第40話

「……ヘアゴム?」


 プレゼントの中身は、二個セットのヘアゴム。

 一目見て目立つ赤いリボンが付いた特徴的なデザインで、リボンの結び目にローズクォーツが埋め込まれている。


 以前、女友達同士で交換し合う宝石付きヘアゴムセットが流行っているという話を鹿波さんから聞いて閃いたこと。


 二個セットのペア物を売りとしている人気ブランドに、俺はオーダーメイドを注文した。


 それがツインテール用のヘアゴム。


 丁度この日に注文予約を入れていたのだ。

 さっき萌奈さんがレジの列に並んでいる間、俺が急いで受け取りに行ったのはこれだった。


「……嬉しい! こんなロマンチックなこと、あるんだね。こんなの、予測できないよ。あたしの好みもよくわかっていて……感動しちゃった」

「いずれ、乙女心を学んだ伊織さんが、必ず指輪をプレゼントしますから、今はこれでお願いします」

「ふふっ、それは楽しみだね。でも、ペアで宝石付きの輪ってところは同じだし、なによりあたしがロマンチックに感じたので、もう十分以上に嬉しいんだよ。お返しに、これからは乙女心を教えてあげる!」


 お洒落好きな萌奈さんが喜んで付けてくれるような特徴的なデザインを選んだつもりだ。

 しかし、まだまだ俺は彼女のことを全部知っている訳じゃない。


 もっと似合うものがあるかもしれないし、これから探したいとも思っている。


「ああ、頼むよ。……良ければ、結ってみてくれないか?」


 萌奈さんは手鏡も使わずに慣れた手つきで、自分の髪をツインテールに結ぶ。


「どう?」

「凄く似合っているよ。目の保養になる」

「言い過ぎ~。嬉しくなっちゃうでしょ!」


 本当にプレゼントして良かったと心から思った。

 見慣れた髪型だった筈なのに、初めて見る萌奈さんの顔。


 俺の目はもう彼女にくぎ付けだった。とてもかわいい。

 視線に気付いた萌奈さんが満更でもなさそうな顔を浮かべ、照れ臭くなった俺はようやく顔を逸らす。


「さて、可愛いあたしをもっと見てもらう前に、片付けないといけないことが多いね」

「……そうだな」


 惚れた弱みなのか、本当に可愛いと思ってしまい冗談でも否定できない。

 しかし、そんなことは当然のように見抜かれている。


「もー、伊織さんも素直じゃないなぁ。そういうところから、慣れていかないとね」

「間が空いたから、ばれてしまったか。可愛いよ」

「もう時効なので次からは気を付けるように~。それと、彼女に隠し事ができると思わないように。さて、勉強も然り、伊織さんにとっては、紺乃さんとのことがあるね」


 隠し事をするな、とは言わないのか……それは今までの行いを顧みれば当然か。

 信頼の為にも、萌奈さんに隠し事をするつもりはないけど。


「やっぱり紺乃のことは……気になるか」

「あたしからすれば、恋のライバルみたいな感じだし、気にするよ。それに、今だから言うけど、紺乃さんが……本気で伊織さんのこと好きだと思うから」

「え……? それは、何故だ?」


 言葉が詰まりそうになったが、何とか疑問を弄した。


 というか、俺が紺乃を好きだったことではなく、その逆?

 俺の事情を話した時、紺乃への恋心は見抜かれていなかったのだろうか。


「伊織さんには、わからないかもしれないけど、同じ人に恋をすると、ああ、この人は……恋に全力なんだって、わかっちゃうんだ。対抗心のような想いが、胸を熱くなるの」


 嫉妬のような薄暗いものではなく、対抗心か。

 それが何故か萌奈さんらしくて、安心した。

 けれど、それは勘違いではないのだろうか。


「でも、紺乃は俺を恨んでいる……って、そう言っただろ? 愛憎が入り混じっているなんて信じられない」


 紺乃が俺に尊敬しているとはいえ、それまでだろう。

 神童とまで呼ばれた秀才とはいえ、精神面では子供。そんなこと到底考えられない。


「そうじゃなくて、きっと伊織さんは見落としているだけだよ」

「……俺とは違う何かに気付いている、ということか」

「うん。塩を送りたい訳じゃないけど、どうしても疑問に思っていることがあって……紺乃さんは、本当に伊織さんを恨んでいるのかな?」

「それは……ああ、そうだよ。だって、はっきりとそう言われたんだ」

「恨んでいることが嘘じゃないとして、伊織さんの言う努力を踏みにじったから……っていう理由には違和感があるなぁ」


 俺にとっては疑いの余地がなかったけど、萌奈さんにとっては違うらしい。


「違和感もなにも、紺乃はそのことを恨んでいるって言って――いや、確かに内容までは断定していなかった」


 思い返してみれば、紺乃が俺に対して何を恨んでいるのか、言葉にしたことはなかった。


 てっきり、親戚に言われた通りの理由だと思っていたけど……まさか、勘違い?

