第4話

 ジョシュさんが去り、どうにも元気がなさそうな小笛さん。

 彼女は俺に背を向けて、歩き出す。


「新刊、もういいよ。加瀬くんに譲ってあげる」

「……気分で考え方を変えるなって」


 気に食わない。小笛さんの家の事情なんて俺の知ることではない。ただ悲劇のヒロインぶった態度に、見覚えが禁じ得なかった。


 だからか、彼女の肩を掴み、そっと新刊を彼女の方へ差し出す。


「……同情したから、譲ってくれるの? それ、損する性格だよ」

「さあ、な。ただ不戦勝で獲得した景品には、価値を見出せないってだけだ」


 少しだけ涙目になっている小笛さんの目元。

 しかし次には何が可笑しいのか、突然彼女は笑い出した。


「ふ、ふふっ、加瀬くんって変なの。そういえば、あたしは確かに加瀬くんを見誤っていたみたいだよ。あーあ、安心半分だけど憤怒も半分だよ」

「ん? 何のことだろ」


 何かを企んだような悪い笑顔を見せる小笛さん。さっきの面倒臭さが戻ってきたみたいだ。

 でも、先ほどまで虚ろだった彼女の目が輝きを取り戻したことに、俺は少し安堵する。


「まさかまさか、えぇっ本気で言ってる? はぁーっ、呆れちゃう。加瀬くん、ボーイフレンドの意味も知らないの~?」

「は……? 男友達だろ」

「違うんだな~。常識だよ、常識。もー信じら~んない! もしかしてとんでもないお馬鹿さんだったのかにゃ?」


 信じられないのは小笛さんの精神構造だ。

 滅茶苦茶煽ってくるじゃないか。


「言いたいことがあるなら早く言ってくれ」

「加瀬くんの言っている意味も間違いじゃないよ。でも複数の意味を持つ英語だってあるし、パパは別の意味で受け取っちゃったみたい」


 英語の意味という言葉が、心にグサリと刺さる。

 というのも、英語は天才である俺にとって唯一の苦手科目だからだ。


 日本人なんだから母国語だけ話せればいいじゃないか。どうせ将来海外で働く気もない。


「困ったことになったにゃ~。ボーイフレンドのもう一つの意味はだよ。パパの中で加瀬くんはあたしの彼氏なんだけど……どうしてくれる?」

「待って、検索するから……あ、本当だ」


 頭が真っ白になる俺。無意識に間抜けな声がこぼれた。


「物凄く焦っているけど、自然にあたしを下の名前で読んだりするから、全部加瀬くんが悪いんだよ。自覚ある? 無いなら持って。頭に詰め込んで!」

「そうみたいだ。これは……本当の彼氏さんに悪いな」


 というかジョシュさんに悪い。

 次会ったら娘の隣にいる彼氏が違うとか、どんな顔をすればいいのかわからなくなるだろう。


「よって、この新刊はあたしがきちんと勝ち取ったってことで受け取っておくよ!」

「おい、そんな調子に乗っていいのか? あと、パパ呼びなのはいいのか?」

「あ、これは……わっ、忘れて!」


 ドヤ顔が一変し、顔をかああぁっと赤く染め上げた。小笛さんも大概だな。


「まあパパ呼びの事は忘れよう。そこは、さして重要じゃないだろ。それとも、軽く流せると思ったか? もう一つ……小笛さんには隠していることがあったなぁ?」


 小笛さんはクラスのギャルだと認知されている。

 しかしそれは主に容姿とクラスの中心人物であることが故の見せかけ。


 お洒落だと思っていた髪や瞳が天然物ならば、そもそも彼女はギャルじゃない。


「ハーフ、いやクオーターなのか?」

「……前者。というか、そこじゃないでしょ」

「ああ、小笛さんがまさか、ギャルじゃなかったなんてな」

「あああぁぁ……やっぱり気付かれてた! あたしもう終わりだぁ……」


 急にさわぎ出す小笛さん。情緒不安定か。

 オタクに優しいギャルさえいるかどうかもわからないのに、オタクのギャルなんていない。


