仮面の自白

「話していただけますか、先生? ……なんだって、こんなことをしたんですか?」


 後輩たちの催した会に便乗して、怪奇現象を演出する。客観的に見れば、かなり大人気ない所業だ。今ここにいない吉川君が真相を知ったら、口を極めていい年をしてだのイタいだのと罵るだろう。


「とりあえず、まずはその先生と呼ぶのをやめてくれるかな。私はまだ現職の教員ではないし、何より、先輩って気楽に呼んでくれた方がずっといい」


「わかりました、先輩」だけど実習生として、その発言はどうなんだろう。


 動機を訊かれることなんて、もちろん先輩は予期していただろう。ただ、それをどう話したものかを決めあぐねていたらしい。

 しばしの沈黙。それから彼女は、思案するように小首を傾げてから、おもむろに語り始めた。


「そうね──何かのきっかけになればいいと思ったから、かな」


「きっかけ?」


 わけがわからずおうむ返しをする僕に、先生は反対に質問した。「ねぇ、香宮君。それに須羽さんも。民俗学研やオカルト研の部員として、気になったことはないかしら? 怪談の舞台は、どうして学校であることが多いのか。言い換えるなら、どうして子供たちは怖い話を好むのか」


「それは──」


 答えに窮して、須羽さんと当惑した顔を見合わせる。


 言われてみればそうだ。なぜ、僕たちは怪談話を自ら進んで聞いたり語ったりするのだろう? だって、怖いという感情は、どちらかといえばネガティブなものではないか。貴重な休み時間や放課後を、自らネガティブな気分に陥りにいくなんて、確かに妙な話である。

 だけど、その話が、今のこの状況とどう関係するのだろう?


 口を噤んでしまった僕たちを尻目に、先輩はゆっくりと円を描くように歩きながら解説する。

「あのね、これはどこかで読んだ記事の受け売りなんだけど──子供たちが怖い話を自ら進んで語るのは、怖いという感情を共有することによって、同じ子供同士の連帯をより強化するためらしいの。つまり怪談話それ自体が、一種のコミュニケーション・ツールというわけね」


 それはつまり、恋人同士でホラー映画を観に行くのと同じ心理だろうか。

 そんなことを考える僕をよそに、先輩はふっと遠くを見るような目になった。「私も、そんなコミニュケーション・ツールを要する一人だった」


「私も?」


「ええ」彼女はこちらに向き直った──それまでの大人びた雰囲気は後退し、代わりに気恥ずかしそうな色が浮かんでいた。

 その時になってようやく、僕はこの人がまだ大学生にすぎないことを実感した。僕ら高校生の目から見ればもう十分に大人だけど、やはり学生は学生だ。親や先生方やバイト先の上司のような本物の大人とは、どこか違っている。

 そしてその違いは、僕に親近感を抱かせる類のものだった。


「昔の──つまり、高校に入りたての頃の私はね、はっきり言って友達の少ない人だった。人見知りが激しくて、傷つくことに怯えてばかりいて、そのくせ変にプライドが高くて。いつも何かしら、つまんないことを気にしていたわ。自分の不用意な言葉が場の空気を凍らせないかとか、みんなに陰で悪口を言われてないかとか……。今風の言葉で言えば、陰キャってやつね。そんな言葉で自他を貶めるのは、教育学部の学生として感心できないけれど」


 先輩はあっけらかんと話しているが、僕には気軽に聞くことはできなかった──僕自身、今しがた先輩が自虐的に挙げた特徴を、かなり共有しているのだから。


「そんな調子だから、教室にもなかなか居場所を作ることができなかった。演劇が好きだから演劇部に入ったけど、同期とも先輩たちともちっともうまく話せなかった。はっきり言って、いつ何かのはずみで不登校になってもおかしくなかったわ──そんな時だったのよ、部活の仲間が部に代々伝わるミドウサマの儀式をやろうって言い出したのは。

