第14話

 大通りで別れた後、俺はなんと萌奈さんの家に招かれた。反省会である。

 いつもより苦く感じるコーヒーの味が、失態の重さのように感じる。


「あーあー。最後、雰囲気悪くしちゃったよなぁ。時間を巻き戻したい」

「ぶーぶー! いつまでも情けないぞ~。そんなことより言うことがあるでしょ?」


 ソファーで寛いでいると、萌奈さんが説教を言いながらりをする。


「はぁ……どうしたんだい? もんもん萌奈さんや。わしには全くわからないんじゃ」

「近所の伊織さんがねぇ……時間が巻き戻るどころか老いてしまってねぇ」

もんもんの部分に何か言ってくれよ……」

「気に入った! 語呂良いしかわいい」


 かわいいか……?


「それは良かったけど、萌奈さんはどうして見るからにご立腹なんだ?」

「終わった話より、女の子の部屋に入ったんだから、そろそろ感想の一つあって良さそうなところだけど?」


 萌奈さんにもそういう期待があったのか。まあ年頃の女の子だしな。


「綺麗に片付いているし、いい所だと思うよ」


 良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景なリビング。

 萌奈さんがきゃしゃだから相対的に生まれる感覚なのかもしれない。


「でもさ、ここは萌奈さんの部屋っていうより、居間リビングだろ? 趣味部屋は見せてくれない?」

「あたしの趣味部屋は、立ち入り禁止です。とてもじゃないけど……見せられない」

「そっか……疚しいことがある訳でもないのに鹿波さんから隠れてここに来た目的は、これを返すためなんだけど、見せてくれないのかー」


 俺はかばんからハレミカを取り出す。餌で釣る作戦だ。


「うーん。ううーん。そっ、それでも、やっぱり女の子には色々あるんだよ」

「わかったよ。これは元々返す予定だったし、二周目読了したら、ちゃんと返すよ」


 唸って葛藤まで見せてくれたものの、流石にダメらしい。

 仕方ないので、俺はハレミカの続きを読み始める。


「返してくれるのは、よろしい……って、ん? ええっ読書!?」

「驚きすぎだろ。安心しろ。俺は律儀だから約束は守るつもりはある。という訳で、今二周目を読み終わらせようと思ってな」


 そうした方がお互いに効率的だろう。


「むうっ! 他人の家でお喋りもせずに読書とか……伊織さん、くつろぎ方を知らないね!?」

「……まるで自分は知っているような言い草はやめろ」

「おっと? 勘違いは良くないよ。招いたことはなくても、招かれたことならあるんだからね」


 鹿波さんの家かな? わからないけど、それって招かれた側じゃないか。


「萌奈さんの場合は招いた側が初めてな訳だけど、どういった心境で?」

「正直なところ、ビビっております。あ、出し忘れていたミルクはこちらになります」

「店かよ。いや急に素直になったな」


 本当に俺が初めての来客なのか。

 やっぱり万が一にも趣味部屋を覗かれる可能性を考えて、家に人を招くのは避けているのだろうか。


 そこまで神経質になることでもないと思うけどな。


「ぐぬぬ、素直ですと!? ここが何処かおわかり? 逮捕チャレンジいってみよ~」

えんざいだ!」


 よくよく考えたら一人暮らしの女子校生の家に男が上がっている時点で、色々問題だよな。

 すると、萌奈さんは立ち上がって空っぽになったお互いのマグカップを手に取る。


「伊織さんもおかわり、いる?」

「ありがとう。頂くよ」


 萌奈さんはコーヒーメーカーに豆を入れた後、リビングから出て行く。


「ちょっと大人しく待っていてね? ちょっと洗面所行ってくる」

「心配しなくても、趣味部屋を勝手に覗いたりなんてしないから安心しろよ」

「そこは信頼している」


 実際にそれを言葉にしてくれると、素直に嬉しい。

 俺は大人しくラノベの残りを読んで待つと、すぐに萌奈さんは戻って来た。


 簡易的に結んだことは明らかだったけど、の髪型になっていた。


「ツインテールにする必要あったか?」

「不評かな!? 誰にも見られないのって、むなしいだけじゃない? はい、コーヒー」

「ありがとう。でもだったら、学校でもすればいいじゃないか?」


 余計なお節介だとわかっていてもそう言ってしまうのは、ツインテールの方が、可愛らしいと感じるからなのかもしれない。


 まあ彼氏のいる萌奈さんにそういう感情を抱くのはよしておくべきか。


「ダメ。これは現実と趣味の時間を分けるメリハリだって言わなかった?」

「似合っていると思うんだけどなぁ」

「うわぁ。都合の良い事言って。そこまで求められたら、伊織さんがここに来るときはこの髪型にするよ」


 元々不評は言ってなかった筈なんだけどな。

 それはそうと、その言葉はまた来ていいというお誘い?


