第31話

 度々休日を家で過ごさなくなった為、何かしらの反応があるとは思っていた。

 しかし、今か。タイミングが良いのか悪いのか。

 萌奈さんは慌てて距離を取ろうとする。


「あ、あたしのことは気にせずに――」

「紺乃からだ」

「え……? わかった。さっきは曖昧な返事をしたけど、困った時は、あたしが鹿波の代わりをするから安心して」

「そりゃ、頼りになるよ」


 萌奈さんに鹿波さんを演じてもらえば、解決することも多いだろう。


 紺乃は彼女達のことを何も知らないのだから、やりようは幾らでもある。

 静かに食器を片付ける萌奈さんを横目に、俺は応答した。


『……出るのが遅かったですね、兄さん』

「また突然電話をかけてきて、よく言うよ。迷惑だと思わなかったのか?」


 敢えて強気に出てみた。

 紺乃に会話の主導権を渡してはならない。


『そうですね。兄さんにも友達の一人や二人いるのでしょうから、遊んでいたなら迷惑をかけたかもしれません。でも、静かな空間にいるみたいですね。何処ですか?』


 相変わらず紺乃の状況判断は早い。

 ここで、俺には三つの選択肢を頭に浮かべる。


 一つ目は自分の部屋。これは紺乃が家の扉で待機している可能性があるので却下。

 二つ目は学校の教室。振替休日の事を知っている可能性も考慮すれば却下。


 そして最後の選択肢だが――。


「そうだな、紺乃には言っていないことがあった。俺、彼女が出来たんだ。今、その子の家にいる」

『……え、はい? はいぃ!?』


 予想通り、驚いた声がスマホ越しに聞こえた。


『ま、またまたご冗談を……だって、兄さんは私の許嫁じゃないですか』


 まだ許嫁ではないだろう。

 だが、紺乃の口車に乗ってなどやるものか。

 そっちの話に誘導されるほど、落ちぶれちゃいない。


「ああ、紺乃にはもっと早く伝えるべきだった。とにかく、許嫁の計画は白紙にしてもらうよ。だから、冗談じゃないんだよ」

『え、え……? 待ってください、兄さん! それは、あんまりじゃないですか!』


 悲痛な声に俺の胸が痛くなる。

 直接顔を見せられたら、罪悪感で言葉が詰まっていたかもしれない。


 ここまで簡単に騙せるなんて、俺自身驚いている。

 これも、顔を合わせていないからだろうか。

 以前からの推測通り、紺乃も俺の顔を見て感情を読み取っていたのだと気付く。


「俺の気持ちも……わかってくれないか? この世は紺乃を中心に回っていないんだ」

『ごめんなさい。私は、まだ心の整理が出来ていません。まずは、彼女さんと話させていただけませんか? いるのでしょう?』


 その瞬間、カップを置く音が微かに響いた。

 紺乃の声が音漏れしていたのだろうか。

 音の方へ目を向けると、萌奈さんが手を差し出してくる。選手交代だ。


「大丈夫。任せて」

「わかった、紺乃。代わるよ」


 俺はスマホを萌奈さんへと手渡した。

 すると、姿勢を直して小さく深呼吸をしているのがわかった。流石の萌奈さんでも、多少は緊張をしているのだろう。


『代わりましたか? 初めまして、兄さんの暫定彼女さん』

「こちらこそ初めまして。まずは名前を伺っても?」

『私は兄さんの許嫁である紅葉紺乃と申します。早速ですが事情を――』

「話は聞いているから、そういうのはいいの」


 口調がギャルモードになった萌奈さん。

 紺乃の声が音漏れして、二人の会話内容が俺にまで伝わる。


「それと、暫定彼女とか言うの違うからやめてくんない? あたしの名前は――」


 しかし、次の瞬間に言葉が途切れた。

 何事かと思ったが、萌奈さんの一人称が『私』ではなかったことに気付く。


 誤って自分の名前を名乗ろうとしたのだろうか。

 萌奈さんにしては妙なミス。日頃から抜けていることもあるが、真剣な時の萌奈さんは絶対にミスをしない……そう信じている。


 それなのに……裏切られる。


「あたしの名前は小笛萌奈、伊織さんの彼女って言えばわかる?」

「――ッ!」


 息が詰まり、言葉を失う。

 何の真似なのか、思考が追い付かなかった。


 あらゆる憶測が頭の中を渦巻いて、頭が回り過ぎて、整理が全く進まない。

 それでも、紺乃への対応だけは決まっている。


「聞こえるよな、紺乃。そういうことなんだ!」


 とにかく、下手でもいいから追い打ちをかけたい一心で声を発する。


 俺から発した声は動揺を隠しきれていなかったと思う。

 だけど俺以上に動揺している声が聞こえ出す。


『待ってください、兄さん。小笛って……どうして今更関わってくるんですか?』

「偶々クラスメイトだったんだよ」

『た、確かに小笛なら、兄さんの彼女として選ばれるのは理解できますけど……けど』


 望んだ展開ではなかったものの、どうやら小笛という姓に納得してくれている。

 もう賽は投げられた。


 この点、鹿波さんを演じるよりも有利に働いたため、結果往来だと捉えることにした。


『……小笛さんは兄さんのことを本気で愛しているのですか?』


 ――大事な質問がきた。

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