 正直に言えば、最初は乗り気じゃなかったわ。いい年してオマジナイなんてばかばかしいと思ったし、めんどくさかったからね。だけど、付き合いの悪いやつと思われて除け者にされるのが怖くて、しぶしぶ参加したの。朝から嫌な雨の降る日だった」


 自分にもよくわかるというように、須羽さんが何度も頷く。三神さんも憮然とした面持ちをしてはいるが、熱心に聞き入っているようだった。


「ミドウサマにどんな質問をしたのかは、正直言ってあまり覚えていない。クラスのイケメンの男子が好きな子は誰かとか、将来第一志望の大学に入れるかとか、そういう他愛ない質問ばかりだったと思う。……私にとって肝心なのは、儀式を終えてふと空を見上げた時、いつの間にか雨があがっていたこと。そして、とてもとてもきれいな虹がかかっていたこと。まるでミドウサマの恩寵みたいに、ね。

 ええ、あなたたちの言いたいことはわかるわ。雨があがったのも虹がかかったのも、単なる気象現象。そんなものをミドウサマの“しるし”と思い込むなんて馬鹿げてる。そう思ったでしょ?」


「そんなこと……」


 須羽さんのフォローの言葉など耳に入らないかのように、先輩は続ける。「いいのよ、別に。私もこれが他人の体験談ならば、やっぱりあなたたちと同じように思うでしょうからね。だけどね、当時の私たちにとっては、それは単なる虹以上の意味があったのよ。その場にいた者としか分かち合えない、重要な意味がね」


 言わんとすることは、なんとなくわかった。

 肝心なことは、現象そのものではない。それがどんな風に見えたかということ。

 そして、その思いを、その場に集った人たちと共有できたということ。


「それからの私の高校生活は、嘘みたいに明るい方へ向かったわ。一緒に儀式をやった子たちとは親しい友達になれたし、長いお休み中やテスト明けには、それまで考えた事もなかったような楽しい体験がたくさんできた。バイトもしたし、恋みたいなことも経験したし……。ありきたりな青春だったとは思うけど、一つ教訓はできたの」


 そして先輩は、僕たちの顔をぐるりと見回して、諭すように言った。


「その教訓というのはね……私が抱えていたような悩みは、誰しもが多かれ少なかれ持っているということ。儀式に参加した子の中には、今風の言い方をすれば一軍の女子もいたのよ。とっても可愛くて、クラスでは男女分け隔てなく仲良くできて。正直言って、私は最初、その子のことがすごく苦手だった。住んでる世界が違いすぎるから、って。だけど……そんなのは単なる思い込みだったの。

 その子と会話を重ねるうちに、私も少しずつわかってきたのよ。その子も私と同じなんだって。私と同様に人付き合いに対して臆病で、他人にどう見られているかを気にしてばかりいて……」


「変にプライドが高くて、自意識過剰?」


 少し意地悪な僕の言い方に、先輩はにやりと笑って応じてくれた。「そういうこと」


 茶々を入れるような言い方をしてしまったが、僕はこの時、先輩に限りない親近感と尊敬の念を抱いていたのだ。彼女の語る“動機”が、理解できた気がしたからだ。

 今の三神那月さんがここにあるのは、ひとえに彼女自身の努力の結果だろう。華やかな高校生活も大学の合格も、四年間の研鑽の結晶としての教育実習も、彼女の頑張りと誠実な人柄なしにはあり得ない。ミドウサマの儀式は、単なるきっかけにすぎないのだ。

 だけど、そのきっかけこそ、高校生当時の彼女には最も必要なものだったのだ。どんなに優れた可能性を秘めた種も、水や肥料といった外的要因なしには発芽できないように。

 ……なんて、僕のような若輩者がわかったように語るのは、おこがましいだろうか?


