第18話
「ほいほい、どうぞ」
「さんきゅ。ふぅ、落ち着くな」
萌奈さんから受け取った淹れたてのコーヒーを一口飲み、一息吐く。
最近、結構な頻度で萌奈さんの家を訪れている気がする。
というのも、先日の件で紺乃が頻繫に来る可能性を考えた俺は、なるべく家に居づらかったのだ。よって敗走……逃亡中。
暇なのか学校の課題ついでに家へ招いてくれる萌奈さんに甘えている。
「随分と、慣れたように寛ぐんだね」
「以前、寛ぐように言われたような気がするんだが」
「おもてなしに満足してくれたなら、そっか。良いことかぁ」
「まあ慣れたとも言う。あ、貢ぎ物はちゃんと持ってきたぞ?」
「わーい!」
場所を提供させてもらっている以上、お返しはしている。萌奈さんの場合は、所持していない円盤や小説等を貸し出すとこのように喜んでくれる。
「気に入ったら、ちゃんと買えよ?」
「わかっているって。そうそう、丁度このラノベ3巻飛ばして買っちゃったんだよね~」
偶に訳が分からない時もあるが。
「いやぁ、やっと三巻が読める。助かるよ~」
本当に大丈夫なのだろうか。
呆れながらコーヒーの苦味でも味わおうとすると、苦さよりも甘さの方が際立つような気がした。この風味……微糖ではない。
「なあ萌奈さん、もしかしてコーヒー豆変えた?」
「お、ようやく気付いたね。そう、このコーヒーはそこら辺の喫茶店では嗜めない小笛家伝統の――」
「その説明、長くなる?」
「実際は伝統でもなんでもなく、パパから送られてきたコーヒー豆だよ」
指を振りながら萌奈さんは説明する。ふかし話を聞かなくて良かった。
「まあ特別っぽいのは、案外デタラメでもなさそうだけど」
「あ、うん。そこら辺の喫茶店で嗜めないのは本当だよ?」
この味は俺にとってまったく新しい。味覚の質はともかく、俺の記憶は騙せない。
滑らかな舌触りに独特の香りが心を安らかにさせる。
いや、今はこのコーヒーの種類が知りたくて仕方ない。
「へぇ。それで、なんて豆の種類なんだ?」
「何だと思う~?」
「わからないから訊いているんだが」
「はぁ、まったく伊織さんは甘いね。甘々だよ。そんな頭まで甘々にしてしまうこれは、豆の種類が問題じゃないんだよ」
野暮な質問をしたつもりはなかったが、萌奈さんは荒ぶるように身振り手振り。
取り敢えず、俺の見解がおかしいという事だけは辛うじて理解できた。
「すまん、言っている事がよくわからなかった。甘々言い過ぎだし」
「そこまで言うなら仕方ないなぁ。ところで伊織さんって、紅茶も嗜めたよね?」
「ん? ああ。味がわかるって意味でいいなら」
別に紅茶は誰だって飲むと思うが……身近に飲めない人でもいるのか?
「紅茶ってさ、緑茶と同じ茶葉からできているじゃない? その加工方法、発酵度合いに違いがあるのは知っているよね?」
「まあ日本人だしな」
「それと同じなんだよ。つまり、豆の加工方法がいつもと違うってこと」
「なるほど?」
コーヒーの話からお茶の話に変わって困惑したが、どうやら繋がる話らしい。
まだピンとこないが。
「あ、伊織さん、わかっていない顔しているよ」
「わかりません」
「正直でよろしい。説明するとね、そのコーヒーはハニープロセスっていう精製方法を経た特別なコーヒー豆から出来たものなんだよ」
「なるほど。だから甘々って連呼していたのか」
その説明に対し、俺は納得すると同時に疑問を氷解させていた。
「そうそう。パパから以前のお詫びに何か欲しいかって訊かれて、送ってもらったんだ。それにしても伊織さん、ハニーの意味をよくご存知ですこと」
「……馬鹿にし過ぎだぞ」
ガールフレンドは二重の意味を持っていたから勘違いしてしまったのであって、俺は英語覚えたての中学生ではない。
「それは失礼。ちなみにこの精製方法、メキシコだからある方法なんだって。パパに変わったコーヒー豆がほしいってメッセージ送ったら、本場から送ってくれたんだ」
そういえばジョシュさんがメキシコで働いているって言っていたな。
ジョシュさんは愛娘に送ったんだろうけど、俺も飲ませていただいたのだから、感謝しなければいけない。
「そうだったのか。分けてくれてありがとう」
「気にすんないっ! 美味しいものは共有したくなるでしょ」
「ジョシュさんにも、今度メッセージ送る時、俺が感謝していた事を伝えておいてくれ」
「かしこまり! 伊織さんが喜んでくれてあたしも招き猫としてご満悦だにゃぁ」
萌奈さんが招き猫になって、商売したら繁盛しそうだ。
しかし招かれる客が多すぎても、嫌かもしれない。
「ところで、このコーヒーが何なのかはふわっと理解したんだが、名称は?」
「うーん、どうかなぁ。あたしもそんなに詳しくないからね」
急に自信が萎む萌奈さんの様子。名称があったら最初に教えてくれるか、と納得する。
「でもまぁグリーンカレーがカレーを名乗っているみたいに、実は違う種類のものかもしれないし。これの名称はハニーコーヒーでいいんじゃないかな」
「さらっと言ったが、グリーンカレーってカレーじゃないのか。知らなかった」
「うん。伊織さんは海外のものに疎いにゃ~」
「…………」
ウィークポイントを攻められると俺は弱い。
ここは無難にコーヒーを飲んで適当に誤魔化した。味に耽ると、温かさに気を取られて気付かなかった甘さが強まっていく。
……想像以上だった。
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