第28話
映画を見に行った後日。積極的に鹿波さんと関わりにくい。
彼女から打診されたことを保留にし続けていれば、決断を迫られる気がしたからだ。
それに萌奈さんに本当のことを伝えたかったのに、中々タイミングが見つからない。
デートが良好に進んだ事を報告したことで萌奈さんが予想以上に上機嫌になったから、後日にすればいいと悠長に考えていた。
また、期末試験が近づくにつれて教室には忙しそうな雰囲気。
当然、きまって成績上位の萌奈さんも早くから試験勉強に勤しんでいた。
ようやく萌奈さんの家へと招かれる機会を得たのは、金曜日の振替休日だった。
「お邪魔するよ」
「こうして落ち着くのも、結構久しぶりだねぇ」
勉強会をしようといった話ではなく、お互いに息抜きだ。
いつもと違い振舞われた飲み物は紅茶。普段はコーヒーだったのに珍しい。
更に紅茶を注ぐポットのようなものがあった。
「萌奈さん、これは一体……?」
「あ、やっぱり気になる~?」
「気になりますとも。ジャムまで出し……これは何に使うんだよ?」
卵型で金属製のヴィンテージ感溢れる変わった代物。
加えてパンも無いのに何故かあるジャムにも違和感がある。
いつもはマグカップ二つ置かれるテーブルが妙に豪華に感じた。
「質問が増えちゃったね。まず、これはサモワールっていうティーサーバー。そして、ジャムは紅茶と一緒に楽しむためにあるの」
「なるほど、ティーサーバーだったのか。でも、ジャムの方はわからないな……萌奈さんの家では、特殊な紅茶の嗜み方をするってことか?」
「いやいや、あたしの家特有で行われている紅茶の飲み方じゃなくて、ロシアンティーっていう伝統ある飲み方なんだよ」
ロシアンって付くし、外国の飲み方といったところか。
以前のことがあるから驚かないけど、紅茶とジャムの組み合わせとは一風変わっている。
俺はフロートレモンティーも好んで飲むが、ジャムを淹れようと考えたことはなかった。
淹れられた紅茶からは馴染みあるディンブラの香りが漂う。
「日本でも知られているものだと思っていたけど伊織さんは紅茶あまり飲まないの? いつの日か、レモンティーを飲んでいたから、それなりに嗜むと思っていたんだけど」
「紅茶はよく飲むけど、そこまでマニアックじゃないだけだよ。てか、いつの日か……って、ハレミカ取り合った日だろ。よく覚えているな、そんなこと」
俺達が、こういう関係になった日でもある。
「うん。なんか、伊織さんの顔が印象に残っていたんだよ」
「なんだそれ」
結構最近の出来事なのに、ノスタルジーを感じるのはどうしてだろう。
毎日が充実すると、一日が長くなったように錯覚し、思い出は遠くへ去っていく。
「それで、ロシアではジャムを使いながら紅茶を飲むのが普通なのか?」
「うーん、そういう習慣を持つ地域もあると思うけど、日本で伝わっているロシアンティーの飲み方とは若干違うから、そこは気にしちゃダメだと思う」
「へー、そうなのか。変だな」
国の境界線を越えてくると、少し変わることもある。
単語の意味とか……な。
俺もボーイフレンドの意味を間違えたことから、気を付けるようになった。
早速、少量のジャムをスプーンで掬う。
「それで、どう飲むんだ?」
「ジャムを紅茶に入れるだけだよ。ほらほら、早く飲んでみてよ」
「そうだな。冷める前に頂こう」
言われた通りにして飲むと、初めての感覚があった。
「いいな。ジャムの……素材の美味しさが引き立っていて、溶け切らない果実の甘みが口の中で広がる。その癖、セイロンの苦みが後味をスッキリさせている」
「うわぁ、伊織さん食レポ? 上手だね!」
「真剣な感想だよ。誇張無しで、そう思ったんだ」
正直、鹿波さんを褒めた時と同じくらいのノリで言ったので、反応の違いを認識した。
やっぱり……萌奈さんには好評みたいだ。
ジャムが口当たりの良い甘味で、美味しい。
紅茶のカテゴリーならこれが一番かもしれない。
「ジャムについてはわかったけど、このサモワールっていうのはロシアンティーに必要なのか? それとも雰囲気?」
「雰囲気だよ。ロシアではそれで紅茶を嗜むのが主流って聞いたから。本当にそれだけなんだけど、カッコよくない? カッコいいでしょ~」
カッコいいと感じるのは同意するが、萌奈さんの趣味にしては合わない気がした。
それでも、主流というなら雰囲気を楽しめるということだろうか。
「ん……? 聞いたって、ジョシュさんから?」
「ううん、違う。ロシアにいるあたしの友達から。あ、今は日本にいるかもしれないけど」