 頭をぐるぐると回る。そんなこと、あり得るのだろうか。


「あたしも紺乃さんと同じ努力家だからなのかも……違和感があったんだ。伊織さんの才能を垣間見た時、あたしは、すごいって思ったから」


 だけど、紺乃と萌奈さんは違う。

 萌奈さんが冴えない同級生でしかなかった俺に目を向けたのは、ジョシュさんと重ねたのだと言っていたじゃないか。


 紺乃は最初から俺が天才だと知っていた前提であり、それが当たり前だった。


「だからね……同時に疑問だったんだ。どうして伊織さんが手を抜いているのか」

「それが、紺乃の内心に関係することなのか?」

「断言はできないけど、考えてみて? これって、伊織さんが紺乃さんにした過去の事件と、あんまり変わらないんじゃないの?」

「どういう、いや――」


 あ、ああ……そうか、そうだな。そういうことか。


「確かに、それを騙したと考えられることかもしれない」


 俺の才能を知っていれば、手を抜いていることは騙している事と遜色ない。

 あの事件で俺が紺乃にしたことと同じだ。


 思い返せば、口論の原因も俺が馬鹿にしたからではなかった。

 紺乃が泣き出してしまったのは、卑劣なやり方で騙したこと……手段に対してだった。


「だから多分、紺乃さんは違う事を恨んでいるんじゃないかな。それこそ、伊織さんが才能を隠すようになってしまったことについて、とか」


 可能性を否定できない……いや、したくない。

 完全に盲点だった。この仮説は……臨界期仮説に希望を打ち砕かれてもめげなかった萌奈さんだからこそ、導き出せたのかもしれない。


「俺のやり方が、空回りしていたって? ははっ、そんな――」

「あたしが保証するよ。伊織さんの才能は、誇れるものだよ。伊織さんからすれば、この考え方はできなかったんだと思う。でも、本当に心当たりはない?」

「……ある。紺乃は会う度に、俺の才能を示してほしい、と言ってきたんだ」


 紺乃が俺の才能に憧れていることはわかっていた。

 しかしそこに含まれた意味合いまでは考えたりしなかった。


 俺にとっては、憧憬の事実だけが重要で、自分のエゴを満たしていたものだったから。


「紺乃の望みが、俺に本気を出させることだったから、過去を思い出させて清算させたいんだと思っていた」

「だけど、勘違いかもしれない。紺乃さんは努力を踏みにじられた、なんて思ってないとあたしは思うよ」


 勝手に罪悪感を抱いていただけ……俺の被害妄想も酷かったのかもしれないな。


 俺が自らの才能を無かったことにして、また騙されているように感じた紺乃が俺を恨むようになった。


 それは、そのまま俺に発破をかける理由にもなりうるのである。


 萌奈さんの仮説は、筋が通っている。

 正解だと思っていたパズルが、俺の中で再構築し始め……完成した。確信できた。


「それに、伊織さんが親戚に沢山説教されて本気を出さなくなったことに、後ろめたく思っているのかも。そう考えれば、本気を出して欲しいと望むのは、自然じゃない?」

「俺の尊厳を取り戻すためだとしたら……辻褄が合う、か」


 その可能性は、受け入れるに足る説得力があった。

 今まで逃げ続けてきた自分を恥じる。

 こんなにも違う解釈ができるなんて……信じられなかった。


「きっと紺乃さんの視点では、伊織さんはとんだツンデレさんだよ?」

「そうかもな。否定できそうにない」


 隅々まで俺のことが見抜かれている。

 理解されていることに、安心感が生まれる。


「だから、諦めの悪い紺乃さんは、多分何か仕掛けてくると思うよ」

「それは、俺も考えていた。まだ何をしてくるかわからないけど、近々話す機会が訪れるだろうから……その時、紺乃を振るよ。もう俺には決心がついた」

「辛かったら、あたしのせいにしてもいいからね?」

「萌奈さんは、優しいよ。だけど、見縊らないでくれ。彼女に責任を押し付けることはしない。その気持ちだけで十分支えになっているから……ありがとう」


 俺の苦悩に全力で寄り添ってくれた萌奈さんへ、心からの感謝を込めて伝えた。


「どういたしまして。気が楽になったなら、この後、あたしの家で一緒に勉強しない?」

「そうだな。願ってもない。英語以外は任せてくれていいよ」

「じゃああたしも、英語だけは任せて!」


 俺達の恋人関係を進展させるためにも、目先の事から片付けなければいけない。


 まずは、紺乃と許嫁になる話を白紙にすることだ。

 学年一位は、正直難しい。


 幾ら天才でも、ここはフィクションではなく現実であり、時間的限界が存在する。


 だけど、萌奈さんと二人なら、不可能には思えなかった。

 天才に常識は通用しない。秀才に断念は存在しない。

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