第16話 新たな部員候補 その1

「なぁ、一つ聞いていいか?」


「はい、なんでしょう」



お茶を淹れる手を止め、蔡未が重ねた両手を体の前に持っていく。



「お前さ……その、今広まってる噂のこと知ってるのか?」


「私とお嬢様が、宗太さんに脅されているという噂ですか?」


「なんか俺が聞いたのよりだいぶひどくなってる!」



もはや口説き落とすとかそんなレベルではなかった。



「最近、いつも聞かれます。『どうしてあいつなの?』とか『絶対ヤバいよ』とか。でもこれも一時的なものでしょうし、あまり気にする必要もないと思われますが」


「噂っていうのは、だんだん尾ひれがついていくものなんだ。このままだと、話がもっと大きくなるかもしれないんだぞ?」


「こちらも、なにも手を打っていないわけではありません。私自身もその噂に関して強く否定してますし、その辺はお嬢様もちゃんとわかってらっしゃるので」



蔡未が視線で示す先には、イスに座っている一千夏の姿。目をつむり、時たま小さくため息をついている。



「……燃え尽き症候群か」


「燃え尽き症候群?」


「作品を終えた後に起きる現象だ。ゲームという媒体を通して、様々な人生を体験したんだもんな……そりゃあ、燃え尽きもするよ」


「なるほど、ギャルゲーをプレイするのは色々と大変なのですね」



全く大変そうじゃない物言いで、蔡未は答えた。



「でも、あんな感じになってたら噂を否定するなんて無理じゃないか? ただでさえ、今は付け焼き刃の敬語でキャラブレブレなのに」


「ああ見えて、お嬢様はしっかりしてらっしゃるので大丈夫です。実際、今朝その話をされた時も上手く回避してましたし。ね? お嬢様?」


「……ふふっ」



一千夏は目をつむったまま、上品な笑みをこぼす。



「……という感じです」


「という感じです、じゃねーよ。あれって答えに困った時にやる最終手段だろ。俺、最近ようやくわかってきたよ」



教室で色々な相手から話しかけられる一千夏だったが、その中でふとした瞬間、今のように笑う場面があった。


それにずっと違和感を抱いていたが、ここ数日の付き合いでようやくわかった。


あれは彼女が編み出した、答えに窮した時にやる一種の相槌のようなものなのだと。



「しかし、あれでも十分、噂の否定はできてると思うのですが。宗太さん的には、どの辺が不満なのですか?」


「あんな反応されたら、逆に肯定と捉えられても仕方ないって事だよ。それなら、まだ『違う』って一言でもそう言ってくれた方がいい」


「ふむ……たしかに、その通りかもしれません。では今度からそうするようにと、お嬢様にも伝えておきます」



表情は変わらないが、蔡未は言われた事はきちんと実行するタイプの人間だ。


だから、この件は二人に任せた方がいい。変にこっちが介入して、話がややこしくなってもいけない。ひとまず、宗太はそう結論づけた。



「……そういえば、あれから白川先輩はどうだ? 向こうから接触あったりしたか?」



そして昨日、部を騒がせた舞冬に話題は移る。



「いえ、私の方にはなにもありません」


「そうか」



昨日の一件以来、舞冬とは顔を合わせていない。


まだ一日しか経ってないので、たまたまという可能性もあるが、宗太の心中は風に揺れる竹やぶのように妙にざわついていた。



「昨日も生徒会の仕事が残っていると言ってましたからね。慌てずとも、近いうちにまた部を訪問しにいらっしゃるのでは?」


「正直、それが一番困るんだがな……」



部室が無くなるのも困るが、その未来はもっと困る。主にこちらへのプレッシャー的な意味で。


そんな私情にもほどがある事を思う宗太だったが、ふとーー



「うん?」



視線の先。二枚のガラスで構成された部室の窓に、なにかが映った気がした。


もっと言えば、人影のようなものが。



「今のは……」



シャーーーーーーーー。


そして、気づけばカーテンが閉められていた。



