第44話

 紺乃の屋敷を去って夕方。

 正式に萌奈さんと恋人になった俺は、彼女の家に招かれていた。


 休み明けになったら、教室で色んな奴に絡まれることを想像する。


 別段クラスメイト達と仲が悪い訳ではないので、いいのだが……萌奈さんと話す時間が減るのはイヤだ。


 なんて粋なことを考えていると、萌奈さんがコップを渡してくれる。

 今日はいつもと違ってジュースだった。


「これは……何のジュース?」

「ライチだよ。見た目だけだとわかんないね」

「ああ。てか、この家でジュースって珍しいな」


 恋人関係になる以前から大分通ってきたけど、ジュースが出てくるのは初だ。


 コーヒーが飲みたいのが本音だった……でもそれは、少し眠気を感じていたからだろう。

 今の俺は、すっかりカフェインが切れている状態だった。


「伊織さんが果実の甘みだけで十分だってドヤ顔で言っていた頃を思い出して、ね」


 萌奈さんが、涼しげな表情で目を細めた。

 そんな台詞を言った覚えがあるようなないような……。


 とにかく俺の言ったことを覚えていてくれたことは素直に嬉しい。


「これも、ジョシュさんから?」

「ううん、違うよ。スーパーに売っていたから買ってきた。どうして?」

「トロピカルフルーツだから、メキシコ産でもおかしくないと思ってさ」


 赤道直下ではないけど、暖かな気候で採れる果物。

 絶対そうだと思ったのに、違ったようだ。


「それって……ライチが珍しいから?」

「突然あまり食べないようなフルーツが出てきたら、そりゃ何かあると思うのが普通じゃないか?」


 ライチと言えば、貧血改善の効果がある葉酸が含まれていることくらいは知っている。


 とはいえ親しみがあるか否かで考えれば、否である。

 すると、萌奈さんは俺の顔を見ながら笑った。


「伊織さんって、そういうところあるよね~」

「いや、どういうところだよ?」


 萌奈さんのことが段々とわかってきた俺でも、流石にわからないことはある。


「違和感があったら、すぐ気難しく考えちゃうところ。探偵に向いているかも?」

「幾ら俺が天才だからって、人を疑うことに関してはド素人もいいところだろ。長年、幼馴染の気持ちを曲解していたくらいなんだから」

「ふうん。自分で天才と自称するとは……伊織さんも吹っ切れたんだね」

「まあ、な」


 もう、紺乃との決着はついたし、天才で居続けるみたいなことを約束してしまったからな。


 何より、萌奈さんに対して誤魔化し続けるよりも、自信を持って主張したかった。


 折角出してくれたジュースなので頂く。

 すっきりとした果実の甘み。乾いた喉が潤う。


「中々良いな。夏は常に自販機で売って欲しいくらいだ」

「ふふん、ちゃんと濃縮還元果汁100%だからね!」

「果汁100%はわかるけど、濃縮還元の部分は強調しなくてもいいだろ」


 すると、また萌奈さんはムッとした表情を浮かべた。

 俺の突っ込みがどう考えても悪い……筈だった。


「ほらまた変なところに引っかかる! 伊織さん相手だと、サプライズとか大変そうだよぅ」

「つまり、意図していたことだったのかよ」

「そうだよ。次にパパにお願いする時は、現地のライチを送ってもらって、ストレートに仕上げようと思ったのに~」


 惜しそうに言うけど、絶対にたった今決めたことっぽい。

 てか、自分でネタばらししなければ良かったのでは。


 メキシコから送ってもらえる事から、連想したんだろう。

 小さなことに楽しみを見いだそうとするのは、萌奈さんらしくて……一緒にいて楽しい。


「ストレートと濃縮還元の違いをクイズしたかった……ってことか」

「その通りなんだよ。何も言わずに飲ませて、気付くかどうかの検証企画をあたしの中でプロジェクト始動中だったのに!」

「それは、悪いことをした気がするけど……流石にわかる違いだろ」


 萌奈さんの悔しそうな顔を見て、申し訳なく思ってしまった。


 ストレートとは、実から直接絞りジュースにすること。

 濃縮還元は、果汁の水分を飛ばして濃縮した後に、希釈することだ。


 自分で違いがわかると言ったものの、いつも意識して飲む訳じゃない。


「伊織さんでも、油断している時はわからない筈だから、そんな瞬間にネタばらしして、驚かせる予定だったのしゃ~」

「萌奈先生の次回プロジェクトに期待するよ」


 今の台詞は失言だったかもしれない。

 一回見破られたからと言って、更に凝った企画を実行してこないか心配だ。


「期待しておいて~。どちらの方法で果汁100%ジュースなのか、クイズ形式にする企画をあたしの中でプロジェクト始動中だからね!」

「企画早くないか!?」


 代案が既にあったから、さっきネタばらししたのだと気付く。


 俺に共有するってことは、決定事項らしい。

 萌奈さんが果汁100%のジュースを意識して出してくれただけで、俺は充分嬉しい。

 とはいえ何かが物足りない気もしている。


「ふと思ったんだけど、コーヒーの場合はどうなるんだ?」

「……難しいこと訊いちゃうね」


 これまた、下手な質問をしてしまった。

 気になったことをすぐ調べようとするのが、俺の悪い癖だという自覚はある。


 萌奈さんは博識だから、つい尋ねてしまったけど、甘えるのも程々にしないと。


「そっか、コーヒーの場合はストレートか。そうでなければ、ブレンドだしな」

「今度は、ブレンドにしてみる? 新プロジェクト用意する?」

「いやいや、俺はストレートの方が好きだってわかっているよな? というか、プロジェクトはジュースだけでいいよ」


 コーヒーも、そのままの味が好きだ。

 苦みやコクも楽しめるようになりたいから、そのためにも純粋な味わいを口にしたい。


