第19話

「ふふっ、お気に召しまして?」

「ああ。こんなにも美味しいのに、そこら辺の喫茶店が取り扱っていないのが、不思議に思えるくらいだ」


 まるで果実のような甘さ。

 はちみつという風味も理解できたが、それ以上に鼻を擽るこの甘みがとても落ち着く。


「えーっとね。この手法が見つかったのが、西暦二千年以降らしいし、まだ流行していないのかもね。通販では探せば普通に売っているよ」


 萌奈さんがパパッと調べてくれて教えてくれる。

 好みだっただけに、少し残念だ。


「はあ、萌奈さんの家でしか飲めないなら、通うしかないよなぁ」


 通販で買えると言われたのに、無意識にそう呟いてしまった。


「ん? んん? 伊織さんはもうこの場所に入り浸った後だと思うよ。でも、コーヒーの味がわかる伊織さんのことは嫌いじゃないわっ!」


 俺がコーヒー好きなのはあくまで表向き。それでも特別な一杯に思えてならなかった。


 嘘がまるで嘘じゃないように思えてくるな。

 昔、紺乃にこの嘘は見破られてしまったけど、萌奈さんに見抜かれることはなさそうだ。


「萌奈さんって、たまに変な言い回しするよな」

「ほちゃっ!? 別に普通じゃない?」


 思いっきり動揺を見せた萌奈さん。誤魔化そうにも無理がある。


「まあ俺もオタク特有の早口になったりするし、あんまり気にしてないけど」

「うわあぁぁ! わかってるから言わないで。恥ずかしぃ~」


 萌奈さんは手で顔を隠す。

 自覚はあるのに恥ずかしいとは言いえて妙だが、他人に指摘されるのが嫌だったのかもしれない。


「そんな気にするなよ。オタクなら誰しもあるある。萌奈さんの場合はみんなから、そういうマスコットみたいに思われてそうだ」

「面白がってくれるのは嬉しいけど、そういうお馬鹿っぽいキャラじゃないでしょ? あたしって」

「……うーん」


 学業成績もいいし頭はいいとは思うんだけど……素直にそう言えないところがある。


「否定してよっ! かぁーっ、あたし今怒っています。むかむか」

「どうどう。どうしたんだい萌奈さん。確かに俺の思い違いだったかもしれない。落ち着こう!」

「具体的に言って?」

「教室の萌奈さんはそうだな。正直に言えば、ギャルにしか見えないと思うよ。俺も前まで騙されていたし」


 萌奈さんが素でいるのは、鹿波さんとか仲間内だけで、教室では違う。


 ハーフだと知られたくないからギャルを演じているとは聞いていたけど、馬鹿っぽく思われたくなくて……というのも理由の一つだろう。結構共感できる話だ。


「というか伊織さんこそだよ。オタクって言われる割には、そんな感じしないね?」

「気付いていないだけじゃないか? まっ、萌奈さんは同類だしな。同じオタクとしての贔屓目はあるのかもしれないぞ」


 これでも萌奈さんと関わるまでは、クラスメイト達とは一線を引いてきたつもりだ。

 誰とでも同じ距離感。最低限の世渡りは、個人的にオタクっぽいなと思っていたが。


「そっかぁ。一括りに偏見を持っているつもりはなかったけど、なんだか新鮮な気分」


 納得した様子の萌奈さんだが、俺がコテコテのオタクとでも思っていたのだろうか。

 しかし、俺も自分自身の言葉に驚くべき事があった。


 萌奈さんが自分の同類だという認識……ここまで仲良くなっても、心の中では彼女との関係にも一線を引いていたはずなのに、いつの間にか突破されていたらしい。


 そのせいか、変にドキドキしてしまった。


「ところで伊織さん。話は変わるけど、今のままだと、アピール不足で鹿波攻略は厳しいと思うよ。鹿波検定、不合格だよ!」

「うーん。それは俺も思っていたが、モーションかけるのは慎重にいきたくて――」

「いやいや。伊織さんもしかしなくても奥手だよね?」


 奥手だったら、そもそも萌奈さんに協力を頼めないだろう。


「機会に恵まれていないだけだ。大体、いつも鹿波さんの隣には萌奈さんがいて、割って入れないじゃないか」

「入ればいいじゃないっ!」


 無理を言うな。俺はそんな節操なしではない。


「楽しくお喋りしているところに水を差せるかっ! 失礼だと思われたくない」

「友達なのに、気にし過ぎじゃない? 伊織さんってば、結構気を遣ってるよね」

「…………」


 きっとそれこそが、俺が無意識に引いている鹿波さんや他のみんなとの一線なんだろう。

 指摘されると、反論が思いつかなかった。


