第16話

「残念ながら、既に断られた後です」


 俺がお願いするまでも無かったらしい。残念だ。


 親孝行もさせてもらえないとはな。まあ元々俺が直接何かする訳でもなし、親孝行ではなかったか。

 というか、父さんの選択に口を出すべきじゃないな。


「そうか。なあ紺乃の方は、もしかして親戚との関係良いのか?」

「もしかしても何も、普通は良いものだと思いますよ。私の方は、分家すら少ないですしお父様も一人っ子ですから」

「そうだった。紅葉家は生粋の――いや、やめておこう。俺の状況を考えれば、そりゃ素直に羨ましいな」


 紺乃は可愛らしく育っているし、嫌う方が想像つかない。

 加瀬家も早く世代交代すれば……いや、過度な期待は止そう。


「家族が多いのも、楽しそうですけどね。兄さんは、親戚と関われないんですか?」

「いいや。関わること自体はある。以前、従兄弟に会った時は……煩かったことを覚えている。俺がいなくなってから英才教育が始まっていたんだとか、文句を言われたな」


 加瀬家の当主争いでは、次男家の叔父が優勢。

 息子である従兄妹も期待されているという話を聞いたことがあった。


「あらら。兄さんは、そんなもの要らなかったというのに、随分と……おっと、口を滑らせるところでした」


 わざとであることを少しは隠してほしい。

 従兄弟が英才教育なんぞ受けることになった原因は間違いなく俺。


 恐らく加瀬家の秘蔵っ子として育てられてきた俺と比べられているんだろう。


 昔から天才だと言われ続けたし、あまり勉強しなくても学力はすぐに身に付いた。

 体力こそなかったけど、運動だってできた。


「紺乃は自分で勝手に勉強しだしたけど、普通の人にとっては、与えられるものだ」

「はい。でも天才の兄さんは、その勉強すら小さなもので済んでいましたね」


 皮肉ではなく、心からの称賛。神童とまで呼ばれた紺乃は、努力で実力を伸ばした。


 褒められるのが嫌な訳ではないが、紺乃こそ誇るべきだと思う。


「違う。俺は天才じゃなかったよ。俺が英語に挫折したことは紺乃も知っているだろ」


 俺の挫折は、何も家同士の禍根から生まれたそれだけが原因じゃない。


 英語が出来なかったという事実が、初めて俺に努力をさせたし、過酷な壁となった。


「そう卑下しないでください。兄さんが英語をできなかった理由ですが、一つだけ心当たりがあるんです」

「臨界期仮説か? それなら知っているよ」

「あらら、ご存知でしたか。兄さんを侮ってしまったようです」


 勘違いしないでほしい。あれはあくまで仮説に過ぎず、言い訳にしてはいけない。

 臨界期を過ぎたって、諦めない人がいる事を知っているから納得できない。これは俺の本心だ。


「俺はもう、才能なんてものに固執してないんだよ」


 そろそろ諦める頃合いだろうに、紺乃は諦めない。

 その時、確信したような眼差しが俺を覗く。


「先日、偶然ですが兄さんの学校の横を通りました。ああ、あれは確か黄昏時で、兄さんは何故かサッカーしていましたね。あの時、とても生き生きとしていましたよ? 私の記憶にある、才能を誇示する時の、私が憧れた兄さんと同じものです」

「なるほど。だから、今日は妙に積極的だったのか」


 俺が才能を隠してきた理由。それは紺乃に俺の才能を否定してほしかったからだ。

 他愛無い気の緩みで、仕掛けていた小細工は水の泡と化した。これは堪える。


「……誤魔化さないんですね」

「紺乃の主観にケチを付けるつもりがないだけだ。肯定はしていない」

「ふふっ、兄さんも、やっぱり加瀬家の人なんですね。頑固者です」


 やめてくれ。本意を見抜かれている事以上に、親戚と同じ扱いはむず痒い。


「それで、紺乃は俺に何を望んでいるんだよ」

「もちろん、兄さんに本気になってほしいんです」

「本気……か。昔も、俺は才能に胡坐をかいて本気ではなかったと思うけどな」

「だから、今度は頑張ってほしいんです。私の憧れである兄さんは、本心では頑張りたいと思っている筈です。それとも、未来の夫に期待するのは間違っていますか?」


 最期の言葉に、心が締め付けられそうになる。

 紺乃が俺に期待している理由。その一点に収束することを悟ってしまったから。


「間違っているよ。俺達はまだ許嫁になっていない。そして、許嫁にならないという道も残されている。だから、紺乃は間違っている」


 紺乃が打算で俺に期待するのは構わない。

 でも頑張って期待に応えられたとして、紺乃に恨まれたままは嫌だ。


 恨みを晴らすために、紺乃の努力を冒涜したこの才能を手段にしてはならない。

 この才能を使わなければ期待に応えられない。端的に言って俺は詰んでいる。


「兄さんは、やっぱり許嫁計画に反対なんですね」

「もちろんだ。それで紅葉家と加瀬家がどうなろうが、俺にとっては興味ない。辰未さんには申し訳ないけど、譲れない」


 両家が険悪にも関わらず冷戦が続いているのは、全てを覆す手段が残されていたからだ。

 それが俺と紺乃を婚約させる許嫁計画。


 俺達の年齢が近かったことから、内密に生まれた話。

 俺の引き起こした事件で、停滞している話。

 全てを解決へと導く、魔法のようなお話。


 こんな話を希望か何かだと思っている親戚達は頭がおかしい。

 辰未さんが紅葉家の当主になったのなら、遠くない内に上手く収まるのに。


「私は家の事があるから賛成している訳じゃないです。これは、私の意志なんですよ」

「…………」


 問題は、この話に紺乃が賛成だということだ。だけど、俺はその意志に応えられない。期待に応えられない自分に耐えられない。だから、俺達は結ばれちゃいけない。


 この手段を潰すために、先手を打って彼女を作らないといけないのだ。

 沈黙する時間は、ふとした紺乃の言葉で解かれる。


「レモンティー、無くなってしまいましたね」

「ああ、入れ直すよ」


 紺乃は一切の動揺を見せずに寛ぎ始める。もうこれ以上の話は無駄だと気付いたらしい。


 我儘とプライドを同居させたような紺乃は昔から変わらない。

 これが萌奈さんの求めている寛ぎ方の模範解答なんだろうか。


 なんて考えていたら、今期アニメの第一話にチャンネルを切り替えていた。


 夜まで帰らないつもりだろうか。


 コーヒーのように真っ暗で静かな世界が、今はとても待ち遠しい。

 とはいえ、今日は眠れなくなりそうだ。好きな人のことを考えると、眠れない。


 紺乃が……俺にとっての紛れもないなのだから。

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