第16話 アンジュ・レーナ―ル②

 「…。」


 アンジュはシュミレーターから走り去ったあと、更衣室のロッカー前でうなだれていた。

 理由はもちろん、先ほどのシュミレーション内容についてである。

 シャナの突撃スピードがおちたあの瞬間、アンジュには迷いが生じた。


 (このまま勝っていいの?)


 その迷いはA²の動きに現れ、一瞬の隙になってしまった。

 そしてその僅かな隙でシャナの勝利となったのであった。

 だが、そのようなおこぼれに近い形で勝利して喜ぶようなシャナでは無い。

 結果として彼女に頬に平手を受ける事になったのである。


 「…はぁ。」


 この件についてアンジュはシャナに対して何も言う気は無かった。

 むしろ謝らないといけないと頭では思っていたのだ。

 だが、体は思わずここまで逃げ込んでしまった。

 その事でアンジュは自己嫌悪していたのである。


 (皆にも伝わっている…でしょうね。)


 直接対峙していたシャナはもちろん、教官であるコウにも気づかれている事はアンジュも理解していた。

 他の候補生はどうか知らないが、どうしても説明は必要になるだろう。


 「…ずっとここに居るわけにもいかないわよね。」


 そう言って重く感じる体を無理やり動かすとアンジュは更衣室を出る。

 だが、通路に出たはいいがこのまま戻るのも気おくれしてしまい、その場で立ち止まってしまう。


 「…何してるのよ、一体。」

 「本当に何してるんだよレーナ―ル。」

 「!!き、教官。」


 アンジュが振り向くとそこには少し息を切らせたコウがいた。


 「何処に隠れていたかは知らないが、お陰で探し回る目になった。」

 「す、すみません。」

 「…いま聞きたいのは謝罪の言葉じゃない事は理解してるだろ?」

 「…。」


 思わず黙り込んでしまうアンジュを前にコウはため息を吐く。


 「言いたくないならそれでもいい、だがしっかり皆には謝っておけ。特にナフティにはな。」

 「…皆には知らせたんですよね。何故私がナフティさんに叩かれたのか。」

 「俺からは何も言ってない。まあナフティが言ってる可能性もあるが、予想ならアイツも言っていないだろう。」

 「え?…ど、どうして?」


 予想外の言葉に驚くアンジュに対してコウは呆れたように答える。


 「言えば戻りづらくなるだろ。まあ自業自得ではあるが初回だからな、まあこれが実戦なら平手じゃ済ませないが。あとナフティが同じ意見かは知らん。」

 「…。」

 「さて戻るぞ。ゼムスコフが言う事を聞いていたら今頃マツナガとバウマンがシュミレーターで対決してるはずだ。」


 余計な事してないだろうな。と心配しつつシュミレーターの所まで戻ろうとするコウであったが、その腕がアンジュにより掴まれる。


 「…まだ戻る気になれないか?」

 「戻る前に聞いて欲しいんです。何故ためらってしまったのかを。」



 「ここでは誰かに聞かれるかも知れないだろ?」


 そうコウに言われて二人はすぐそばの端にある自動販売機の前まで移動する。

 中途半端な時間であるためか、人はおらず話をするには向いていた。

 コウはオレンジジュースと炭酸を買うとジュースの方をアンジュの前に差し出す。


 「ほれ。」

 「…ありがとうございます。」


 アンジュがジュースを受け取るとコウは炭酸を一口飲む。

 あまり炭酸を飲む方では無かったが久しぶりの炭酸が喉を潤す感覚を味わっていると、ようやくアンジュが口を開く。


 「…臆病なんです、私。」


 そう口に出した姿はまるで罪を懺悔するようで、アンジュはコウの返事を待つ事無く言葉を紡いでいく。


 「人から嫌われるのが怖い、その一心で今まで人が嫌がる事も進んでやりました。人から下に見られるのが怖い、だから様々な事を努力してきました。地元のエリアでは聖女だなんて言われていましたけど実際はそんなものなんです。」

 「…だからさっき躊躇したのか?あの状況で勝てば嫌われると思って。」

 「バカですよね。…ですけど一度考え始めると怖くなって動けなくなるんです。」


 アンジュは貰ったジュースを握り込んでおり、その体は僅かに震えていた。


 「場所さえ変われば何かが変わる。そう思ってこのJAエリアに来る事を受け入れました。けれど、人の本質なんてそうそう変わらないですね。結局私は臆病者のままなんです。」

 「…。」

 「…聞いてくださってありがとうございます。そろそろ戻らないと皆が心配しますよね。」


 そう言ってジュースを一気に飲み干すとアンジュは皆の元に行こうと足を進める。

 その背中にコウの言葉が掛けられる。


 「別にお前だけが特別じゃない。」

 「え?」

 「人からの評価を怖がってるのはお前だけじゃないと言っているんだ。誰だって大なり小なりそう言う部分はあるさ。」

 「…。」

 「それと一つ言っておくが。別に俺はお前を臆病だとは思わない。」

 「…どうして?」


 心から驚いた様子で聞くアンジュに対してコウは呆れたように答える。


 「さっきも言ったろ?誰だって怖いって。だが、理由はどうあれここまで努力出来るような奴を臆病だとは思わない。…というかレーナ―ルの先陣を切るA²の戦闘スタイルで臆病だと言う奴はそういない。」

 「そ、それは…。人が傷つくのが嫌なだけで…。」

 「何度も言わせるな。理由はどうあれ人のために行動できる奴を臆病とは言わない。」


 コウはすっかり温くなった炭酸を飲み干すとアンジュに近づく。


 「なあレーナ―ル。お前は自分に納得出来ていないかも知れないが、それでも十分お前は人からの評価を受けているよ。ナフティも言っていたろ?お前だからこの程度で済ますって。」

 「あっ…。」


 平手を食らった後のシャナの言葉を思い出しアンジュは思わず声を出す。


 「レーナ―ル、人は様々な理由を持って『天使』と戦っている。純粋に人を守りたいと思っている奴もいれば、金目的で戦う奴もいるだろう。だから例えお前が人の評価のために戦うとしても俺はお前を否定しない。」

 「教官…。」

 「まあ色々言ったが、結局のところはお前次第だ。変わりたいと思うならそれでもいい。だが一つだけ憶えておけ、今までのお前も決して臆病ではない事を。」

 「…まだ全てを納得出来た訳じゃありません。けれど、それでも。」


 アンジュは言葉を震わせてコウに問いかける。


 「少しは、信じても、いいですか?私が、臆病じゃないって。」

 「いいぞ。まあ責任は取らないがな。」

 「…フフ。酷い人ですね教官。」

 

 そう言ってようやくコウの方に振り向くアンジュの目には涙が浮かんでいたが、コウは見ない振りをした。


 「さてと、いい加減戻るか。行くぞレーナ―ル。ナフティにはしっかり謝っておけよ?」

 「はい、教官。」



 その後、皆の元に戻ったアンジュはシャナに許してもらった。

 その様子を見てコウは少しだけ微笑んでいたようであった。

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