第36話

 紺乃との約束を果たすため、真面目に試験勉強をしようと考えてテキストを机に広げた。


 三連休の残り二日で自分に追い込みをかける。

 しかし……恋煩いなのか、萌奈さんのことばかり考えて勉強に集中できない。


 折角の三連休が、萌奈さんを遠ざける一日を増やしていた。


(とてもじゃないが、耐えられない)


 こっちはまだ仲直りすらできていないのだ。

 猫の手も借りたいくらい心に余裕がなかった俺は、すぐに鹿波さんに電話をかけた。

 保留にしていた件をお願いする為だ。


「――という事で、お願いします。鹿波さん」

『もちろん。こちらこそ、協力させてもらうね』


 鹿波さんは二つ返事で快諾してくれた。

 とはいえ、彼女にも俺の事情を伝えなければならない。


 紺乃の話を出すとややこしくなるので、状況は簡潔に説明したが。


「――だから、鹿波さんには萌奈さんをどうにか呼び出してほしいんだ。出来れば、逃げられないように口実を用意して。場所は、後で教えてくれれば何処でもいいから」

『伊織くんの本気が伝わってきて、私も嬉しいんだけど……中々、腹黒いね』

「言い返せない。それにしても、難しいとは言わないんだな。結構、無理を言っている自覚があるんだが」

『心外だなぁ。そんな事思ってもいないよ。だって、萌奈はちょろい方じゃない?』


 そういう言い方は、幼気な萌奈さんを騙すみたいで気が引ける。

 まあ事実、騙して呼び出すつもりだけど。


「……それも、そうだな。でも、確実な手でいこう。今の萌奈さんはナーバスなところがあってもおかしくないからな」

『そこまで言うには、伊織くんにはもう上手くいきそうな作戦を思いついていたり?』

「もちろん」


 萌奈さんがジョシュさんの誕生日が近くて贈り物をする予定が近いことを思い出す。


 それを利用しよう。

 この情報を用いたホットリーディングで、確実に呼び出せる誘導を仕掛ける。


「実際に見に行くことの臨場感を想像させるのは、難しいかもしれないけど、今回の目途としては、そんな感じだ。呼び出せるなら時間は問わないけど、今日か明日がいい」

『わかった。まあ交渉は私に任せて。それで、呼び出した後は?』

「実際に萌奈さんと会ってからは、俺の勝負だ」


 萌奈さんに気持ちを伝える方法は幾つか考えてある。絶対条件は顔を合わせる事だ。

 俺の弱点を利用するんだ。萌奈さんなら、必ず俺の真剣さをわかってくれる。


『ふふっ、わかった。じゃあ、手筈通り、萌奈を呼び出してみるよ。期待していてね』


 その後、鹿波さんは本当に約束を取り付けてきてくれた。

 子供騙しの心理学も、ちょっとしたスパイス程度の意味しかなかったかもしれない。


 殆ど鹿波さんの協力のお陰だろうけど、無事お膳立ては済んだようだ。


 いや、一つだけ問題はあった。

 鹿波さんの癖なのか、集合時間が滅茶苦茶早かったのだ。


 時間は問わないと言った事を少しだけ後悔した。単純に、寝坊しないか心配になったのだ。

 意識して好きな人と会う前日というものは、中々眠りにつけないものである。



 結論から言えば、さながら杞憂。酷い目覚めだったが、早起きは出来た。

 けたたましい電話の着信音が、俺の見ていた夢を一瞬で吹き飛ばしたのだ。


 着信の相手は千里。

 こんな朝から何かと用を尋ねると、例のモーニングコールアプリが、ランダムで俺を引き当てたらしい。皮肉にも、あのゴミアプリが役に立ってしまうとは思いもしなかった。


 酷い目覚めならば尚更と、髪や服装に時間を使ってから駅前へ向かった。


 まだ待ち合わせ時刻前。

 されど、彼女の姿はそこにあった。

 特徴的な金髪が散らし髪になっている少女。

 一目見て萌奈さんであるとわかった。


 プライベートの彼女を象徴するツインテールでないのはわかっていたものの、少しだけ残念。

 自然な足取りで近づき、彼女が振り返るのを待った。


「え……?」


 口を半開きにして固まる萌奈さん。

 予想以上の反応で、つい笑ってしまいそうになるが、我慢する。


「おはよう、萌奈さん。残念ながら鹿波さんは来ることができないみたいだ。だから……俺が代わりに来た」

「そぅ、なんだ……そっかぁ」


 少しだけ、拒否されるかもしれないと怖くなったが、杞憂だった。

 いつも通りの笑顔が、すっぽりと俺の求めていた想いを満たし出す。


「あれ、思ったよりも冷静? もっと驚いて欲しかったんだけどな……戸惑う方が先か」

「驚きましたとも。だって、妄想が現実に……じゃなくて、鹿波がこんなことに手を貸すだなんて想像できなかったから」


 鹿波さんの協力について理解できないようだったが、あまり気にしていないようで良かった。

 何となく、鹿波さんが俺に協力したのだと察してくれたのかもしれない。


「まあ、そうだよな。そこは、俺がどうしても萌奈さんに会いたかったから、お願いしたことだ。鹿波さんに非はないよ」

