第6話 だから、僕は君を守りたかった。

 数週間後のある日。


「ジェン、おチビから聞いたぞ」


 ラボの廊下を珍しく気まずそうに、柔らかな茶髪をかいていたジェン・オネットは、外の空気を吸いに行こうとしていた所を、幼馴染みであるアイファ・シューラーに呼び止められた。


 振り返った彼の頬は、少し紅潮していた。


「とうとう、ドレイユに落とされたらしいな」


 アイファはニヤリと笑い喜々として話した。

 ドレイユというのは、ジェンの助手であるイアリ・ドレイユのことだ。

 教授同士幼馴染みで助手のことは筒抜けであるように、“恋する助手同盟”を結成した、親友の助手たちからも、彼らのことは筒抜けなのだ。


「——だってさ、日々一緒に暮らすようになってさ」


 ここ魔法植物研究所MPLの研究室は、寝食忘れ帰宅する時間も惜しむ研究員のために、家具寝具バス用品が全て揃っている。


「僕が言ったことを忘れないように必死にメモする姿とか、実験に成功したり失敗したりして、一喜一憂する姿とか見ていてらさ。……可愛いと思ってしまうだろ?」


「そうか?」


「それにさ、こう言ったらあれだけど。あんなに化粧もバッチリ決めて、か、体だってあんなにグラマラスで、開いた胸元に僕の手を入れたかと思ったら」



『あ、あ、あたしは! ジェン先生が好きです! けっ、け、けー、結婚を前提に! お付き合いしてください!』



「なんて言ってきて。大胆なことするなーと思っていたら、掴んだ手は震えているし、顔は真っ赤だし、瞳は潤んでいるし……。あんなギャップ、落ちない人間はいないだろ?」


「俺は落ちねぇけどな」


「——クロウくんにしか微笑まない、その微笑みも顔に出さないお前に言われてもな」


「俺はお前みたいに愛想を振り撒かない、向ける愛情は一人だけと決めているだけだ」


 ジェンは常に穏やかな笑みを絶やさず、誰にでも優しく紳士だった。それに比べアイファは、誰にでも素っ気ない対応をしていた。


「……でもさ、イアリを好きになって、告白されて、わかったんだ。恋愛に年齢なんか関係ないって」


「…………」


「だから、アイファ」


「しつこいぞ」


 話を中断させるかのように、声のトーンを落としてアイファは言った。


「年齢が離れているからじゃない、俺は、あいつじゃなくても、誰が相手でも恋愛は二度としない」


「…………」


 穏やかで紅潮していたジェンの顔は、一気に消沈した。だが彼は、いつものように優しい笑みを浮かべて続ける。


「もう、いいじゃないか。恋愛をしたって。も許してくれるさ」


「……あいつは関係ない。俺はもう嫌なだけだ、大切な人を失うのは」


「…………」


 アイファは、大切な人をも失っていた。両親も大切だが、二人は老衰、自然な人間の死だ。

 そうではない形で、予期せぬことで、アイファは二度も、失っていた。


「大切に思えば思うほど、そいつらは俺を残して逝っちまう。俺に、希望ばかり見せて……」


「…………」


なんて、嫌なんだ……。三度目なんて、もう、耐えられない……」


「……まだ彼女が死ぬと決まったわけじゃないだろう」


「……あいつは、おチビは、確実に死に近づいている。お前も見ただろう、あいつのエックス線写真を」


「…………」


 このラボは、新薬の開発のために、希少な魔法植物を管理している。そのために、難問山と言われている試験を突破した者は、健康診断が義務付けられている。持病はないか、植物を枯らす菌が体内にいないかなど、調べるために。


 当時四歳で、試験を突破した天才児ミッチェル・クロウも例外ではなかった。

 彼女のエックス線検査は、医師でもあったアイファが担当した。


 彼女の体に異常はなかった。……


 彼女の脳は、


「あいつの脳は普通じゃない、いつ死んでもおかしくないっ。だが、四歳だったあいつにどう説明すればよかったんだ!」


「…………」


「“謎の天才ベビー”としてっ、あいつの噂はすぐに広まった! どこのラボもあいつの話で持ちきりだった!」


「…………」


 アイファは、溜め込んでいた思いを、不安を、吐き出すように早口で続ける。


「町でたまたま他のラボの奴らとすれ違った時! 悪い話を聞いた! あいつの天才的な脳だけを取り出し! 培養して天才AIを量産すると!」


「…………」


「他の奴らは人の命など何とも思っちゃいない! それが四歳のガキなら尚更だ! そうなれば手元に置いておくしかないだろう!」


「…………」


「ここのラボの助手制度は、教授による推薦制だ。他の奴らもたくさん手を挙げていた。……ここの研究員を、教授を、信用していないわけではない。だが……、あいつは、おチビだけはダメだ……。ミッチェルは……、先輩方が俺に託してくれた、“可能性”なんだ……」


 この世界の言葉で、“ミッチェル”は、“可能性”という意味だ。

 その名の通り彼女は、四歳から、いや、その前の古代人の数式を解いた時点から、小さな体に大きな可能性を秘めた、女の子だった。


「——だから、俺が推薦するしかなかった……。なぁ、俺の選択は間違えていたか……?」


 絞り出したような小さな声のアイファに、


「誰も間違えていたなんて言っていないだろ。あの時の選択は、正しかったと今でも僕は思っているさ」


 ジェンはそっと彼の肩に手を置いた。


「僕が言いたいのは、そろそろ自分の気持ちと向き合ったらどうだ、ということだ。クロウくんのことが、好きなんだろ?」


「…………」


「さっき自分で言っていたじゃないか。向ける愛情は一人だけだと。愛情を、愛を、彼女に向けているんだろ?」


「…………」


「クロウくんもお前を異性として愛している。両思いじゃないか、彼女がもしかしたら自分より先に他界する事は考えないで、俺も好きだと、伝えてあげたらいいじゃないか」


「…………」


 彼女は、ミッチェルは、四歳からアイファに恋をし、現在までの二十一年間、彼に好きだと、自分を見てほしいと伝え続けていた。


「……尊敬している先輩方のに、手なんて出せるわけねぇだろ……」


 ミッチェルは、アイファとジェンが、魔法薬理学者を目指すきっかけを作ってくれた、道標を作ってくれた、彼らが目標としている先輩の娘だった。


 時は、アイファが、の大切な人を亡くした出来事の数週間前に遡る。

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