第11話

 翌朝。いつもよりもえた頭。今日はプール清掃をする日だ。

 そのため早めに登校をしたのだが、着いてから流石に早すぎたかなと思った。


「あれ、伊織くん早いね」

「鹿波さんこそ。何分前に来たんだ?」


 屋上のプールで、なびく髪をそっと手で押さえる鹿波さん。

 立候補しただけあって、ずいぶんと張り切っている。


「うーん、十分くらい前かな。真っ先に立候補した私が一番にいなきゃ、立つ瀬がないかな、って思ってね」

「当然のように言うけど、やっぱり鹿波さんは真面目なんだな。偉いと思う」

「そう? 伊織くんは最近朝早いし、改善できる方が偉いと思うなぁ」

「あれは、萌奈さんに詰られたくないからっていう理由が九割だから」

「残り一割は?」

「最近ちょっと、学校が楽しいからかな」


 それは本心だ。

 朝の時間は特に、遅刻ギリギリの生徒が多いから、ぼっちなことが多かった。


「そっか、萌奈はすごいなぁ。伊織くんの登校時間を改善させちゃうなんて」

「ん? 九割が萌奈さんによる被害って意味だったんだけどな」

「その九割は冗談っぽいな~。私だったら来ないもん」

「鹿波さんは、萌奈さんのこと好きなんだな。そこまでだとは思わなかった」

「だって、萌奈って可愛いでしょ? 可愛いは讃えるものだと思わない?」

「否定はしないけど、直接言うと萌奈さんは調子に乗るからなぁ」


 俺の一言に、鹿波さんがげんそうな顔で俺を見つめる。


「それ萌奈が聞いたら大変だよ?」

「いつも大変だろ。プラスマイナス若干プラス。彼氏さんも苦労しそうだ」

「えっ?」


 すると、俺の言葉に何か疑問点があったのか鹿波さんは少々考え込む。

 次には目が合うと、きょとんとした顔で驚いた表情だった。


「ん? あー、そうかもね。私は、萌奈のそういうところも好きだけど、伊織くんはそうでもないんだ。あれ、結果若干プラスならちょっと好きなのかな」

「好きでは……いや言い方を変えるか。面白いっていうのが正解かな。やっぱり萌奈さんの悪知恵は厄介だろ」


 鹿波さんが少し不機嫌になる予兆を感じて急いで訂正した。


 実際、憎めない性格は好ましく感じることもあるけども。

 ただ女の子の好きと、男の子の好きは解釈が違う……というやつかもしれない。


「悪知恵? 確かに萌奈はいたずらっ子だけど……伊織くん相手には違う気がするなぁ」


 両手の指を絡めて、鹿波さんは納得いかないとジェスチャー。


 俺と萌奈さんは互いに秘密を知っているから、その点が影響しているのだろうか。

 違和感を勘付かれているのかもしれない。


「俺限定じゃなくて、人によりそうだ。俺に何かあるとすれば……心当たりはあるけど」

「あ、心当たりあるんだ。何だろう? 訊きたいな」

「同じコーヒー好きの仲間なんだ」


 俺の方は嘘だが、違和感を避けるために与えておいた方がいい情報だろう。予防策だ。


「へー、そうなんだ。萌奈もそうなの? 初めて知った。でも、残念。私コーヒー飲めないから仲間になれなそう」

「あれ、萌奈さん公言してないのか。えっと、どうしようかな。秘密にした方がいいのかもしれないよな?」


 彼女は大人ぶりたいと肯定していたし、神経質なところかもしれない。


「萌奈の秘密、聞いちゃったなぁ。そだ、伊織くんに一個貸しにしてみようかな」

「……仕方ない。口が滑った」


 一緒にお茶飲んだりしないのだろうか。いや、休日の小笛さんは趣味にぼっとうしていそうだ。

 ばれて困る事でもないだろうと踏んで、ここは道化を演じる。


「案外、抜けている部分あるんだね。萌奈と似ていると思うなぁ」


 嬉しくない共通点。口を滑らせた後だと、訂正したいのに出来ないのがもどかしい。

 そんな時、扉の方から聞こえる話し声。


「来たみたいだね」

「おはよ~」


 浩介、真澄さん、萌奈がほぼ同時に着いた。

 一人いない事に気付いた鹿波さんがすぐに電話をかけだす。


「千里くん。モーニングコールだけど、もう起きているかな?」


 一段と低い声色で一言そうかけただけで、俺にまで聴こえる千里の謝罪の声。

 鹿波さんが俺を偉いと言った理由が、何となく理解できてしまった。




 結局、千里は俺達が掃除を始めてから三十分後にやってきた。


 基本的に男子陣がプールにこびり付いた汚れをブラシで擦り、女子陣はその他の雑用を担当。


 最初、浩介と二人で重いブラシを手に持ち掃除を始めた時は終わる気がしなかった。

