第12話 シャナ・ナフティ②

 あの日以来、コウは可能な限りトレーニングルームに行きシャナと共にトレーニングしていた。

 その間にはたわいのない会話や授業内容の確認、コウが『トール』に所属していた頃の笑い話などをしていた。

 そしてそんな日々が日常となりつつあったある日の事であった。


 「…遅いな。」


 コウはストレングスマシンで掻いた汗をタオルで拭きながらそう呟いた。

 本来であればコウよりも早く来ているシャナが今日は来ない事に関する呟きであった。


 「まあどんな努力家でもこんな日ぐらいあるだろう。」


 そう納得させつつコウはトレーニングをしようとすると、噂の人物が入って来た。


 「ごめん。待たせた?」

 「いや?こっちはこっちで勝手にしてた…。ってどうした?」

 「ん?何の事?さて、遅れた分を取り戻さないと。」

 「…。」


 コウは黙ったままルームランナーを使用しようとするシャナに近づくとおもむろに額に手を当てる。


 「な、何するのよ!」

 「…その様子だと自覚無しか。まったく。」

 「だからさっきから何の事話してるのよ!」


 呆れた様子のコウにイラついたのか思わず叫ぶシャナであったが、その声にはいつもの張りは無かった。


 「じゃあ聞くが、今日鏡見たか?」

 「…起きたのがついさっきで髪も解かずに来たわよ。それが?」

 「はぁ。気づかないみたいだからハッキリ言わせてもらうがナフティ。今お前酷い顔色だぞ。熱もあるみたいだし恐らく風邪だな。」

 「え?」


 シャナが自分の頬や額を触りながら確認すると、確かにいつもよりも体温が高い感覚がした。

 それを自覚した瞬間に違和感程度であった疲労感などが噴き出しシャナの体が不調を訴え始める。


 「…だったら何だって言うの。」


 だがシャナはそう吐き捨てるように言うと再びルームランナーに向かう。


 「おい。」


 だが教官としてそれを許す訳も無く、コウはシャナの肩を掴む。


 「離しなさいよ。邪魔する権利なんて無いでしょ。」

 「教え子が無茶するのを止める義務はあるさ。それにそんな体調でまともにトレーニング出来ると思ってるのか?」

 「っ!ほっといてよ!」


 コウの言葉にシャナは思わず大声で叫ぶと、肩に置かれた手を振り払いコウと向かい合う。

 そして涙目になりつつシャナは心の内を話し出す。


 「言われなくても分かってるわよ!けど早くエースになってお母さんを安定した生活をしてもらいたいの!そのために努力するのが何で悪いのよ!ゴホッ!」


 叫んだせいか咳き込むシャナを見つつコウはため息を吐くと、シャナに話しかける。


 「お前の思いに関して言う事はない。それを否定する権利なんて誰にも無いからな。だがそんな無茶をして本当にエースになれると思うなら、お前はまだ考えが甘いとしか言いようがない。」

 「…。」

 「どんな人間であれ生物である以上は体も崩すし、病気にだってなる。だから体調管理も軍人として、ましてエースならば必要な仕事だ。それをおろそかにしたお前はまだ資格不十分だ。」


 コウの言葉に悔しさで拳を握り込むシャナであったが言い返す事も出来なかった。

 やがてシャナは肩を落としつつトレーニングルームを出ようとする。


 「おい。一人でどこに行く気だ。」

 「どこって、部屋に戻るに決まってるでしょ。安心して、座学も休んで今日一日は回復に努めるから。」

 「いやそうじゃなくて。そんなフラフラで本気で一人で戻る気か、と聞いてるんだ。」


 そう言うとコウはシャナを無理やりおんぶする。


 「ちょっ!?何するのよ!?恥ずかしいでしょ!?」

 「恥ずかしいだけなら我慢しておけ。そんなフラフラな状態で歩かせる訳にはいかないだろうが。」


 何とか降りようとするシャナであったが、体調不良もあって力が込められずにいた。


 「無駄に体力消耗するな、諦めろ。安心しろ近くまでいったら降ろしてやるから。」

 「…変なところに手を回したら社会的に制裁してやるから。」

 「結構。じゃあ行こうか。」


 結局シャナはコウに背負われた状態でトレーニングルームを出る。

 朝早いため人と出会う可能性は低かったが、それでもコウは多少遠回りであろうと人のいないルートを通っていた。


 「…ありがとう。」

 「何が?」

 「人がいない所を通っているの、私に気を使ってでしょ?」

 「気にするな。俺も変な噂が立つのは好きじゃない。」


 それからしばらくの間、二人に会話は無かった。

 だがシャナが不意に話し出す。


 「…何か。」

 「ん?」

 「いや、そんな経験無いんだけど。いや無いからなのかな?まるで父親に背負われた気持ちに一瞬なって。」

 「そこまで老けたつもりは無いんだけどな。」


 軽く冗談を言いながら返すコウに対し、シャナは先ほどより体を預けながら答える。


 「背中が広くて安心できるし、汗臭いけど何故か落ち着くし。…もし父親がまともだったらこんな感じだったのかな?」

 「さあな。けどまあこっちとしても不快に思われるよりはましだが。っと。」


 そうこう話している内に寮近くまで来ており、コウはここでシャナを降ろす。


 「悪いがここまでだ。…歩けるか?歩けないなら誰かに迎えを頼むが。」

 「ん、大丈夫。少し足がふらつくけど、この距離なら大丈夫。」

 「ならいい。分かっているとは思うが、今日は無理せずに回復に努めろ。それが一番の近道だ。」

 「…フフ。」

 「?何か変な事を言ったか?」


 突如笑みを零したシャナに問いかけるコウ。

 シャナはどこか楽しそうにしながら答える。


 「別に?ただ本当にアンタ…教官みたいな人が父親だったらな。って思っただけ。」

 「俺が子ども持つならもう少し素直な子がいいよ。」

 「フフ、そうですか。素直じゃ無くて悪かったわね。」

 「…なるべく早く治して顔を見せろよ?」

 「風邪なんて一日で治してやるわよ。期待して明日もトレーニングルームで待ってるといいわ。」


 そう言って寮に足を進めようとするシャナであったが、その足が止まる。


 「ねぇ。風邪でおかしくなったと思って聞いてくれると嬉しいんだけど。」

 「ん?」

 「一度、一度だけでいいから…。名前で呼んでくれない?」

 「はい?」

 「自分でも変な事言ってるとは思うけど一回だけ。お願い。」

 「いや、別にそのぐらいいいが。」


 コウは一つ咳払いしてから声を出す。


 「しゃあ早く風邪を治せよ。シャナ。」

 「…ん。やっぱり父親と思うには声に威厳が足りない気がするわね。」

 「ほっとけ。早く寝て治せ。」


 それを聞いて笑みを返すとシャナは寮へと戻っていった。



 翌朝、コウがトレーニングルームに向かうとそこには元気にトレーニングしているシャナの姿があったそうである。

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