 一々おしゃしてくれるのは、なんか申し訳ない気もするけど。


「気の利いたサービスだな」

「そそ。サービス! ね? あたしは招き方を心得ているんだよ。ふふーん」

「サービス精神のないサービスか」

「そんな偽善みたいに言わないでー」


 いつもよりもきわった萌奈さんのムッとした顔。

 人の雰囲気って服や髪型一つのさいな要素で変わるし、お洒落に長けた彼女だからここまでストレートに感情を表現できるのかもしれない。


「悪い。いやぁ目の保養になるなぁ」

「うんうん! 最初からそう言っておけばいいんだよ」


 冗談でも褒められると嬉しいらしい。

 お喋りに夢中になったので読書はやめた。

 本をソファーの置き場を探そうとすると、デスクラックに気になる本を見つける。


「ん? スペイン語の文法?」

「うん、教本だよ。英語の文法とかは、もう身に付いたから。ぼちぼち勉強中」


 触って良さそうなので、手に取ってパラパラと少し読む。

 まあ全然わかる筈もなく、頭が痛くなる前に本を閉じた。


「どうしてスペイン語? 訊いていいのか、わからないけど」

「ああ、それは……パパが今メキシコで働いているからなんだよ」


 そっか、ジョシュさんはもう既に日本にはいないのか。


 メキシコとは、これまた遠い場所だな。

 たまには、ここにも帰ってきてあげたらいいのにな。


「メキシコって、英語じゃダメなのか? 狭い範囲なら十分だと思うけど」

「パパ曰く英語だとビジネスに限界があるみたいで、スペイン語の方を話せた方がスムーズなんだって~」


 長期滞在なら、そっちの方がいいのか。

 英語だとなまりが違って聴き取りにくいところもあるのかもしれないし。


「それを萌奈さんが勉強する理由は……ジョシュさんの助けになってやりたいとか、そんな気持ちがあるからか?」


 自分の言葉の意味を理解しないまま言ってしまった。

 それはつまり、萌奈さんが海外に行ってしまうような可能性を指し示している。


「ううん。全然考えてないよ。パパはマルチリンガルで海外を転々としているしね。付いていくのは、か弱いあたしに厳しいかも?」


 ジョシュさん、ハイスペックすぎる。


「ジョシュさんすごいな。あの人、他にどこの言語話せるんだ?」

「とりあえずロシア語は話せるよ。文字は書けないみたい。あたしもロシア語なら少し喋れるんだ。あと、か弱いあたしの部分に何か言ってほしかったなぁ。ぼそぼそ」


 ここで話してみてほしいという考えが、一瞬頭を過った。

 しかし、萌奈さんがハーフであることを隠すようになった理由を思い出してやめた。


「でも、結局は暇つぶしかもね~。英語もネイティブになれるように努力はしているけど、ずっとそれだけだと飽き飽きしちゃうから」


 家の威光という訳ではなかったのか。少し意外だった。


 改めて、萌奈さんが努力家だと再認識する。

 きっとそれは正しいことで、だからこそ、その努力が報われてほしいと切に願ってしまう。


「そんな甲斐性あったんだな」

「馬鹿にしているの? まだまだ伊織さんはあたしのことをわかってないねぇ」


 テーブルを挟み、しゅっしゅっとパンチをり出してくる萌奈さん。

 しかし腕が短く当たらない。


「感心しているんだよ。オタク趣味と両立させているなら、そりゃ立派だろ」

「え、そんなしっかり褒めないでよ。でも、そっか。立派なんだよね、あたし」


 最期の一言は俺に言った呟きだろうか。

 小声だったので実は自分に向けた言葉だったのかもしれない。


「少なくとも、萌奈さんは頑張っていると思うよ。その性格がネックだろうけど」

「コーヒーを優雅に飲むこの姿は、大人びて見えない?」


 向かい側の椅子で、上品に振舞って見せる萌奈さんの姿は、少し大袈裟だった。

 演劇だったら様になっていそうだが、現実でもそうかと問われれば答えはノーだ。


「見えないな。優雅でもない。でも、それはそれで萌奈さんの魅力でもあると思うから、直す必要はないと思う」

「褒めているのかわからないのは、ダメです!」


 無邪気で子供っぽいというのは、褒め言葉に入らないのだろうか。

 萌奈さんの女心はわかりやすいけど扱いにくい。


「うーん。やっぱりツインテールが……合ってないんだろうなぁ」

「褒めてほしいのにー! どうして追い打ちをかけるのさぁ……」

「ツインテール抜きで考えれば優雅だって褒めているんだよ」

「わかりにくい上に雑じゃない? 伊織さん以外と飲むときは、ケチ付けられたことないし、そうなんだろうけどさ~」


 俺もそう思うけど、面と向かって褒めるって中々に難しい。


 何度か平然と褒めている気がするけど、意識して褒め続けるのは本当に心を締め付けそうになる。それがどんな感情なのか、正直わからなかった。

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