第7話 『マナ過少症』と『ブースト』
コウの部屋の侵入疑惑があった翌日。
当事者であるコウの目覚めは実に軽やかなものであった。
まだ夜が明けきらない時間帯にベットから起き上がるとコウはまず侵入された形式が無いか調べる。
「窓にもドアにも侵入された形式は無し、か。一体どういうつもりなんだ?」
相手の目的が分からず頭を悩ませるコウであったが、とりあえず日課である朝のトレーニングを開始する。
本来であれば外に出て走り込みたいところではあったが、この状況だけに筋トレのみにしておく。
食事も食堂で食べるのではなく自分で作っておいた非常食で済ませると皺だらけの軍服から予備に着替え厳重に鍵を確かめておいてから外に出た。
コウの行動に不手際があったとすれば、証拠として残しておいた手荷物に手を触れなかった事であろう。
「ロックハート中尉。」
「デミレル副司令。おはようございます。」
コウはヨナと合流するとそのまま候補生たちが待つ教室へ足を進める。
その間二人はたわいない会話をしていたが、周りに人が少なくなってきた段階でヨナがコウの肩に体を寄せる。
「例の一件ですが。」
コウですらギリギリ聞こえる範囲の声でヨナは侵入事件の報告を始める。
「少なくとも中尉の自室の周囲にこの基地の所属では無い者は確認されませんでした。」
「となると最初からそんな人物はいなかったか。」
「それともヨコハマ基地所属の者が行った、です。」
ヨナはハッキリとそう言い切ると情報端末をそっとコウのポケットに忍ばせる。
「その時間帯に中尉の自室周辺にいた人物の一覧です。あとでご確認を。」
「申し訳ない。ご苦労をおかけします。」
「いえ。元をただせばコチラの責任ですので。」
そう言い終えるとヨナは元の間隔に戻る。
そこからしばらくの間、二人は会話をしなかった。
だがヨナが突然足を止めて話始めた。
「私はあなたの後見人でもあるハチェット提督を軍人として尊敬しています。そして中尉、あなたの事も尊敬できる軍人だと思っています。」
「それは、どうも。」
「ですからこれから何があろうと味方である事は保障しましょう。例えあなたが例の物を使用してたとしても。」
「…ったくアランの奴め。」
ヨナに話していたであろうアランに愚痴っているとヨナがフォローする。
「司令もあなたの事を心配しての事です。熱心に頼まれました。何かあれば中尉を助けてやってくれ、と。」
「気を回し過ぎなんだよあいつは。」
「中尉に関してはそうですね。…少し羨ましいです。」
「副司令?」
「…何でもありません。」
そう言うと再びヨナは教室に進み始める。
コウは疑問に思いつつもヨナのあとを追い教室に向かうのであった。
「…『トール』では規定の時間に遅れるって慣習でもある訳?」
コウがヨナと共に教室に入ると同時にシャナから嫌味が飛んでくる。
明らかに不機嫌きわまりないといった表情であった。
「遅れた事に関しては謝罪するしかないが、仮にも教官相手にその態度は止めといた方がいいぞナフティ。」
「ふん。」
そっぽを向くシャナに対しヨナが注意しようとすが、コウはそれを止める。
「で、昨日言った課題についてだが…。どうやら全員用意が出来ているみたいだな。」
それぞれの机にはすでに記憶媒体が置かれており、提出の準備は済んでいるようである。
「てっきり誰か一人は書いて来ないと思ってたんだがな。特に文句が顔に出ているナフティ。」
「バカにしないでよね。負けは認めてるし、どんな課題だろうとわざと提出しないなんてするわけないわよ。」
「…そうか。どうやら謝罪する案件が一つ増えたようだな。」
「別に。分かればいいのよ、分かれば。」
相変わらずその顔には不満が現れていたが、先ほどに比べると落ち着ているようにも見えた。
「さて、早速だが全員で負けた理由を…。」
