【短編】灯は森の薫りと白銀の煌めきと

さんがつ

【短編】灯は森の薫りと白銀の煌めきと

フォーランドは自分の「運の悪さ」に苦笑いを零した。

天を仰ぐと、つい先ほどまで居た場所…それは眼前にそびえ立つ、切り立った崖なのだが、その崖の背後に広がる滲んだ茜色の空が見えた。


フォーランドの息は荒く、顔を横に振れば、の目に入るのは、ぼんやりとした木々の緑。

いつもより何も見えない…と、妙に冷静で居れるのは、足の痛みと絶望から逃れようとする現実逃避からだろう。


(二度と、戻らぬつもりで…出たが、…死に場所…が人の世では、無いとは…)


頼りの右足はあらぬ方へ曲がり、先ほどから意識を失いそうになる度、痛みによる覚醒を繰り返している。


(死ぬのは構わないが、…せめて…親や弟に、心配かけない方法を…取りたかった…。行方知れず…で…途絶える…とは、…貴族の息子として…最低…かも…)


「はぁ…はぁ…」


(せめて……最期に…手紙…を…)


重くなった右腕を動かして、内ポケットに手紙があるのを確認する。

クシャリと紙が潰れる音に安堵するフォーランド。

それは旅に出る前に認めた、自分の最期を家族に伝える手紙だった。

いずれ来る死期の間際に、人に託して実家に送ってもらうつもりで、常に携えているものだ。


(まだ…手紙…を…。それまでは…死ね…な…い)


吐き出した息を戻そうと大きく息を吸う前に、彼の意識はゆっくりと闇に引き寄せられた。フォーランドの意識が暗闇へと進む中、遠くで誰かの声が聞こえたような…そんな、ぼんやりとしたものと一緒に彼は闇の底に落ちて行った。




*****




フォーランドは古代文字を研究する学者だ。学者と言っても年は36歳。

まだ若く、将来性もある。

そんな彼だが、家を出る前は子爵家の嫡男として育てられ、学者になる人生では無かった。


彼がこうして学者となり家を出た原因は、11歳の時に起きた事故が元になっている。事故の際に全身を打つ大怪我をしたのだが、その後遺症で左足に不具合が出た事と、視力が落ち人の表情が上手く読み取れなくなってしまった事だ。


そんな後遺症を患う彼が、子爵家の嫡男として社交の場で生き抜くのは難しい。

父は家督を弟に譲ると早々に決め、フォーランドに留学の道を示すと、彼はそのまま留学先の国で学者として生きる道を自力で切り開いた。


やがてフォーランドは学者としてある程度の成果をおさめると、その権利を友人の会社に買い取ってもらい、全てを財産に変えた。


決して家族の仲が悪いわけでは無い。

それでも家を継ぐ弟の邪魔になってはいけないと、フォーランドは家を出る時にはそう考えていた。

そんな考えが、常にフォーランドに有ったからだろう。

予想外の財産を得た彼は、これ幸いとばかりにその殆どを実家へと送ると、古い文献を頼りに世界中の伝承を調査する旅に出る事にした。


こうしてフォーランドは意識を失った場所…精霊の森と言われる場所へやって来た。

しかしこの行先が決まったのは、ちょっとした偶然である。


馴染の古本屋が、読めない古い手記があるが買ってくれないか?とフォーランドに持ちかけ、彼が差し出したのは、タエタルの文字で書かれた一冊の手記であった。

古いタエタル語で綴られているが、手記自体はそんなに古いものでは無いように見える。


「面白そうだ」


フォーランドはその手記を買い、読み進めた。

この手記の主は遺跡調査の記録係らしい。それに古代の文字を使って日記を書いたのだ。読める人なんて居ないだろうと、そんないたずらを思いつく変人の残した言葉に、フォーランドは益々興味が湧いた。

そしてその手記の中に、思った通りの面白い一文が綴られているのを見つけた。


「何故、神の遣わしたエルフと人が交わる事が出来るのか?」


なるほど、それは最もだ。

稀に半エルフと呼ばれる「落ち子」が産まれる話を、フォーランドは古い文献で目にしたことがある。彼はその一文に感心を寄せた。


「落胤か…」


ならば…と、フォーランドは手記主の謎を解いてやろうと、エルフの住みかと言う、この森へやって来たのである。


「もし会えたなら、直接聞けばいい」


まだ若いフォーランドならではの行動だった。




*****




パチ…パチパチ…


木の爆ぜる音がフォーランドの耳に入る。

やがて意識がぼんやりと輪郭を作ると、ほんのりと温かく、視界が明るい事に気が付いた。


「…っつ」


起きようにも、身体が重くて動かない。

ぼんやりと霞む目の前に人影がうつる。


『………』


人影が何かを言いながら動くと、冷たく湿り気のあるものが、首の汗と熱を吸うのが分かった。その心地よさに身を委ねると、じんわりと何か温かいものが腹にあるのが分かった。