 いずれ、ブレンドも好きになる未来は容易に想像できるけどね。


「ふふん、わかっていますとも。愛情がブレンドされていると考えれば、素敵でしょ」

「それが言いたかっただけだろ。まあ、好きな女の子が淹れてくれるコーヒーはそれだけで美味しい気がするよ」


 実際に俺達はそうやって心を交わしたのだから。


「ふふっ、そうだね。さて、ここで伊織さんに残念なお知らせです」

「なんだろう……ハニーコーヒーの豆が切れたとか?」

「心を読まないでくれるかな? 正解」

「萌奈さんのことが、わかってきたってことだろうな」


 話の流れと、ジュースが出てくる状況。

 以前に豆の量がもう少ないことは聞かされていたからな。


 加えて、ジョシュさんからの荷物が返ってきていないことはライチの件ではっきりとしており、容易に推測できた。


 台詞からして、早速クイズ形式にしようとしていたことまでお見通しだ。

 萌奈さんはぷくぅと頬を膨らませて俺に見せてくる。


「まったく、もー! それだけ自信満々なら、次にパパと会った時、ボーイフレンドだって胸を張って言えるようにしてよね?」

「じゃあ、俺は萌奈さんをハニーと呼ぶことにするよ」

「えぇ!? いいけど……滅茶苦茶恥ずかしくない? あたしの方はダーリンとか呼んだ方がいい?」

「じょ、冗談だよ。普通に萌奈さんを呼ぶから、萌奈さんもいつも通りで頼む」


 残念ながら、俺はまだまだ萌奈さんを完全に理解できている訳ではないらしい。


 冗談ではなかったけど、お返しに頂いた言葉に耐えられなかった。


 だけど、きっと慣れた頃に、そう呼び合う日が来るんだろう。照れ臭くなる。


「うん、そうだね! ってあれ、伊織さん眠たい? ねむねむ?」

「ああ、伊織さんは眠くなってきました」


 コーヒーがないからか、急激に眠くなってきた。

 他人がいる空間で昼寝をするなんて初めてだ。


(他人では、ないか……萌奈さんは俺の大事な彼女だ)


 目を瞑ると心地よかったが、頬に温もりと感触が伝わる。


「……くすぐったい」


 顔を触られても、文句を言いつつ、目を開けずに眠りにつこうとした。


 しかし次の瞬間、唇に柔らかいものを感じる。

 明らかに手ではなくて、目を開いてしまった。

 目の前には、当然萌奈さんの顔。

 唇に触れていたのは――。


「おはよ! 目覚めのキスはどうだった?」


 童話なら、眠り姫を覚ますキス。

 コーヒー代わりのカフェインにしては、随分と甘かった。


 『ハニーコーヒー』から、『コーヒー』を除いたら字面では『ハニー』しか残らないけど、現実では彼女が欠けた分を補ってくれる。


「甘い……な」

「ふふん、愛情のエッセンスが加わったんだよ。あたしの愛情はちゃんとあるんだって、伝わった?」


 眠たそうな人には羊を数えて睡眠を促すのが優しさだと思ったが、すっかり眠気は去った。

 というか、その愛情の味はよく知ったものだったんだが。


「……萌奈さん、実はコーヒー残っていただろ。特有の香りがした」

「ふ、ふうん。何の事かな~?」


 惚けながら、俺の隣に座って寄りかかってくる。


 俺達はこの家の中で結構一緒に過ごしていた気がするが、思えばお互いに触れ合うことが少なかった。


 だから、かくも横に萌奈さんがいると新鮮に感じる。


「やけに甘えたがりだと思ったよ。別に隠す事でもないだろ。俺だって、最後の一杯くらいは萌奈さんが飲むべきだと思っていたさ……ジョシュさんだって、萌奈さんにあげたんだから、そう望んでいるよ」

「そこは、もっと欲張ったことを言いながら、あたしの唇を奪うくらいしても良かったのに~」


 すると、肩に手を回して後ろから抱き着いてくる体勢になる。

 ふわふわしたツインテールが首筋を撫でた。今日はスキンシップが多い。


 そういえば、紺乃との一件が終わったら、恋人らしいことをするって言っていた。

 俺としたことが、キスすら萌奈さんに先を越されてしまったようだ。


「次からは、そうしよう。そうだ、前のプレゼント、どうだった?」

「スノードーム、気に入ってくれたみたい。でも、次に贈る最大のプレゼントは、あたしたちが付き合っているっていう更に特大なニュースだけどね」


 萌奈さんは自信満々に言う。

 そういった近況エピソードは、ジョシュさんと直接顔を合わせて伝えたいもの。


 とはいえ彼が多忙なのは知っている。次はいつ会える日が来るか、わからない。

 それに、ジョシュさんにとって……俺達の関係は変わらないものだった。


「一応ジョシュさんって俺達を恋人関係だと勘違いしているんだろ? 今更のニュースじゃないか? 萌奈さんは抜けているところあるからなー」

「最近の前途多難なエピソードでも語ってあげれば、逆にインパクトあるでしょ? ちゃんと考えています~」

「確かに……それなら驚きそうだ」

「でしょ! 参った~?」

「はいはい、お手上げだよ。景品は骨抜きにされた伊織さんです」

「わーい! ……ちょっと、顔逸らさないで見せてよ。あー、わかった。照れてる~?」

「……照れてるよ」


 まだ、キスの味が残っていた。

 コーヒーの後味のように素敵な余韻が世界を彩ってくれる。


 ああ、本当に……萌奈さんの隣で過ごす時間は、眠るには贅沢すぎるようだ。

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困っている人を助けたら、その娘が学園一の美少女ギャルで、なぜか懐かれた 佳奈星 @natuki_akino

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