「え、ロシアの友達? そうか……それで、か」
「以前、あたしがロシア語なら多少は話せるって言ったでしょ? 話し相手がいるから、わざわざ勉強して話せるようになったんだよ」
なるほど。合点がいった。
紅茶の淹れ方について、ロシア語で話されて聴き取れるレベルであれば、充分使えていると言えるだろう。
「でも、友達? ジョシュさんの仕事仲間とかじゃなくて?」
「同い年だよ~。更に言うなら、日本人とのハーフで美少女。あたしと同じだよ!」
「…………」
「ちょい……何か、もの言いたげだね。言ってごらんなさいな」
萌奈さんは自分の顔を指差して、わかりきった返事を求めてくる。
わざとだとわかっているけど、仕方ないので答えよう。
「自分で美少女って言うことに突っ込みたかったけど、客観的に見れば事実だし、やめた」
「おお、伊織さんが素直に認めるなんて……成長したね!」
以前も同じような褒め方したから、何も変わっていないような……。
しかし、ふと萌奈さんと目が合って察する。やはり俺の顔を見て判断しているようだ。
「……客観的に見てだって言っているからな?」
「ふうん。そういう事にしてあげる。それでね、ロシアに連れていかれた際にホームステイしたのが、その子の実家だったのね。それで、仲良くなった感じだよ」
「へー、じゃあ萌奈さんって帰国子女なのか?」
「うーん……中学の夏休みを含んで数ヶ月、観光感覚で行ったけど、パパのお仕事の付き添いでもあったから、そうではあるね」
予想通りで、逆に拍子抜けしてしまう。
中学生で父親のお仕事の付き添いか……その頃から海外に興味があったのだろうか。
「で、その友達があたしの話した日本の文化に興味を持ったみたいで、あたしの知っている範囲で話す引き換えに、この間ロシアンティーの話をしてくれたんだよ」
「今でも仲が良いんだな……話したって、電話で?」
「電話。突然で驚いたけど、そういう成り行きでこのサモワールくれたんだ」
お高そうな代物だけど、レンタルではなく譲渡だったらしい。
「そっか。またジョシュさんからの贈り物だと思ったけど、そんな友達がいたんだな」
「あたしを何だとお思いなのかな。もちろん、教室以外にもいますとも~。まあ今度は、あたしが贈り物をする側になると思うんだけどね……パパの誕生日が近いから」
一回会ったきりなのに、ジョシュさんの顔は鮮明に思い出せる。
どうにも親しみのある顔で印象深いのは、恐らく萌奈さんの面影を残しているからだろう。
「そうなのか。俺もハニーコーヒー好きだったし、次会えたら何かお返しを考えるよ」
「あ、ハニーコーヒーは好評みたいだから、また送ってもらうね」
ジョシュさんは多忙の身らしいし、次いつ直接会えるのかわからない。
(結局、俺を萌奈さんの彼氏なのだと勘違いされているしな。訂正しないといけないのだが)
なんて考えたものの、名状しがたい感情に襲われる。
ふと、勘違いされたままで良いんじゃないか? という考えが脳裏に過った。
(ははっ、何考えているんだか……)
俺は紅茶の中身を切らしたので、サモワールで注ぐ。
ジャムを少しだけ入れて、甘みを探るように飲んで楽しむ。
「サラッと言われた気がするけど、あのコーヒー豆切れちゃったのか」
「ううん。まだ数杯分あるよ。そうだ、ロシアンティーとハニーコーヒーなら、どっちがお好み? 好奇心で気になる!」
「迷ったけど、ハニーコーヒーかな。これも好きだけどな」
すらりと滑るように口から出てしまった言葉に、自分の方が驚いてしまう。
紅茶の中で一番。その時点で、今まで俺の一番だったレモンティーを越えている。
それより好みというのは……この家で飲むあのコーヒーが一番に変わったことを意味する。
「即答した癖に、迷ったとは?」
「言葉の綾だ。好き嫌いに迷いが生まれる訳ないだろ」
内心を見透かされたくなくて慌てて誤魔化す。
誤魔化せているのかは、わからないが。
すると、俺の密かな悩みを知らない萌奈さんもまた教えてくれる。
「そっか。でも、あたしも同意。どっちも美味しいし、好きだけど……やっぱり紅茶はあまり飲まないから、味がまだわからないみたい」
すっかりハニーコーヒーの味を忘れられないなら、俺と同じだ。
何故か同時に思い出したのは、紺乃と共にレモンティーを飲み話し合う思い出。
今思えば、あれは紺乃のことを引き摺り続けている事の証左だったんだろう。
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