その温かさに注意を向けるとフォーランドはまた闇に落ちた。


チチチ…


今度は小鳥のさえずりに導かれるように、フォーランドは闇の世界を後にした。

目が覚めて、ゆっくりと起き上がると、体の痛みが無い事に気が付いた。


「治ってる…?」


不思議と、崖から落ちた際に折れた右足が治っているようだった。

信じられない。…いや、違う。きっと自分は天に召されてしまったのだ。

だから体の不具合が治ったのだ…とフォーランドは合点がいった。


なるほど、天の世界とは今まで居た場所とそう変わらないのだな。

そんな事をフォーランドは視点の合わない目で、周囲を見回しながら思う。

そして元から自由ではない左足に触れると、目も足も以前から悪い所は治らないのだな…と、苦々しくも思った。


さて…どうしたものか。

暫し思案にくれたが、腹のなる音で考えが途切れる。

そう言えば喉が酷く乾いている。


「人は死んでも腹が減るし水も飲みたいのか…」


フォーランドは苦笑いをした。

その時、少女の笑う声が耳に入った。


『死ぬない』


ぼんやりと霞む目の前に人影が揺れる。


「天使…の迎えが来たのだろうか?」

『天使ない』


人影はゆっくりと近づいている。

フォーランドは息を呑んだ。

目に飛び込んだのは、新雪のような真っ白な髪と大きな瞳。

見目麗しい姿の人影は、まさに天使としか言いようのない美しい少女だった。


「美しい…。天使のようだが、羽は無いのか?…」


フォーランドは無意識にそう呟いた。


なるほど、本物の天使は、経典の天使像とは随分と違うらしい。

そもそも人が天使を見る事なぞ出来ないので、本来はこのような姿をしているとは誰も知らないのだろう。

そんな事を考えながらフォーランドは目の前の神々しい存在に、妙に感心してしまった。


そんなフォーランドの思案をよそに、少女は「はにかみ」ながら、『羽ない』と言って髪をかきあげた。

少女の髪の間に現れた長い耳にフォーランドは驚く。


「まさか、エルフ…なのか?」

『人間は、面白い』


戸惑うフォーランドをよそに、その天使のような美しさを持つエルフの少女は、フォーランドの足の怪我をじぃっと見つめだした。


「あぁ、足は治った…のかな?それとも私は死んだのだろうか?」


フォーランドは右足で地面を蹴ったり、踵をトントンとしたりして具合を確かめた。

そんな彼の行動をよそに、少女は持っていた包みを足元に置いて広げると、中から果物を取り出し、フォーランドに差し出した。

フォーランドは差し出された果物を受け取ったものの、どうしていいか分からず、戸惑ってしまった。

すると彼の腹から「ギュルル」と音がした。


『あはは』


腹の音に笑う少女を前に、フォーランドの頭はますます混乱を極めるが、身体は要求を全面に押し出すようで、相変わらず腹は鳴っている。

フォーランドは深く考えず、差し出された果物の礼を伝えると、素直に食べる事にした。




*****




彼女の言葉はフォーランドの使っている言語と少し違うが、そもそもフォーランドはの古代文字の学者である。

彼の勘の良さが幸いした事も有り、知っている古い言葉を使うと、会話が成り立つのが分かった。


「ここは天国では無い?」

「人間は面白い。ここ、人間の精霊の森、言う」

「君はエルフ…で良いのかな?」

「人間は言う、そう」


どうやら、自分は死んだわけでは無く、エルフである彼女にケガを治してもらったようだ。彼女は命の恩人である。

どのようにして怪我を治したのか気になる所だが、それを聞くのは無粋だろう。

なんせエルフは神の遣いなのだ。


「命を救ってくれた事、感謝する。ありがとう」


フォーランドが感謝の気持ちを伝えれば、彼女は「はにかむ」ようにニカッと笑っていた。




*****




エルフの少女の献身でフォーランド具合が随分と良くなった。

フォーランドの体は元通りとはいかないまでも、森を歩けるようにまで回復していた。


「出る?森」


森から出る…。

そう言われても、彼の目的はまだ何も成し遂げていない。

それに子作りの話なぞ、出会ったばかりの妙齢の女性に聞ける話でもない。

フォーランドが答えあぐねていると、エルフの少女は「手伝うか?」と話しを持ち掛けた。


手伝う…。彼女の仕事の手伝いだろうか?

