよ、溶けちゃうから、氷菓みたいに」

空想の側にいた不思議な感覚が残る。

あいすくりいむと少女のいる構図が思い浮かぶ。

それは、どうしようもなく完璧な構図で未来を直視しているようであった。

「じゃあ、また明日」

「うん、またどこかで会えたなら、お手紙でも書いてあげる」

「そりゃ嬉しい、遠慮なく受け取らせてもらうよ」

明日会うことなんてないはずなのに、いつの間にか旧友の仲の挨拶をしてしまっていた。







「で、無事帰還したと……カッコつけすぎじゃない」

「うるさいなぁ」

さっきから装置の点検をしながらずっと笑うのはやめて欲しい、恥ずかしくてどうにかなりそうだから。

無限のデータベースである博士の部屋で、透けた淡いアイスクリーム入りレモンティーを飲みながら彼女のことを思い耽っていた。

あの後結局どうなったのだろうかと気掛かりでしかない。

たった一日どころか、一晩もない欠片の出来事だったのに妙に記憶にこびりついていた。

「ねえ、博士?」

「何だい少年?」

「僕があの日会った綺麗な女性、どうなったんですか?」

「知りたいかい?」

まるで全て最初から結末を知っていたかのような口調で博士は話す。

「知りたいです」

「そうかい、じゃあ愛する君にいいことをたくさん教えてやろう」

「そいつはどうも」

「まず彼女は無事完治して、医者や家族からは奇跡だと謳われたらしいね。連日祭りの大盛り上がりさ、なんせ死の病気が治っちゃったからな。それで彼女は医者になって数々の人間を救って穏やかに死んださ、享年70歳。長生きだったねぇ」

その後の人生を語るのは結構だが、まだ聞きたいことは残っている。

「いや、あの手紙は何故僕の父……祖父が持ってたかってことですよ」

「どうせ恋人だったかなんかだ、彼女文通したかったんだろう?」

「ええ、そりゃあまあそうですけど」

彼女の理論は最もであり、筋は通っている。

しかし、それには何か綻びが立ち込めていた。

引っかかるけど、思い出せない。

解になる答えはあるはずだ、まだ証明できていない真実が。

「う〜ん…………あ」

なんだ、ひっかけ問題か。

こんなので引っかかるのは小学生ぐらいだ。

余計な情報だけ溢れかえってしまっていたから混乱していたんだ。

コードの混線、回路の不具合、神経の不接触。

こんなのは最初から捨ててしまえば良かった。

証明問題に使用しない方程式を組み込まないだけでほどける。

「ねえ、博士?黙ってること、ない?」

「……いやぁ?」

「とぼけないでください、あの手紙最初っから。なんで最初からってわかったんですか」

博士はしらを切り通す。

「それにです、さっきから観測上のその後を語ってますけど、実は既にご本人から聞いていらっしゃった内容では?」

それなら全てが解決する。

おそらく祖父はその手紙を開けないでと直接口で伝えられたのだろう。

だから何年たってもその手紙の中身が流出することなく僕自身の手に渡った。

開けないことそのものが暗号でありキーワードであったのだ。

「君は少女を救ったんだ、誇らしいことだよ」

嘘つけ、最初から全部仕組んでいたことじゃないか。

まあ、この日の為に全てを計画していたとなると色々驚愕ではあるが……。

しかしまあ世界ってのは不思議な物だ。

「確かに少女を救いましたね、博士という可憐で幼稚で天才な……照れくさいんですか博士、素直になってください」

「なななな、この生意気やろうめ!」

「やめ、やめてくださいよ!」

「あんにゃろ〜!逃がさねぇ!」

僕の一夜限りの魔法使いはこれにておしまい。

日常ってものは、実はとてつもなく低い確率でそれでいて運命じみている。

因果関係の逆転ではあったけど、人と人との出会いは無限に近い確率で低く、運命だと言わざるを得ない。

さて、一応問題を抱えたからには答え合わせをしよう。

これは僕なりの解凍であり、回答である。

君達の思う答えが正解であることをご了承願おう。

『問題 x人を救った一人は過去の人間、残りの人間は誰なのか?』

『解 xの内の残りは、博士とその家族だったのだ』

でもこんな一問一答は正直どうだっていい。

たった一晩会った謎の少女の正体が博士の祖母であったことと、博士との運命の巡り合いは……卵が先か鶏が先かの違いでしかないのだから。








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