「そっか。……嫌われてなくて、本当に良かったよ。それでも、一昨日は、ごめん」

「……こっちの台詞だよ。自分が嘘吐いた癖に、つまらないことで裏切られたような気分になっていてさ」


 彼女が俺と同じようなことで悩んでいたことに安心する。


 急に萌奈さんがパンッと手を合わせた。

 静かなロータリーにはよく響いて、顔を上げた俺は萌奈さんと目が合う。


「それじゃっ、辛気臭い話はもうやめよ。やめやめ。伊織さんが気にしていないなら、あたしも気にしないから」


 こういう部分が萌奈さんの眩しさで、やはり惹かれてしまう自分がいた。


「その通りだ。俺も忘れることにするよ」

「じゃあ、デート……しよ?」


 はにかみながら言われる台詞に、ドキッとする。俺は顔に出やすいみたいだから……困る。


 いつもなら即座に揶揄ってくるのに、何も言わないまま俺の返答を待ってくれる。

 どうしたって意識してしまう。


「……ああ、予行練習しないとだよな」


 誘われるような台詞に、緊張を思い起こされる。

 間違いなく求めていない返事をすると、いつもの調子で萌奈さんは呆れだした。


「もー、何言っているの? 男女で遊びに行くんだから、デートだよ。予行じゃなくて、本番なんだよ!」


 若干頬を赤らめながら、断言する萌奈さん。

 無理して言わせてしまった感が否めなくて、情けなさから心を入れ替える。


「あ、ああ。本番だな。うん」

「ずっと前から気付いていたけど、伊織さんって結構ヘタレだよね~」

「そうかな? ……そうだな」


 むず痒いが認める他ない。鹿波さんに滅茶苦茶見え張って「俺の勝負だ」とか言った癖に、今のところダメダメなのだから。


「伊織さんがそうだってわかっていたから、あたしからデートって言ってあげたんだよ」

「不甲斐なくて悪いな」

「そうだよ不甲斐ない! 本当は、伊織さんにリードしてほしかったんだからね?」


 恋する男子の気も知らないで好き勝手言ってくれる。

 身長差でどうしても上目遣いになってしまう彼女の顔が、目の毒だ。


「……今日のデートは、任せてくれ」

「はい、よくできました。後で存分に任せるから、期待しているよ!」


 萌奈さんは俺の手を取って早歩きで歩き出した。

 足どりの軽さから、とてもご機嫌な様子が伺える。


 もちろん、恋人繋ぎのように指を絡めたりはせず、軽い力で引っ張って来る。

 だけど――。


(そもそも友達は手を握り合うんだっけ?)


 その後、俺達は目的地の副都心に電車で移動した。

 移動中、さり気なく言葉を語り掛けると、萌奈さんに膨れっ面を頂く。


「まずはジョシュさんへのプレゼント選びからだな」

「あー、鹿波に言った話が漏れているじゃん」


 俺だってジョシュさんの誕生日が近いことは聞いているんだが……忘れられているっぽい。

 拗ねたような萌奈さんも可愛いし、野暮な事は言わない。


「二人で探した方が早いだろ」

「まあうん、そうだね。それはさ、話が早いからいいんだよ」

「ん? なんだよ、言いにくそうな顔して」

「ただ、あたしの知らないところで鹿波と話しているんだなぁって」

「ああ」


 自分の知らないところでコソコソ話をされていた事に、思うところがあるのだろう、


「それは、俺と鹿波さんが仲良くなったからで、そのことは、萌奈さんの協力あってのものだったよ」

「そう、だよ……あたしのお陰だよ? 感謝してほしいよ~」


 強気に振舞っているけど、ほんの僅かに彼女の声が震えているのを俺は聞き逃さなかった。


「でも、鹿波さんとの仲はこの辺りで打ち止めみたいだ」

「え……? 諦めちゃうってこと?」


 目をパッチリと開く萌奈さん。すごい驚き様だ。

 萌奈さんは努力家だから、諦めるということをあまり考えないのかもしれない。


「そうだよ。俺はやっぱり、紺乃を避ける理由にしていただけで、本心から好きにならなかった。萌奈さんも脈アリっぽくないって言っていただろ?」


 自然と好意が滲み出ないのは、ヘタレ以前の問題だ。


 今、心で感じている温かさが本物だと意識できたから、本当に鹿波さんへの未練がないと確信できる。

 俺は一途にたった一人を愛したいと思う。


「あと、鹿波さんは性格も容姿もいいけど、俺とは相性が悪かったみたいだよ」


 実際、鹿波さんは良い人だし欠点も殆どなかった。

 ただ俺との相性だけは、どうにも良くない。


 焦らしたり話を遮るとちょっと怒るし、承認欲求弱いせいか、褒めても靡かないし……捉えようによってはそれも魅力なんだろうけど。


「ふ、ふうん。そっか」


 目的地の駅に着く間際、萌奈さんは一言溢して、俺から顔を隠すように逸らした。

 嬉しそうなニヤケ顔が、ドアのガラスに映って見えた。

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