ならばまだ彼女と一緒に居ても良さそうだと、安堵したフォーランドは、話の内容を確認もせず、勢いよく「是」と答えた。

そんなフォーランドの言動が面白かったのだろう。少女はニカっとはにかみを見せた。




*****




崖から落ちた日から半年程過ぎた。

怪我をした自分を献身的に看病してくれた美しいエルフの少女は、自分の名前を「ナナイ」と名乗った。


ナナイの提案でフォーランドは彼女の仕事の手伝い…といっても、ただ傍で見ているだけなのだが、あれから彼女と共に過ごしている。


ナナイの仕事とは、森や山の中を歩き、フォーランドには聞こえない小さな声を拾って、捨てられたかつての祭壇や社の手入れをして回るもののようだった。

それは仕事と言うよりも、彼女の素性はエルフなのだから、神から与えられた使命のようなものだとフォーランドは考えた。




*****




「ナナイが60歳だって???」


フォーランドは素っとん狂な声を出して驚いた。

女性に年齢を聞くのは失礼だと思ったが、ナナイがエルフとは言え、年若い女性が自分のような者と一緒に居て、障りが無いのか少し気になったのだ。

ナナイの姿はどう見ても10代後半の少女にしか見えない。


ナナイは自分の娘のような年頃の少女だと思っていたのに、実は自分の母親よりも年上だったとは…。


「数は新月、みる。人間の60年」


ナナイの言葉遣いはぶっきらぼうに聞こえるが、彼女はいつも、はにかむような笑みで、フォーランドの反応をいちいち面白がっていた。


「年、フォーは?何?」

「私は37歳になったよ」

「まだ子供」

「はぁ~。エルフと人の時間の流れ方が違うのは、本当なんだね~」


エルフと人間。

流れる時間が違えば食生活も大きく違った。ナナイは果物しか食べない。それでもフォーランドの為に野兎や鳥を狩ってくれた。


「人間は弱い。生きる為、沢山の命が要る。人間は本当に面白い」


ナナイはフォーランドの食事の度にそう言って、フォーランドが食べるのを面白がっていた。


ナナイと一緒に森を歩くたびに痛感する事がある。

ナナイはフォーランドの助けは不要のようで、基本的に一人で生きて行けるようだ。

そしていつまでもフォーランドの面倒を見るのが不思議でならなかったが、ナナイの年齢を聞いて合点がいった。

きっと自分はナナイから見れば「子供」で、庇護の対象なのだ。

フォーランドは、ナナイの「はにかみスマイル」を見るたびに、自分の不甲斐の無さに、苦笑いを返したのだった。




*****




ナナイと二人きりの旅。

会話は少ないが、決して飽きるような事は無かった。

彼女の傍にある空気感が心地よい。会話の無い沈黙の時間も、その空気を護る為にあるようだった。


フォーランドは時折、ナナイと共に過ごす時間を振り返る事が有る。

その積み重ねた時間の中に、妙な充実感がある事をフォーランドは自覚していた。

それらが積み重なると、フォーランドは自分の生、つまり「生きているそのもの」を感じるようになっていた。


今になって思えば、ナナイと出会う前の自分は、ずっと心が痛かったのだ。


まだフォーランドが少年だった頃。事故に遭い父から家督を弟に譲ると言われた時、自分は父の期待を裏切ったのだと、心を痛めたのだ。


そして自分の婚約者の相手が弟に変わった時、自分を認めてくれる人は居なくなったのだと、心を痛めたのだ。


やがて青年になり、雨の日や寒さの厳しい朝を迎える度、きしむ左足に痛み走ると、満足のいかない体になってしまったのだと、心を痛めたのだ。


留学先でがむしゃらに勉強した事も、学者となり功績を焦ったのも、財産の殆どを送ったのも、そうする事で自分の痛みを相殺し、過去から逃れたかったのだと知ったのだ。


でも今は違う。例えフォーランドの力が無くても、望めば傍に居て、足の痛みに寄り添い、共に休んでくれるナナイが居る。

自分の心を蝕んでいたかつての痛みは、ナナイと過ごす時間が重なる度に薄れている…。

フォーランドはいつしかそんな事を考えるようになっていた。




*****




ある日ナナイがフォーランドと出会った日の事を聞いてきた。


「フォー、なんで森来た?」

「え?」

「ケガした森」

「…」


つまりナナイはフォーランドがエルフの森に来た理由を聞きたいらしい。


以前は聞けなかったが、ナナイが自分より年上だと聞いた今なら、その疑問をぶつけても良いかも知れない。

