Mの喜劇 -3
「もういいでしょう、香宮君!」
悲鳴じみた声を上げたのは三神さん──現役高校生の方──だった。「私は会に参加してってお願いしただけなのに! なのに、なんであなたがそんなことまで!」
「落ち着きなさい、あまね。私は大丈夫だから」激する後輩とは裏腹に、先輩はどこまでも穏やかだった。「今更じたばたしたって仕方がないでしょ」
須羽さんは長いこと口をきけなかった。うつろな目をして、親友の顔と犯人とを交互に見比べる。その首の動きはなんだか機械人形じみていて、失礼だけど少し可笑しかった。
ようやく彼女が発することができたのは、これだけだった。「え、三神って、えっ? ──あなたもしかして、あまねのお姉さん? だけど、あまねはお姉ちゃんがいるだなんて話、一言も」
「違うわ、そうじゃない。あまねは私の従妹。実を言うと、彼女にこの高校を勧めたのも私なの。なにしろ私にとっては愛すべき母校だし、あまねにとってもうちから近くて便利だったから」
「でも、実習生が来てるなんて話、ちっとも知らなかった……」
「小中学校のように全校朝礼でもあれば、この手は使えなかったでしょうね。それに、授業で会おうにも、あなたたち二年生はとっくに地理は習い終わってるから」
そう、その通り。いつだったか僕の友人の山崎君がぼやいていたが、噂の教育実習生の授業を受講できるのは、一年生だけなのだ。
先輩、もとい先生の制服姿はさまになっていた。スーツ姿よりもずっと。小柄な体格のせいもあるのだろうけれど、やはり現職の先生方とは違い、世間ずれしていないためそう見えるのだろう。よく見れば上履きにはご丁寧に名前のシールまで貼られていたが、これも現役時代のものをそのまま使っているのだろうか? それともこの変装のために、わざわざ新調したのだろうか? 上履きはまだ新しい感じがするので、おそらく後者だろう。
そう。僕と部長は、変装をしていない時の三神那月さんを、前日に一度見かけている。職員用玄関前の、表彰状やトロフィーが並ぶ一角の前でのことだ。
ちなみに先輩と同じ特徴を有する“田中先輩”が存在しないことは、珍しく腰を上げた部長が証明してくれた。彼女曰く、僕が聞き込みをしたあの日に学校推薦なり単なる体調不良なりで休んでいた三人の田中姓の三年生は、全員「巨人の如き大女」だったそうだ。
「生徒には持ち出せないはずの印刷室の裏紙を使って、メッセージを残す。会のメンバーで、そんなことが可能だったのはあなただけです。生徒と先生、二つの顔を持ち合わせているあなた。そうですね?」
そして付け加えるなら、職員室でエアコンの管理用端末を操作できたのも。
三神先生は頷いた。そして、どこか楽しむように言った。「私も迂闊だったわ。昨日の夕方でしょう? 私の正体に気づいたのは。君が廊下の向こうから歩いてきた時には、正直言って観念したわ。ああ、これでジ・エンドだなって。何も言わずに素通りしてくれたから、てっきりバレてないと思ったんだけど」
僕は首を横に振った。あのタイミングで気づいたことにしておいても不都合はないのだけど、やはりそれは真実ではない。
「いいえ、違います先生。僕た……僕はあの時、あそこに立っていたのが先生だとは気づけなかったんです」
月並みな言葉だけど、女性というのはすごい。ちょいとメイクを施すだけで、ああも印象が変わってしまうのだから。あのいかにも社交性に富んでいそうな、少し派手な印象の女性が、目の前の地味な眼鏡の女子と同一人物だなんて! 真相を暴いた今となっても、ちょっと信じがたいくらいだ。
ともかく僕も部長も、あの時点では“田中先輩”の正体に気づくことができなかった。それほどまでに、先生はうまく化けていたのだ。
ではどうやって、部長は“先輩”の正体に気づいたのか? 僕は説明を始めた。
「ですが先生、あなたはもう一つ、身元の特定につながる重要なヒントを残していたんです。生徒なら絶対に知り得ないことを、ついうっかり口にしてしまっていた。覚えていますか? 僕が鍵について訊いた時のこと。あの時先生は、こう言ったんです。
鍵は前日のうちにすり替えておいた。今、職員室のボックスには、偽物が収まってる──しかし先生。ボックスが設置されたのは、鍵の貸し出しが停止されていた試験期間中のことだったんです。他の先生方はそんなことを生徒たちに伝えていなかったし、周知させる必要もなかった。だって、鍵の保管場所なんかを試験前の生徒に教えたって、一利もないですからね。
にもかかわらず、あなたは鍵の在処を正確に言い当ててみせた。何故か? 職員室に自由に出入りできる人物、つまり大人だからです」
ただし、“田中先輩”が保管場所の変更を知るチャンスは、例外的に一つだけある。儀式当日の午後、つまり試験明けから僕らが合流するまでの間だ。部活動も解禁されるあの時間帯ならば、職員室に行きさえすればそれを知ることは容易い。
そう、職員室に行けさえすれば。
だが部長は、その可能性はほぼないと断言した。先生がその一度きりのチャンスを掴めたとは考えられない、と。何故ならその時間帯、先生は必要なものの買い出しに行っていたのだから。あの日床に落ちていたレシートに記されていた時刻も、それを証明している。
くだんのストアはここ野羽高から、二駅ばかり離れた場所にある。直線距離に直せば五キロといったところか。そして野羽高の周辺は、坂が非常に多い。女子が徒歩なり自転車なりで赴き、必要なものを見繕い、また戻ってくるとなれば、半日がかりの大仕事である。とてもじゃないが、職員室なんかに立ち寄る暇はない、というわけだ。
以上が、部長が“田中先輩”の正体に気づいた理由である。
「そこに気づいてしまえば、あとは簡単でした。ミドウサマを知りうるこの学校の卒業生で、なおかつ今現在この学校に勤めている先生がいないか、担任に訊いてみるだけでしたから」
その結果わかったことは、現職の教員にはOBないしOGはいないものの、教育実習生なら一人だけいるということ。そしてその実習生は、かつて演劇部に所属していたこと。地区大会で優良賞を授与された経験があること。その時の写真は、今でも職員玄関前に飾られているということ。
今日ここに皆を集める前、僕は先生が眺めていた写真を拝見した。果たしてそこには、高校生当時の先生が写っていた──写真写りのせいかもしれないけれど、今よりもさらに一回り小柄で、そして心なしか、気弱そうに見えた。
「ところで先生、納得がいくことがもう一つできました。ミドウサマの噂が流れ始めた時期のことです。僕の記憶が正しければ、約一ヶ月前。これは、あなたが実習生としてこの学校に来た時期とぴたりと一致します──噂を流し、誰もが忘れかけていたミドウサマを復活させたのは、先生、あなただったんじゃないですか?」
僕の問いに、三神先生は口の端を上げる笑みで応じた。「ご明察の通り。授業が早く終わった日に、雑談の形で教えたのよ。そもそもあの占いはね、演劇部が発祥なの」
そうだったのか。
民俗学研の血が騒ぐ。ただのテーブル・ターニングがいかにして独立した怪異へと進化を遂げたのか、この人ならば興味深い話を聞かせてくれるかもしれない。
だが今聞くべきは、もちろんそんな話ではない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます