第39話

 書店や小物店等を二人で巡り昼後。

 俺達はすっかりコーヒー店で落ち着いていた。

 ずっと歩きっぱなしだった訳ではないので、特に疲れてはいない。


 ただ俺達にはこうしてコーヒーを飲みながらお喋りするのが似合うらしい。

 でも、お互い一息吐いてみれば、しんみりとしたような空気が漂う。

 加えて、何かを言いたげな表情をしていた。


「萌奈さん……言いたいことがあるなら、言ってくれ。この後の予定も決まってないから、行きたい場所があるなら付き合う」

「あ、ううん。行きたい場所とかは、特にないの。ただ、思いだしちゃって……紺乃さんのこと。ほら、一昨日は、投げ出したような形になっちゃったでしょ?」

「ああ、それを気にしていたのか……割と悪くない結末だったんじゃないかな」

「本当? 正直な話、あの時の伊織さん怒っていたよね。伊織さんの彼女をあたしが名乗り出たこと」

「あー、それは……感情的になっていただけだよ。深い意味はないから、忘れてくれ」


 適当に誤魔化したが、謝罪だけは本心からした。

 裏切られたような気がしたと自分でも思っていたけど、違う。


 萌奈さんが彼女を名乗ってくれた事が嬉しくて、それが紺乃にとっては嘘で通ってしまったのが、腹立たしかったんだと思う。そういう事にしておこう。


 我ながら、自己中心的な憤りに駆られていたと酷く反省する。


「そう? じゃああたしも気にしない。それで、その……紺乃さんには、あたしが伊織さんの彼女って紹介しちゃった訳だけど、ばれちゃったんだよね?」

「……そうだな。前向きに考えれば、萌奈さんには迷惑をかけずに済んだ」


 俺の言葉が癪に障ったのか、萌奈さんは呆れたように言う。


「あの……さあ、気付いていると思うけど、あたしに彼氏はいないんだよね。気付いていなかったら、隠していてごめんなさい……なんだけど」

「……何となく察していたよ。そうじゃなきゃ、嘘でも俺の彼女に名乗り出る事も無かっただろうしさ。別に怒ってもいない。俺の勘違いだったわけだからな」


 今更掘り下げることでもないし、淡々と受け入れる。


「じゃあさ、その彼女のフリなんだけど、あたしでもいいんだよね? その、継続して」


 ぎこちない言い方に、時々見せたことのある俯きそうな顔を見せる萌奈さん。

 本心からの言葉ではないことをありありと表している。


 俺もヘタレの自覚はあるけど、萌奈さんだって大概だ。

 萌奈さんは、こういう時素直にならない事がある。

 もし、俺の予想が当たっているなら、この機会を逃す訳にはいかないと思った。


「彼女のフリは、しなくていい。萌奈さんには迷惑かけないよ。紺乃とは、どの道俺一人で向き合う必要がありそうだ」

「そ、そうなんだ。大丈夫なら、いいんだけど」


 残念そうな顔をわかりやすく見せる。いつもの萌奈さんだったらここで引き下がらない。

 だから、今回は俺の方が引き下がる訳にはいかない。


 確信がある訳じゃない……ただ、思うままにぶつかってみる覚悟はできていた。


「……萌奈さんはとても魅力的な女の子だと思うよ」

「え……?」


 突如として褒めだした俺に、萌奈さんは戸惑った。でも、俺はそのまま口説く事にする。


「誰にも見せないけど、やりたいことに全力を注いでいることを知っているよ」

「ちょっ……待って。伊織さん?」


 萌奈さんの部屋を見たことは一先ず内緒にして、ただ事実だけを話す。

 そこは俺が褒め下手だという事で、許してほしい。


「つまり、萌奈さんが素敵な頑張り屋さんだってこと、俺は知っているんだよ」

「事実じゃないとは言えなくもないけど、え、急に褒め過ぎじゃない?」

「萌奈さんが素直になってくれないと、俺が困るんだ」

「……どうしてあたしが素直じゃないってわかるのかな」


 俺の事を理解してくれているのに、どうして逆はあり得ないと思うのか。


「勘じゃ、ないよ。俺は……好きな女の子の落ち込む姿を見逃せないんだ」

「え……?」

「萌奈さんと過ごす日々、あのコーヒーを一緒に飲んだ時間は居心地が良かったけど、今も同じくらい気持ちが軽いんだ。それは、萌奈さんが一緒にいるからだよ」


 萌奈さんと過ごした思い出は、何もかもが特別だった。

 時間や場所を問わず、たった今だって紛れもない。


「え、待って。本当に……?」


 息を呑んで疑うように言うけど、薄々気付いていたんじゃないか?


 俺は今日、ずっと萌奈さんのことばかり見ていた。

 気付かないほど鈍感だとは言わせない。

 だから今度は俺の番だ。


「本当だよ。萌奈さんのことが大好きです。俺と正式に付き合ってくれませんか?」


 彼女のフリは、萌奈さんが本当に彼女になってくれれば、必要ない。


 意地悪な口説き方をしている自覚はある。

 だけど、これでいい。打算でいいと言ったのは萌奈さんだ。


 真剣なのは顔を見ればわかるんだろ? 俺は本気だ。

 返事を待つ時間が、まるで映画の……心を揺らすワンシーンを見る時のように長く感じる。


「そっか、そうなんだ……嬉しい。あたしも、伊織さんが大好きです」


 俺達は数秒目を合わせた後、互いにカップへ口をつけた。

 告白に成功したこと後に訪れたのは、嬉しさで舞い上がるようなことはなかった。


 ああ俺は……俺には、萌奈さんしかあり得ないって、思えているらしい。


「これから、よろしくお願いいたします」

「ふふっ、なんか、不思議な感じだね……よろしくお願いします」


 お互い緊張はない筈なのに、礼を尽くすように言葉を交わした。

 俺達の距離感は、このくらいが心地いい。牧歌的な日常ほど幸せだと思うものはない。


「ああ、確かに不思議だ。恋人……しっくりとこないな」

「伊織さんらしいけどね。あ、そうだ、恋人らしいことは……紺乃さんと折り合いがつくまでお預けだからね」


 ああ、確かに……浮かれすぎていられない理由が残っていたね。


 それは期末試験の結果が出て、紺乃ともう一度対峙してからだ。

 勉強に集中していればあっという間だろう。


「……今こうしてデートしているのは、恋人らしくないのか?」

「デートは恋人じゃなくてもするから。そうじゃないと、伊織さんは鹿波に浮気したことになります」

「付き合う前のことだし、とても理不尽じゃないか」

「だから、デートは恋人らしくない範囲に入るので、セーフ。あたしが言いたいのは……ふっ、触れ合うようなことだよ。禁止なのは、恋人らしいことというか、恋人がすること!」


 付き合いたてだからこそ、恋人らしいことはしたい。

 それは俺だけじゃなくて、萌奈さんもだろう。


「でも、手を繋ぐことくらいはいいだろう。というか、していたよな?」

「う、うん。あれは恋人らしいことだからね。キスは、まだダメだよ? ……したいけど」


 恋人らしいことなら、ダメなんじゃないのか。

 手を繋ぐことは直接触れ合うことだし、下手な誤魔化し方をしているように思える。


 まあ最後に小さくボソッと言った台詞が聞こえてしまったので、指摘はやめておいたが。


 俺だって、萌奈さんが彼女になったことを意識すると胸が熱くなる。

 冷たい飲み物を欲してならない。


 いいさ……俺達の関係はゆっくりでも進んでいくことが大事だろう。


「萌奈さんの頼みならどんなに長くても待てるよ……いや、最長一年くらいだな」


 自分で言っていて即座に矛盾していることに気付き恥じた。

 すると、じっと見つめて微笑んでくる。


「最後の一言は、蛇足だったんじゃないかな~」

「……いいだろ」


 萌奈さんのことを好いているんだから、あんまり待たされても困るに決まっている。


「でも、直接触れなければ、恋人らしいことの判定に引っかからなくて良かった。実は、萌奈さんに渡したい物があるんだ」

「ん……?」


 何のことか理解できず、きょとんと首を傾げる萌奈さん。

 それはそうだろう……むしろ、心当たりがあったら怖い。


 俺はボディバッグからとある物を取り出し、そっとテーブルへと差し出す。


「えっ、何? この小さな紙袋」

「さっき駅ビルで買ってきたんだけど、俺から萌奈さんへのプレゼントになるのかな」


 萌奈さんは紙袋を窓から差し込む陽光にかざしているが、中身は見えないだろう。

 お洒落に拘った店は、紙袋一つの質もデザインも凝っているらしい。


「本当? 嬉しいな~。中身はなんだろう。え、まさか……指輪?」

「あ、いや、そんな大層なものじゃない。ごめん」


 抜群に恋人らしいロマンチックさを孕んだ回答だけど、指輪なら四角い正方形のケースを用いる。


 鹿波さんがそう教えてくれた……というのも、最初はそのつもりだったのだから。

 彼女に気持ちが重いと指摘され、他の物を選んだ。


「冗談だよ。触り心地、少し柔らかいもん。それに、本気でそうだとしたら、絶対に告白が成功するとか思われていたみたいだし、ね」

「割と、成功するとは思っていたけど?」

「でも、あたしを軽んじてはいなかったでしょ? ちょろく思われていないならいいの!」


 ちょろい部分を集中的に狙った口説き方をしたつもりだったが、本心が伝わったならそれでいい。まあ……俺はまだまだ乙女心を理解できていないようだが。


 しかし、これも一つ勉強だと思って頷いておいた。


「そういうことか」

「そーゆーこと! さて中身は――」


 萌奈さんはそっと小袋の中から中身を取り出した。

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