フォーランドは意を決して手記を取り出し、手記の内容を説明した。

そんなフォーランドの声をナナイは静かに聞いていた。


「それで、ここにね」


そう言って例の一文を見せる。


「『何故、神の遣わしたエルフと人が交わる事が出来るのか?』って書いてあって、私もそれが気になった…」


聞いてしまった…。

フォーランドはナナイの様子を探るべく、神妙な面持ちでナナイの顔を覗き見る。恐る恐る覗き込むフォーランドと目が合ったナナイは、いつもの「はにかみスマイル」でニカッと笑った。


「人間は面白い」

「え~っと?」

「奇跡。番う奇跡、生まれる奇跡、死ぬ奇跡」


ナナイは、あははと笑い出した。

フォーランドはそんなナナイの様子を呆気にとられて眺めていたが、なるほどだ。

言われると確かにナナイの言う通りだと思った。

今になって思えば、何故疑問に思っていたのか分からなくなって、フォーランドも声を出して盛大に笑った。


「あはは、その通りだ!!あはは、ナナイ、君は最高だ!」

「あはは、フォー、ソノトオリダ!!」


当たり前だが、ナナイは人間とは違う。

彼女はエルフだからなのか、ありのままを見て、ありのまま受け入れる。

そんなナナイの純粋さを目の当たりにしたフォーランドは一気に彼女に惹かれ、またその素性を敬った。


「ナナイは姿だけでは無く性根も美しいのだな。そして君の見る世界も、きっと美しいのだろう」


フォーランドがナナイを見る目は、愛しいものを見るような、柔らかいものに変わっていた。


「フォー、綺麗」

「私はナナイとは違うよ」

「同じ」

「…」

「フォー、同じ」

「…そうだね、一緒だね」


そう言ったフォーランドは、以前の苦笑いとは違う笑みで返えす事が出来た。


きっと、ナナイの言う一緒とフォーランドの思う一緒は違う。

それが例え同じ景色に見えなくても、ナナイと同じ気持ちで無くても。

それでもナナイが一緒と言うなら、フォーランドも一緒で良いと思ったのだ。

それにフォーランドは予感していた。

ナナイの言う「同じ」という意味が、そう遠くない未来に分かる日が来る…と。


経験した事のない魂の振動がフォーランドの全身を駆け抜けると、彼はナナイの頬を撫で、彼女の唇を自分のそれで塞いでいた。

何故そんな事をしたのか?と聞かれても、フォーランドには分からない。

自分の気持ちが変わったのか、気持ちが変わったからこうするのか。


ただひたすら、こみ上げて来る思いのままに行動した事が、このような行為に結びついたのである。

長い口付けの後、フォーランドはもう一度ナナイの頬を撫で、彼女の顔を見つめた。

ナナイは嬉しそうにいつもの「はにかみスマイル」でニカッと笑ってくれた。


その日の夜、フォーランドはナナイを自分の胸の中に抱いた。

彼女の温かな柔らかい肌は、優しい森の薫りがした。




*****




ナナイとの関係が男女のそれに代わっても、フォーランドは相変わらずナナイと旅を続けていた。そもそもフォーランド自身はもう人の世に未練なぞ無かったのだ。


旅が日々の暮らしの一部に変わる頃、彼女は気だるそうにして、歩みを止める日が多くなった。フォーランドはもしかして…と思い彼女に質問をすると、ナナイも自身が妊娠している事に気が付いた。

フォーランドは事故の後遺症から自分は子を成せない体だと思い込んでいたが、何のことは無い。男性の機能はまだ失っていなかったのだ。


「奇跡だ…」


ナナイの妊娠の事実に、フォーランドはただ呆然とその奇跡を宿すナナイの顔を見つめる事しか出来なかった。

一方のナナイは、いつもの「はにかみスマイル」でフォーランドを見つめていた。

そんなナナイの、はにかんだ笑みに込み上げてくるのは、ナナイへの更なる愛しさと、生きる理由が一つ加わった喜びだった。


ナナイがエルフとは言え、母が子を産む事に危惧が無かった訳では無い。フォーランドは、エルフの集落に頼る事は出来ないのか?とナナイに尋ねた。

彼女は少し考えた末に「それは良い」と言ったので、二人はナナイの育った村へ戻る事にした。


身重のナナイを案じながら、村へ戻る日々。

それでも赤ん坊は二人の都合なぞ待ってはくれない。日に日に大きくなるナナイの腹。そんなナナイの体調を優先していたら、村へ付く前に産気づいて、ナナイは赤ん坊を産んでしまった。


