第30話

 俺が調子に乗っていたことは、きっと紺野乃も気付いていたんだろう。


「俺の下手な解説に違和感があったんだろうな。その後は口喧嘩したよ」


 気付いた紺乃と口論になっていた。未だに鮮明に憶えている。


「だから、仲が悪くなったということ?」

「いや、問題はその後。孫娘を溺愛している紺乃の祖父に偶然出くわした。いや、紅葉家の中にいたから、偶然ではないか。尤も、その後紅葉家の敷地内へ出禁になったが」

「え、殴った訳でもなく、小さな子供の口喧嘩で、そんなにも?」


 口論の末に紺乃が泣き出した事を見られた事が要因だが、紺乃の名誉の為に黙っておく。


 俺も女の子の涙を見てパニックになってしまったし、紅葉家の処置には納得している。

 まあ、こっちの話は本筋じゃない。


「違う。加瀬家と紅葉家は元々仲が悪くて、紺乃の祖父も俺を毛嫌いしていたらしい」

「じゃあ伊織さんは関係ないんじゃ――」

「いいや。小さな事件でも、余燼を燻ぶらせてしまえば、大事件だ。お陰で家同士の仲は更に悪化したんだから、加瀬家にだって迷惑をかけた」


 あの後、俺は加瀬家からの再教育を受けた。

 最初に教えられたのは、才能の否定。如何に取るに足らないものか。そして、社会で必要な素養を学ぶことになった。


 それが、俺が広く浅くクラスメイトとコミュニケーションを取っている理由である。


 始めの頃は苦痛だった。極端にコミュ力がなかった訳じゃない。ただ浩介のような才能がなかった。


 他人との交友関係を続け、俺の根っこの部分はボロボロになって、精神的な逃避を求めた結果、オタク趣味に繋がった。


 架空のキャラクターほど、人畜無害な他人はいないのだから。


「迷惑をかけた親戚に言われた言葉が頭を離れないんだ。俺は、紺乃の努力を踏みにじったから、恨まれているだろう……ってさ」

「え、そんなこと直接訊かなきゃわからないよ? それ以来、伊織さんは紺乃さんと話せなかったの?」

「話せたよ。紺乃は口論の後も、何故か俺に懐いてさ。すぐに家の目を掻い潜って会いにきた。だから、訊いたんだよ。返事は……そういうことだ」


 あの瞬間、親戚の言ったこと全てが正しいように思えてしまった。

 そんな俺に紺乃が会いに来る理由も……何となくわかってしまう。


「きっと紺乃は、俺と結婚して一生償ってほしいんだろうな。だけど、その為に紺乃の努力を踏みにじった才能を使うのは、紺乃も望んでいないはずだ」


 才能を使わなければ紺乃の期待に応えられない情けさが、心を窮屈にさせてくる。


「その……返事はともかく、紺乃さんは今でも伊織さんに懐いているって認識でいい?」

「ああ、何だかんだ今も俺の才能に執着していてさ。この前、久しぶりに家に来たよ」

「話せるなら、何とか許してもらえないの?」


 考える素振りを見せながら、不思議そうな顔で訊いてくる萌奈さん。


 恨みはあるけど懐いているという妙な関係上、紺乃の人物像というのが捉え切れないのかもしれない。


「すまん、言葉足らずだったな。件の許嫁計画っていうのに、紺乃が賛成しているんだ。つまり、それが償いになるんだろう」

「その償いを避けるために、伊織さんの才能を隠しているってこと?」

「ああ。償いを避ける以上に、あいつの人生を無駄にさせないためだけどな」


 お互いに苦しみながら生きる事を紺乃が本当に望んでいても、それは間違った選択だ。


「あ、ごめん。償いを避けるって、言い方悪かったよね。伊織さんは真剣なのに」

「間違ってはいないし、気にしてない。それに、才能を隠していた事もあんまり効果なかったからさ。不運にも、調子が良い俺の姿を少し前に見られてしまったらしい」


 運が悪かったとだけでは済ませられない。

 俺も……そろそろいいんじゃないかって、気が緩んでいたのだ。

 心の何処かで、俺も見栄を張りたかったのかもしれないな。


「だから、彼女作り急いでいるんだね。じゃあ、鹿波へのアピール積極的にして良かったでしょ~。気付かない間にファインプレーだよ、あたし」

「そうだな。感謝している」

「でも、件の計画を破綻させるために、焦り過ぎるのも良くないよ? 伊織さんなら、普通に頑張ればできるよ。大丈夫、あたしがお墨付きをあげる」

「頑張れば……か。ははっ、紺乃にも同じように言われたなぁ」


 なぜかノスタルジックを感じる。

 どうして、彼女と一緒でこんなにも心が穏やかになるんだろう。


「そう……なんだ」

「実際に頑張って才能を見せたら、過去の屈辱を思い出している筈なのに、俺を気遣ったりしてさ。妙に強い部分があるんだ」


 萌奈さんが俺のカップを手に取って紅茶を注いでくれる。

 ふと見た彼女と目が合い、何かを見透かされた。


「伊織さんは……紺乃さんが好きなんだね」

「わかるか。ここまで綺麗ごとを並べるようにして、俺の逃避を正当化するようなことしか言っていないのに」

「わかりますとも。それだけ紺乃さんのことを考えて悩まれたら、嫌でもわかっちゃう」

「……ありがとうよ」


 見抜かれた好意が、恋心なのかはわからない。

 ただ、不思議と不快にならなかったのは、萌奈さん相手だからだろうか。


 むしろ、誰かに知ってもらえたことが、何よりも俺を安堵させた。

 ずっとこの淡い恋心をほんの少しでも見抜いてほしかったんだと思う。


「俺の話したいことは、これでおしまいだ。これを聞いて、萌奈さんが協力したくないなら、それでもいいよ」

「そんなこと言われなくても、別に――」

「どうした?」


 萌奈さんの声が途切れて、本人も疑問符を浮かべる。

 言いたいことがわからなくなったような戸惑い方ではなく、様子がおかしい。


「ううん。なんか、おかしいな。伊織さんがそう望むなら、あたしも協力したいのに、何かが心で引っかかっているみたい」


 ああ、見抜かれた俺の好意は、恋心の方だったんだろう。


 他人に懸想しているという前提を加えるなら、萌奈さんのいう手段から始まる恋愛が成り立つ可能性が薄まる。


 鹿波さんが幸せになる可能性が低くなれば、連鎖的に罪悪感も生まれるだろう。


「いや、大丈夫だ」


 気持ちだけでも、充分助かっている。

 元々俺の目的に巻き込んでいるのに、非難せずにこれまで寄り添ってくれたのだから。


 萌奈さんは、ほんの少しだけ歯痒くなったような表情を見せて、すぐに隠した。


「……あ、ジャム無くなっちゃったね。おかわりはいる?」

「これで十分だよ。気を遣わせてごめん」

「それはこっちの台詞だよ。じゃあカップ片付けるね」


 この辺で俺も帰ろうと思うのだが、中々立ち上がりにくい。

 どうにも、萌奈さんの家ではリラックスしてしまうようだ。


 もう要らないと言ったが、ロシアンティーの余韻に浸っていたかったからでもある。


 そんな時、電話の着信音が鳴り出した。

 誰の? 俺のスマホからだ。

 画面に映った着信相手は……紅葉紺乃。

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