第43話

「ん……? 時間は作ったんだが、立て込んだ話をしていたもんだから、聞いておったよ。伊織くん、久しぶりだね」


 どこからか聞いていたんだろう。

 かなり序盤の方からだろうか。だとすれば椿さんが慌てて去ろうとした事に合点がいく。


「お久しぶりです、辰未さん」

「き、聞いていたの?」

「そう言ったな。それで……俺の出番は要らないよな?」


 すっかり口調の崩れた紺乃が、動揺を隠せないでいる。


 元々、呼び出した一番の理由は、辰未さんに俺を説得させたかったのだろう。

 父さんから俺に連絡が届いた以上、辰未さんが話を通していた事には気付いていた。


「兄さんとの話し合いは済んだからいいけど、空気を読んで来ないで欲しかったのに」


 紺乃が辰未さんに文句を言う。

 さっきとはまるで態度が違うけど、親子なのだからかな。


 そもそも年頃の中学生は、こんな感じが普通だったか。


「反抗期を改めるっていうから、時間取ったのに、直りやしねぇな。愛しの伊織くんの前では優等生だったのに、これだから――」

「お父……これ以上、兄さんの前でやめてくれる?」


 最早、親に対する敬称を付けることも我慢できなくなって、紺乃は本気で怒っていた。

 すると、呆れるように溜息を吐く辰巳さん。


「しかしなぁ、もっとラノベみたいなハッピーな展開になると思っていたんだけどなぁ」


 辰未さんらしからぬワードがチラホラと……聞こえた気がする。


「ああ、伊織くんが紺乃に勧めてくれた小説面白かったぞ。ライトノベル……だったか?」

「はい。確かに紺乃に勧めましたけど、お忙しいのでは?」


 俺が勧めたラノベは幾つかあるけど、一巻でも読むのにある程度時間が掛かる筈だ。

 今の忙しい日々よりも以前に読んだと考えれば自然なのだが、辰未さんは目を逸らした。


「それは俺に効くから言うな。ついでに紺乃の部屋に隠されていた薄い本も中々悪くなかった。あれも伊織くんからのプレゼントかね?」

「そう、です」


 薄い本? 何の事だろう。

 隣の紺乃を見てみれば、恥ずかしそうに目を逸らされた。


 なんとなく、その様子が親子で似ているなんて思ってしまう。


「ははっ、良い趣味しているな。はぁ、俺は伊織くんが紺乃を貰ってくれりゃあ良かったと思っていたんだけどな」

「……辰未さん」

「いや、忘れてくれ。そうだ、今度でいいから、彼女さん連れてきてくれよ。伊織くんが選んだ人なら、紺乃の模範にでもなるだろ」


 模範になるかは、わからないけど、仲良くはなるんじゃないかな。

 お互い努力家だし相性は良いはず。しかし紺乃は眉をひそめていた。


「本当に、私よりも小笛さんが優秀かな?」

「優秀だぞ。前の期末試験の結果、伊織くんと僅差じゃないか」

「えっ、本当なの!?」


 信じられないというような表情の紺乃に俺は頷く。

 どうして紺乃が知らなくて辰未さんが知っているのか。


 それ以前に、俺以外にも個人の成績が漏れていることは問題にならないのか。

 彼が権力者だから、ということで納得するしかないのだろう。


「……知っていたんですね」

「紺乃から、一応調べてほしいって言われて、な。俺の方で内密に調べたけど、良い人捕まえたな」

「はい」


 内密に調べたという言葉が引っかかるけど、祝福してくれることを喜んだ。

 すると、紺乃が不貞腐れたような声で辰未さんへぼやく。


「えぇ……どうして教えてくれなかったの?」

「資料渡したのに、お前が伊織くんのしか見ていなかったんだろ。何言っているんだ」

「…………」

「ハーフだってことに、敏感なやつもいるが、俺が生きている限り大人しくさせるから安心してくれ」


 学校の機密情報を確認できるなら、もしやと思っていたが、やはり知っていたのか。


 しかし、紅葉家が小笛家の家族構成を知っておきながら何もアクションを起こしていないなら、辰未さんが隠してくれているのだろうか。


 いや、紅葉家にも変化が訪れている……認識そのものが変わってきているのかもしれない。


「私がいるのに、危険なんてあるわけないけどね」

「お前に逆らえる奴がいないのは、ずっと前から大問題だ。やっぱり伊織くんが……あ、そうだ、久しぶりに来てくれたんだから、庭園でも見て行ってくれ」


 紅葉の庭園をじっくり見る機会は長いことなかった。

 美しい風景に癒されるに行くのも一興だ。


「はい。そうですね……今日はそのまま帰ります」

「あ、兄さんにお供します!」

「紺乃は、見送ったら、すぐに戻ってこい。いいな?」

「はぁい」


 気の抜けた返事をする紺乃。

 早速庭園へ向かい、俺達は再び二人きりになった。


 俺が景色に親しんでいる間、紺乃も空気を読んで無言でいてくれる。

 風が心地よかった。


「ところで紺乃……薄い本って、何だ?」

「それは、あれですよ。まあ、色々とあるんですよ」

「まあ言いたくないなら、いいさ」


 まあ俺が庇ったとはいえ、辰未さんは紺乃の所有物だって気付いているか。

 すると、俺の背中を叩いてきた。

 痛くないけど、紺乃にしては珍しい行動での反応。


「ちょっと、兄さん? なんで素っ気なくするんですか?」

「え、だって、明らかに訊いてほしくなさそうだったじゃないか」

「そうですけど……女の子はそういうのにムカつくんですよ?」

「そうだな。知っているよ」

「はえっ!? うっ、嘘を言わないでください。そんなの兄さんらしくないですよ!」


 何をそんなに驚いているのか。

 俺がいつまでも女心のわからない男だとでも思われていたのなら、心外だ。


「人は恋をすると、変わってしまうもんなんだよ」

「……そうみたいですね」


 寂し気に、されど俺の成長を嬉しそうに、大人びた表情で紺乃は俺を見送ってくれた。

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