 俺達二人は体力面が致命的だったこともあり、しんちょくが悪かったのだ。


「大方、綺麗になったんじゃないか?」

「遅れてきたものの、清々しい汗かけているみたいだね」

「だからって見るからに一番汚そうな部分を押し付けてくるのは酷いだろ!」


 千里に対して浩介が責めるが、本人は愚痴を零しながらもせっせと働いていた。


 彼が来てからはスムーズに進んだし、あと少しで大方終わりそうだ。


 現在プールはしの方にいる俺は、小汚い部分を掃除中。男子他二人とは離れているけど、一人おせっかいが近くにいる。


「ねえ、ここまだ汚れ落ちないよ。ここー」

「ああ、そこか」


 萌奈さんはホースで汚れを流してくれる役をになってくれている。


 プールのふちにしゃがむ彼女は退屈そうに指図してくるだけだ。力仕事を押し付ける訳にもいかないので、いいんだけど……やる気ないな。


「ほらよ。水流してくれ」

「はぁい。そだそだ伊織さん……ちょっといい? ちょいちょい」

「なんだ? 聞かれたくない話か」


 周囲を見渡す萌奈さんの視線から、何となく掃除とは無関係の内容だということは察した。


「聞かれたら効果が薄くなる話。少しヒントあげようと思って……暇だから」

「頑張っている奴の前で最後の一言はダメだろ。ヒントって何のヒント?」


 退屈はわかったが、言葉にするな。


「はいはい、落ち着いて。ヒントだけど……

「だから、何のヒントなんだ?」


 折り目? よくわからない。まあ頭のかたすみに置いておくか。


「うーん。それは後でのお楽しみかな~。掃除も大詰めみたいだし、頑張りん!」

「……どこの方言だよ」

「そういう語尾のキャラがいるの!」


 萌奈さんって、もしかしなくても架空のキャラクターに影響されやすいのでは?

 照れ臭いのか顔をらした萌奈さんはその場をあと退ずさりする。


「……


 その時、水が出たままのホースを持った萌奈さんの手。

 彼女が後退りしたことで、ホースの口は俺の方へ向けられていた。


「ご、ごめん! わざとじゃないの!」


 結果、俺は頭から水を被った。冷水ではなかったが、そよ風が少し肌寒くは感じる。


 まったく、真剣にやらないからこうなるんだ……って被害を受けているのは俺か。


 怒りは湧かず、ただ呆れるしかない。

 萌奈さんの態度は一変し、申し訳なさそうな声をかけてくる。


「見ればわかるよ。体操着に着替えておいて良かった。着替えはある」

「ううっ、ごめんよう。着替え、今すぐ取って来る。管理室?」

「持ってこられても、ここで着替えるには萌奈さんがいるだろ」

「あ、そうだった。ど、どうしよう」


 着替えを異性に見せることの恥辱を味わう趣味はない。

 萌奈さんには罪悪感からの焦燥があるらしいし、手持ちにならないよう、適当に考え出してみた。


「とりあえず、大きめのタオル持ってきてくれないか?」

「うん! わかった!」


 俺の提案にうつむきそうだった顔が明るくなって、行ってしまった。

 汗拭き用のタオルは一応持ってきたけど、しっかりくにはしのびない。


 走り去る萌奈さんを見ながらプールから上がり、俺も着替えを取りに行こうとすると、背後から浩介の声。


「おーい、どうした? ……って、伊織なんでれているんだよ。遂に萌奈を怒らせた?」

「そんなところだけど、萌奈さんも反省してタオル取りに行ってもらっている」


 肌寒さに話の脈絡を説明する気にもならず、いつもの事だと適当に流した。

 しかし浩介の顔が少し険しくなるのが見て取れる。


「関係悪化とか笑えないから、何かあったら早めに相談してほしい」

「そうだな。関係悪化は俺に味方がいないだろうし、分の悪い賭けになるからな」

「そうされると何も言えなくなるな。説得力がある。伊織、口が上手いよね」


 褒められても何も出ないし、普通に照れ臭い。

 青春っぽいやり取りを感じながらも風に吹かれて、ぶるぶるっと背筋が震えた。


「じゃあ着替えに行く。掃除については、言い訳のしようがないな。すまん」

「いいよ。千里の遅刻に比べれば、罪は軽い」

「そうか。すぐ戻る」


 今もブラシを走らせている千里を横目に確認して、俺も管理室に行く。


 上半身が濡れているが、体操着に浸り垂れないので問題ないだろう。

 萌奈さんからタオルを受け取り、制服に着替えることができた。

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