「すみません教官。教官に一つ質問があります。」
「ゼムスコフ?」
今までほとんど話さなかったソフィアが質問した事にシャナは勿論、全員が困惑していた。
「後にしろゼムスコフ。今は授業中だ。」
「いや、聞こうじゃないかソフィア・ゼムスコフ。授業を止めてまで聞きたい事とやらを。」
「中尉?」
ヨナが止めようとするが、コウはソフィアの質問を受ける事にする。
その時、すでにコウは察していたのかも知れない。
この奇抜な行動が多いRUエリアの問題児が何を聞きたいのかを。
訓練生用に作られた軍服のポケットの見覚えのある形の膨らみから。
「では単刀直入に聞かせてもらいます。コウ・ロックハート教官、あなたは『マナ過少症』なのですか?」
ソフィアがその質問をした瞬間、ヨナの顔が強張る。
一方でコウはやっぱりか、と言わんばかりの表情であった。
「マナ…過少症?」
聞き覚えの無い言葉にリンが困惑していると、アンジュが説明をした。
「『マナ過少症』は今のところはA²乗りにしか見られない症状なの。本来マナは加齢と共に緩やかに減少していくものだけど、まれに突然マナが減少する事がある。それを『マナ過少症』と呼ぶの。」
「A²の副作用と呼ぶ奴もいるわね。症状は歩けなくなるほどの重症から日常生活には問題ない軽症まで様々と聞くけど、『マナ過少症』になってA²乗りに戻った人間はいないわ。一人もね。」
シャナもリンへの説明に加わったが、その目線はリンではなくソフィアに向けられていた。
《くだらない事を聞くな。》と言わんばかりの鋭いシャナの目線であったが、それを気にする事も無くソフィアはポケットからケースを取り出す。
「失礼とは思いましたが、教官の部屋に入らせてもらいました。」
「ゼムスコフ!お前!」
侵入事件の犯人がソフィアだと分かりヨナが反応するが、コウはそれを手で制止すると話の続きを聞く。
「この錠剤が気になり調べたところ、ある政府からの承認を受けていない薬と酷似していました。通称『ブースト』と呼ばれる薬に。」
「…何なのよ、その『ブースト』って。」
『ブースト』に関しては知らないのかシャナが不機嫌そうにソフィアに聞く。
アンジュもリンに目線で問われたが首を横に振る。
「『ブースト』は体内のマナを活性化させる事が唯一立証されている薬。理論上は『マナ過少症』の人間でも飲めばA²の搭乗に必要なだけのマナを確保する事が出来るとされます。」
「そんな薬があるなんて…。」
リンが心の底から驚いているとアンジュが不思議そうに聞く。
「でも、その薬がなぜ承認を受けてないのかしら。それに噂にもなりそうなモノだけど。」
「それはこの薬の副作用があまりにも強すぎる事にありますレーナ―ル。」
「副作用?」
シャナの言葉に頷くソフィアは副作用を羅列していく。
「発熱、嘔吐、動悸、めまいを始めとして。激痛、心拍の上昇、呼吸困難、感覚の麻痺。試験中には死亡者も多数出たそうです。」
「何よそれ!強い以前の問題じゃない!」
シャナが思わず立ち上がりソフィアに怒鳴るが、対象は薬に対してである事は全員理解していた。
想像にしなかった副作用に全員が黙る中、ソフィアは薬のケースをコウに手渡す。
「何故教官がそのような薬を持っているか、唯一出て来る仮説はあなたが『マナ過少症』であるという事だけでした。ですが、これらはあくまで想像。その錠剤が『ブースト』であるという確証もありません。」
ソフィアは一度話を区切るとコウの目をしっかりと見て問いかける。
「ですから、もう一度お聞きします。コウ・ロックハート教官。あなたは、『マナ過少症』なのですか?」
その目は偽りは許さないと書かれているようであった。
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