 誰が何と言おうと、俺の中でこの理屈はくつがえらない。実際、正解だったようだ。


「しかし良かったのか? 他に隠しているような言い方をして。もしかしたら俺が気付いていなかったかもしれないのに」


 すると俺をキッとにらみ、次にはため息を吐く小笛さん。


「加瀬くんの気持ち悪いニヤケ顔見て諦めた」

「俺にやつ当たりすんな」

「でもまっ、ふぅ~……見抜かれるといっそのこと清々しい気分だね」

「切り替え早いな」


 喜怒哀楽が激しい小笛さん。さっき父親の背中を寂しく見ていた少女とは別人のようだ。


「訊いてみていいのかわからないけど、なんで隠していたんだ?」

「……前置きは、なんであったの?」

「もしも本当に繊細デリケートな事情があったとして、デリカシーがないと思われるのはごめん被る」


 俺はクラス内で同級生と広く浅い関係を結んできた。


 始めはコミュニケーション能力を培うためだった友達作りも、続けていけば俺を情報通にさせた。

 その結果、こういう相手の触れてはいけない部分は何となくわかってしまう。


「ふうん。気づかいは出来るんだ。よろしい。まあ加瀬くんになら、話しても良いんだけど……のど乾いたかな~。飲み物買いたい」


 なんだそりゃ。つい苦笑してしまう。


「それもそうだな。ちなみにハレミカはどうする?」


 元々争っていた元凶をどうにかしないといけないだろう。


「あたしは加瀬くんの秘密を一つ知っているけど、加瀬くんはあたしの秘密を二つ知っている。単純な引き算。隠し事の差額分、その埋め合わせにして」


 つまり、俺に譲ってくれるというのか。なんかしゃくぜんとしないな。


「できないな。俺がこれを受け取ったとして、小笛さんをいつでも脅せる」

「ええっ!? それは酷いよ。あたしが言い渋ったから? 本当に喉乾いているんだけど」


 少し怖がらせるような言い方だったかな?

 それでも距離を取ったりしないあたり、俺に対しての警戒心が薄まっていると信じよう。


「話を後回しにしたことは気にしてないし酷くない。俺からの慈悲として受け取ってくれ」

「むっ、なんで上から目線」


 納得がいかない顔をされる。


「そりゃ、小笛さんの言う通り俺の方が秘密を多く知っているからでは? もちろん、俺だって諦めていない。だから、条件を付けよう」

「な、何? あたしが断れないからって変な要求やめてよ? これ、振りじゃないよ!」


 手のひらを広げて拒否のジェスチャーをする小笛さん。

 一々身構える必要あるのかよ……と思ったが、俺も男なのだし当然の態度か。


だ。俺にも半分払わせてくれ。そして、小笛さんが読み終わったら明日にでも学校で貸してほしい」

「へー、それはナイスアイデアだよ。別にお金には困っていないけど、それでお互いお咎めなしってことなら」


 お咎めは後にして、納得してもらえたということで早速会計に向かおうとする。

 すると後ろからトコトコと付いてきた小笛さんが横に並び、わざとらしい顔をする。


「そういえば加瀬くん~、あたし……この後暇になっちゃったんだけどさ」

「ん?」

「喫茶店にでも寄らない? まだ、話すことあると思うから」

「まあ、そういうことなら」


 俺も喉が乾いたし、願ったり叶ったりの提案だ。

 待て……ギャルではなかったとはいえ、同級生の女子と二人で喫茶店とか何気に初めてだ。


 急に緊張してきたが,、小笛さんの顔を見てすぐに解れる。

 小笛さんの『この後暇になっちゃった』という言葉は皮肉かと思ったが、違う様子。


 まるで慣れたことのように素っ気ない小笛さんの横顔は、いつの日か俺が思い描いただかさを持っている気がした。

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