「まぁ落ち込まないで。あたし、今の状況を打開する策を考えたから」

「というと?」

「練習しよう。きっと伊織さんには練習が足りてないと見たね。まずはあたしを褒めるところから」

「萌奈さんが褒められたいだけじゃなくて?」

「ソナコトナイヨ」


 片言になる萌奈さん。本当にブレないな。

 けど俺の気持ちを汲んでいる部分もあるのだろうし、乗ってやるか。


「そうだなぁ、良くも悪くも純粋ってイメージがある。無垢ではないんだけど、大体の気持ちは言葉に出してくれるから、話しやすいと思う」

「えっ、これマジで褒めてくれてる?」

「練習……付き合ってくれるんじゃなかったのかよ」

「う、ううん。褒められて悪い気はしないけど、凄く丁寧に言ってくれるから驚いちゃって」


 困惑しながらも照れた顔を見せる萌奈さん。

 一応、良くも悪くもって言っているんだけど、これはポジティブに捉えられる部分しか耳に入ってないな。


「純粋といえば、確かにあどけない少女って感じであたしにピッタリだね。及第点!」


 しかも、これで及第点とは。サラッと評定が厳しい。


「あどけない少女って……萌奈さんは打算もありそうだしなぁ」

「おっ? あどけないってことは、かわいいって意味も含まれているけど、そこは否定しなくていいのかにゃ?」

「……否定はしないさ」


 実際萌奈さんはかわいい。

 それは客観的な事実であって、意地汚い嘘を吐いてまで貶そうとは思わない。


「はっ! そんなに褒めなくてもいいのに~。寛げる空間以上に提供できるものはないよ?」

「いやな……俺だって事実を曲げたりしないさ。否定しても、反論するだろ?」

「あたしのことわかってきたみたいで大変よろしい!」


 最早満更でもない顔をする萌奈さん。褒めれば褒めるほど上機嫌になるのは扱いやすいのか扱いづらいのかわからないな。


 気付けば、マグカップが空になった。言葉にしなくても、萌奈さんはすぐに気付いて微笑むと、再び美味しいコーヒーを淹れてくれた。


「こんなに他人の家に入り浸れるなら、鹿波の家に行った時、すぐにでも合鍵貰えるよ。話を戻すけど、アピール頑張ろう! おーっ!」

「何言ってるんだ。恋人でもない奴に合鍵を渡すとか、ある訳ないだろ。フィクションじゃないんだぞ」

「夢のない現実的な回答」


 つまらなどうな顔をする萌奈さん。

 いやいや……。


「現実でそんな奴がいたら普通にドン引きだろ。まさか、萌奈さんだって渡さないだろ?」

「あ、まぁうん。最初から否定してほしくて言ってみたけど、伊織さんって現実見えてるんだね。ほんと……オタクなのか疑わしいくらいに」


 萌奈さんも生粋のオタクなのに、一体何を疑問に覚えるのか不思議だ。

 多分、褒めてくれているんだろうけど、俺は小さく溜息を吐いた。


「……現実で生きているんだから、そりゃ現実見ていますとも。オタクか否も関係ない」

「そうなんだけど、ね。思ったよりはっきり分けているから」


 オタクだろうがなんだろうが、メリハリは付ける。


「萌奈さんも同じだろ」

「そうかなぁ?」

「自覚を持てないのは、単純に萌奈さん充実しているからじゃないか? 勉強もお洒落もオタク活動も、色々頑張ってるみたいだし」


 きっと小笛萌奈という少女には、それらをやり熟せるだけのポテンシャルがある。


 充実しているから、理想と現実の境界線が曖昧になっているんだろう。

 だけど――。


「でも正直、限度を超えている気がする。萌奈さんは頑張り過ぎなんじゃないか? たまにはさ、何もしないで過ごす日があってもいいかもしれない」

「その辺何となくわかってるから、心配ご無用」

「……本当に?」


 萌奈さんの言う「何となく」に信用があまりない。


「わかっているから、今こうしてるんじゃない」

「あー……なるほど。そうだったのか」

「そうだよ~。まだまだ伊織さんはあたしのこと、わかってないな~」

「…………」


 誤魔化すようにコーヒーに手を付ける。

 このお喋りは萌奈さんにとっても休息だったらしい。


 彼女がそんな風に考えていたなんて、思いもしていなかった。

 だから俺はこの家に通うことを許されているのか。


 そっと、腑に落ちなかったことが氷解され、肩が軽くなった気がした。

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