「こんなことを言ったら須羽さんに怒られちゃうかもしれないけど……私はね、ミドウサマが実在しようがしまいが、はっきり言ってどうでもいいのよ。

 だけど、もし今この学校に、昔の私と同じように人間関係に悩んでいる子がいたら、そしてもしもその子が今の自分を変えることを欲していたなら……ミドウサマが、その子にとって一つのきっかけになればいいなと思ったの」


 かつての先輩にとってのミドウサマが、そうであったように。


 だから授業後の雑談の形で、伝承を復活させたわけか。なるほどそれはよくわかった──でも、それなら何故、三神那月さんはミドウサマを“演出”しなくてはならなかったのだろう? そこまでこだわりがないはずの彼女は、どうして田中先輩などという架空の生徒に化けてまで、儀式に手を加えなくてはならなかったのだろうか?


 答えの端緒を与えてくれたのは、三神あまねさんだった。

 彼女は唐突に、叫ぶように言った。「そう、それだけだった! ナツ姉さんはただ、私みたいな弱い子の助けになりたいだけだった! なのに、あの人──ミドウサマの噂を頭ごなしに否定して、わざとゆりちゃんが怒るように仕向けた! その上あいつは、自分が絶対的に有利な立場にいるもんだから、ゆりちゃんに恥をかかせようとした!」


「肩を持ってくれるのね、あまね。この間は私のせいでこうなったと言わんばかりだったのに」


「それは──」


 従姉のさらりとした言葉に、あまねさんは気勢を削がれたように黙ってしまう。

 そんな彼女をよそに、先輩は僕と須羽さんに説明してくれた。「あまねが電話をかけてきたの。この間、つまりあなたたちが吉川君を交えて話し合いをした日の晩に。すごい剣幕だったわ。私のせいで友達がピンチに立たされている。責任を取れ、ってね」


「ああ……」


 話がわかってきた。つまり先輩としては、自分がした雑談のせいで誰かが不幸になるような事態は避けたかったのだ。

 あの吉川君のことだ。なまじ中途半端な異変が顕れても、それがミドウサマの“しるし”だなんて決して認めないだろう。だから先輩は見せる必要があったのだ。彼のような不信心者さえ驚きたじろぐような、強烈なやつを。割れる蛍光灯。確かに威力は絶大だ。


 と、そこまで考えたところで、僕ははたと膝を打った。


「ああ──だからあの時、君は嘘をついたんだね」あまねさんの方に向き直って、言う。「あれも電気をつけるための方便だったんだ」


「嘘?」


「暗闇が怖いだなんて、ご冗談でしょう。写真部員の君ともあろうものが」


 僕の指摘に、あまねさんは頬をピンク色に染めた。「香宮君、性格悪い」


 ひどい言い草だ。


 写真の現像は、暗室という外部の光を遮断した空間で行われる。アナログカメラを愛好し、一人で現像さえできてしまう彼女が暗闇を恐れるなんてことが、どうしてあり得るだろうか?


「余計なことを……」須羽さんが大きく嘆息してみせた。「あまねが気にすることじゃないでしょ。だって、啖呵を切ったのは当の私なんだから」


「そんな風に言うもんじゃないよ須羽さん」性格の悪い僕は、あまねさんの思うところまで代弁してしまう。「三神さんはね、君のことをすごく心配していたんだ。君がいいって言っても、彼女は嫌なんだよ」


 だって、彼女は君のことが、心から好きなんだから。

 ──とは、さすがに照れ臭くて言えなかった。


 ああ。そういえば、この人たちの出会いのきっかけも、写真部の部室で起こった幽霊騒ぎだっけ。

 那月先輩の言う通りだ。怪異譚は、僕らにとっては貴重なコミュニケーション・ツールなのだ。新しい友情を育むこともあるし、時には自分を変えるきっかけにもなり得る。


「話はそれで終わりか?」


 不意に、ひどく冷たい声がした。

 振り向くと、誰あろう、吉川君が教室の入り口で仁王立ちをしていた。「探したぜ、香宮」

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