「……木の上のツバメがこちらを見ていたので。もし万が一、窓にでも突撃されたら大変です。では、今日の部活はどうしますか宗太さん?」


「いや、ごまかすのヘタクソか! 大体、近くに木なんか生えてないだろ!」



渾身の腕の振りを加えて、全力でそうツッコむ。



「ならムササビという事で。ムササビが空からこちらを見てたので、それを回避するためにカーテンを閉めただけです」


「いや、もういいから。……大方、噂の確認をするために誰かが部を覗いてたんだろ?」



宗太の見解に、蔡未は驚いたように目を見開いた。



「……宗太さんは知ってらしたのですね。私の行動の意味を」


「まぁ、俺も噂の話聞いてから気づいたんだけどな。大体、どうして隠そうとするんだ?」


「その方が一流のメイドっぽいので」


「ペラペラな理由だったっ」


「しかし、バレてしまったからには仕方ありません。こちらから行動を起こす事で事態が収められるなら、それに越したことはありません。それにいい加減、わずらわしく思っていたのも事実ですし」



蔡未は部屋を出ていこうとする。どうやら、さっきの人影を追うつもりらしい。



「待った、お前その格好でいくつもりか?」


「すぐ終わります。こう見えて私、足速いので」



停止もむなしく、蔡未は飛び出していってしまう。部活初日の時とは違い、今度はメイド服姿で。


……もしこれを見られたら、それこそ変な噂とか立つんじゃないだろうか。心配でならない宗太だった。







「ただいま戻りました」


「早っ。出ていってから、まだ数分も経ってないぞ?」



あまりのスピードに驚きを覚えつつ、戻ってきた蔡未の背後を覗き込む。


横に広いメイド服のせいで誰もいないように見えるが、そこにはかすかに人の気配が感じられた。



「……誰か後ろにいるのか? クラスメイト? それとも、別のクラスのやつか?」


「いえ、どちらでもありません。とはいえ、私もまだ学年全員を把握しているわけではないのでーーその判断は宗太さんにお任せしようかと」



そう言い置いて、蔡未が横に移動する。


そこにいたのはーー



「……あ、あう……」


「……下級生の子?」



判断材料となったのは、主にその見た目。


ドアの半分くらいしかない背と、おびえるような表情。まるで小動物のような雰囲気を醸し出す彼女は、明らかに同学年ではなかった。



「この子が、さっきの人影の正体なのか?」


「はい。走って逃げていくところを、私が早歩きで捕まえました。予想以上に、彼女の走るスピードが遅かったので」


「そりゃ息も上がらないはずだわな」



下級生と思わしき少女は、手をもにょもにょと動かし続けている。動揺の表れ。本当にこの子なのだろうか。


気になる事は山積みだが、それも含めて、宗太は事の詳細を少女に尋ねてみることにした。



「あ~……えっと、さっき部室覗いてたのって君か?」


「……(こくっ」



肯定。どうやらこの子で間違いないらしい。



「二年……じゃないよな多分。一年生で合ってる?」


「……(こくっ」



これも正解。もし三年だとしたら敬語を使っていないので失礼だと思ったが、ひとまずは安心。



「その方は誰ですか宗太さん? わたしにも紹介してください」


「いや、お前こそ誰だよ」


「なに言ってるんですか、わたしです、鳳ですよ。ふふっ、相変わらず冗談がお上手なんですから」



新キャラが現れたと思ったら一千夏だった。どうやら無事、燃え尽き症候群から抜け出したらしい。


だが、今の反応は少しマズかった気がする。部室だからといって安心しきっていたが、これはとっさに対応できなかったこっちの失態だ。


そんな事を考えていた最中。



「……宗太、さん」


「へ?」



想定してなかった方から自分の名前が聞こえて、宗太は驚く。



「今、俺の名前呼んだ?」


「……は、い。呼びましたっ……名前」

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