第35話
翌日、あたしは三連休であったことを思い出し、朝から憂鬱な気分に浸っていた。
明後日にならないと伊織さんに会えないことがとても残念で、忘れるように自室へと篭り勉強を始める。
試験が近くなってから、いつも通りオタク趣味が目に入らないように仕舞い込んでいた。
でも、予想通りいつもよりも続かなかった。
「わあぁっ! うにゃ~!」
その場に倒れ込んで、呻き声を挙げながらゴロゴロと転がる。
教材や書類が積み上がる空間は寂れていて、満ちない心が訴えかけて気に障った。
すると、身体が机にぶつかり、その上に詰みあがった書類が落っこちてくる。
「いちゃっ! いひゃ~!」
あたしは呆れるように文房具を投げ出し、バタンと扉を閉じて勉強部屋を逃げ出した。
「やっていられないよ!!」
久しぶりにアニメ鑑賞してリラックスしようとリビングのソファーに腰かけた。
大丈夫、明日も休日なのだから、何も問題ない。そう言い聞かせた。
労働時間が長すぎると生産性が落ちるというし、頭を使い過ぎても効率的ではないのだと。
「……ふあぁっ」
前言撤回、気付けば数時間が過ぎていた。
怠慢を極めている。欠伸が眠気を誘う。はっと自覚できたのは、けたたましい着信音。
微かに、ほんの微かに、伊織さんからの着信であることを祈って確認した名前は諸星鹿波。
正直、そっと胸を撫でおろした。
今のコンディションで伊織さんと顔も見ないで話したくなかったから。
「もひもひ、鹿波?」
『あ、萌奈。試験勉強中だったら……眠そうだね』
「大丈夫。あ、試験勉強は順調じゃないから、大丈夫じゃないか~」
『やけに投げやりだね。萌奈にしては変じゃない?』
「ちょっとしたスランプみたい。後から巻き返すから問題ないよ」
正直に話しつつ、弱気に聞こえないか心配になった。
鹿波は稀に心を読んでいるのかと思える程に鋭い時がある。
ニュアンスから理由を訊いてほしくなかったことを察してくれる気がする。
『ふうん……珍しい』
期待通り、声音からあたしの機微を察したのか、ただ一言で済ませてくれる。
こうやって空気の読めるところが、鹿波の長所だと思う。
あたしの深い部分に手を伸ばしてこないから、この上ない親友として思うことができた。
「そんなことよりも、鹿波こそ勉強しないでどうしたの?」
『私も勉強に身が入らなくて、萌奈とお外で気晴らしがしたいな……って思ったんだけど、どう? 今からじゃ、もう遅いから明日になるけど』
鹿波の誘い文句には慣れている。明日、早朝からの気晴らしを求めている気がする。
声色から、全力で一日を満喫したいという魂胆が伝わってきた。
でも、あたしだって勉強が遅れている。
「スランプだから、外出は良案だと思うけど……具体案による」
『とりあえず、ショッピングはしたいかな。萌奈は何もない? もっと身のこなしの軽くなるような薄手な生地の服が欲しい、とか』
平日の殆どを制服で過ごすあたし達高校生にとって、私服は多すぎてもよくないし衣替えの時期でもない。確かに、高校の制服でもアレンジを加えている人はいる。進学校だからこそ緩い部分はあった。
「ううーん。夏服は余っているような気がする」
『雑貨や衣類のショッピングは、萌奈と一緒に行ったことないから、行きたいなぁ。ほら、そろそろ新調してもいいと思う頃合いじゃない? 早めの衣替え!』
「新調か~。ちょっと考えさせて……」
あたしの高校では、基本的にカーディガンの色の自由が利いていた。
ちなみにあたしのものは、雪のように真っ白なものを好んでいる。鹿波は薄い桜色だった。
クラスの半数が衣替えしている中、あたしは未だ春のスタイル。
朝の寒さに弱いのと、色白な肌が紫外線に弱くて紫外線を避けるためだ。
この際に新調しても、衣替えするならまた寒くなるまでお預けになってしまいそうだ。
もう梅雨だって近づいてきているし、紫外線が強くないなら、衣替えするべきかもしれない。
やっぱり夏用の私服は既に来たことのないものがあるし、服選びは却下かな。
次に、雑貨でほしいものを考えようとして、鹿波が呟いた。
『調べたら、プレゼント用の雑貨が多いみたい。萌奈は誰かにプレゼントする予定ない?』
その言葉が引っかかる。
ふと思い浮かぶことがあったからだ。
「あ、そうだ。パ……お父さんの誕生日が近かったよ」
『へー、萌奈ってお父さんと仲良いんだね』
「まあね~」
普通は送らないものなのか……あたしは知らない。
鹿波もまた一人暮らしをしているので、そういうものがあると思っていたけど。
あたしの場合は、パパが外国にいるので、お互いの供与に実家の伝手を使っている。
だから、あまり不自由なくプレゼントを送れるし、受け取ることが出来る。
でも本来自分で送るには結構手間のかかる事なのかもしれない。
それに、鹿波はきっとあたしのように寂しがり屋じゃないから。
「去年は、アクセサリーを選んだんだ。毎年の習慣で……そうだ、今年は試験と重なっちゃっているんだ」
『萌奈のお父さん、会ったことないけど、萌奈と似てお洒落好き?』
「ううん、むしろミニマリストに近いかも。それでも、喜んではくれたんだ」
去年、直接渡したことを思い出す。やはり今年も何かプレゼントしたい。
物に拘る人じゃないから、今回も手軽な物の方がいいかもしれない。
形あるものにしたいから、ショッピングに行くことは確定した。
『でも、お母さんの方ではなくて、お父さんにアクセサリーなんだ』
「あ、うん。いやぁ、聞いてよ。それが男性用のアクセサリーなら、まだわかるじゃない? でもあたし、完全に自分好みで選んじゃって、女性用のもの渡しちゃったんだ。まあ喜んでくれたから良かったんだけど、今度はちゃんと合うものを選びたくてさ」
それ以前に、実際身に着けるには、サイズが合わなかったらしいし、大失敗の思い出だ。
『それじゃあ、プレゼント選び含めて明日の朝から遊びに行かない?』
「あー、やっぱり朝からなんだね」
予想通りだったことに安心したのか、呆れたのか。
自分自身よくわからないけど、少しだけ気分が良くなった。
『やっぱり……って何? 失礼なー』
「失礼じゃなくない? とにかく、明日の朝だよね? 行くよー」
『それじゃあ、駅前で待ち合わせね。時間は――』
こうして、突然として明日鹿波とお出かけすることが決まってしまった。
そういえば、伊織さんと二人でお出かけしたことはなかったなぁ。
鹿波は、伊織さんとお出かけしたんだった。
以前のダブルデートのこと。色々あって最後には二人きりになったみたいだし、思うことがないと言えば嘘になる。
羨ましいと思うのは、よくないのかな。
あたしにとっては、鹿波だってこうして遊びに誘ってくれる大事な親友。
嫉妬みたいな感情は、どうにも初めてだけど、胸が窮屈になる。
結局、何も考えたくなくなって、その日は早くに床に就いた。
そして鹿波と約束した日の朝。
あたしにしては早起きで、待ち合わせ時刻の十数分前に到着していた。
伊織さんは、まだ寝ている頃かな? 最近は早起きみたいだし、起きているかもしれない。
腕時計を見て、なんだかそんな思考が走ってしまった。
昨日からずっと伊織さんの事ばかり頭に浮かんでしまう。
この恋煩いは、一昨日の別れ際の未練が残っているから、強くなっているだけ。
実際に出会って仲直りすれば、こんなにも悩むことはなくなるはずだ。
清々しい朝なのに不貞腐れた想いが募り、時間の進みがとても緩やかに感じられた。
朝のロータリーが静寂としているのも、このような想いに耽ってしまう一因だ。
しかし、上の空になっている訳ではなく、足音が近づいてきたことには気付けた。
この足音が伊織さんのものであれば、どんなに素敵なことなんだろう。
なんて鹿波には悪いと思いつつ、夢心地な気分になりながら目を向ける。
「え……?」
近づいてきたのは鹿波ではなかった。
まるで夢を見ているような感覚があたしを襲うけど、彼の声が覚醒させてくれる。
「おはよう、萌奈さん。残念ながら鹿波さんは来ることができないみたいだ。だから……俺が代わりに来た」
それは、毅然とした態度で言い訳じみた誘い文句。
でも、そんな台詞に不思議とときめいていた。
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