ナナイの腹から生まれた赤ん坊は、彼女の真っ白な髪と、フォーランドの黒髪がほんのちょっぴり混じった、グレーのような白銀の毛を短く生やしていた。

そしてエルフの特徴たる耳も受け継ぎ、ナナイよりも少し短いが、ちゃんとエルフの耳を持って生まれた。


「天使だ…」


フォーランドは生まれた赤ん坊こそ、本物の天使だと思った。

そして、崖から落ちて大怪我をしたのは、ただの不運では無かったのだと知った。

少年時代の怪我も、森での怪我も、ナナイと出会ったのも、そこに理由があるとすれば、全てこの天使に会う為だったのだ。

フォーランドがそれらに気が付けば、見た事も無い神に感謝をする事が出来た。


こうして二人が村に着く前に赤ん坊が先に生まれてしまったので、二人は近くの社を根城に、暫く留まる事にした。

そう言えばナナイと旅をしてから、何もかもがスムーズに進んでいる事にフォーランドは気が付いた。

それもそうかとフォーランドは思案する。

彼女は神の遣いでエルフなのだ。

フォーランドがそうで無くとも、ナナイと生まれた赤ん坊は、神によって護られている…。

フォーランドがそれらに気が付けば、再び、見た事も無い神に感謝をする事が出来た。


赤ん坊が生まれてから、あまり動けぬナナイの為にフォーランドが狩りに出たり、食物を探しに出たりしたが、何故だかいつも「偶然」という形で手にする事が出来た。

フォーランドが歩けば、果実の実る林に出る。

また少し遠くへ歩けば、人の訪れる祭壇が見つかり、供物をそのまま頂く事が出来た。祭壇には織られた上等な布があったり、食物をくるんだ丈夫な布を見つけたりしたので、それを頂いて赤ん坊に被せたりもした。

そんな具合で根城にしている社の中で三人でゆっくりと過ごす事が出来た。


2カ月程経つと、赤ん坊は少しだけ体がしっかりとして来た。

エルフの流れる時間が人と異なるのは、もっと体が大きくなってからの様だ。

フォーランドはそれもそうかと思う。

産まれた子が、いつまで経っても赤ん坊のままだったら、エルフの親は育てにくいだろう。


「エルフは面白い」


いつの間にかナナイの口癖がフォーランドにも移っていた。




*****




産後の肥立ちも良く、ナナイの産んだ赤ん坊が落ち着いたのもあって、三人は村へ戻るべく移動を再開した。

やがてナナイの育った村の近くの水場までやって来ることが出来たのは、赤ん坊が生まれてから半年ほ経った頃だった。


「お前…まさか?」

「人間だ!」


エルフの村へと続く森の獣道。

村のエルフ達がフォーランドとナナイより先に、二人を見つけると、驚きの表情を浮かべ、その衝撃に身動きが出来ないようであった。

エルフ達の周囲に漂う不穏な空気に、不安になったフォーランドがナナイの顔を覗き込むと、彼女はいつかのフォーランドが浮かべていたより酷い、苦い笑みを浮かべていた。


「ナナイ…?」


やがて二人の周辺にガヤガヤとエルフ達が集まってきて、彼らは責めるような視線でフォーランドを舐めように見つめた。

重苦しい空気の中、一人の若いエルフの男がフォーランドの方へ怒りの表情を纏いながらズカズカと近づいてきた。

そんな殺伐とした空気を察したのか、フォーランドの背中に背負われた赤ん坊が小さな声を発した。


「まさか!」


エルフの男はフォーランドの私の腕を取ると、身柄を拘束し、彼の背の布を引きはがすと、ぐずる短い耳のエルフの赤ん坊を見つけた。


「っ、何て事だ…」


更なる怒りを纏い、フォーランドを掴む腕に力が入るエルフの男。

その締め付けるような腕力にフォーランドの全身に痛みが走る。


「っつ!」

「っ!やめて!」


苦痛の表情に顔をゆがめたフォーランドに、ナナイは急いで駆け寄ると、勢いよく彼からエルフの男の手を剥がし、威嚇しながらフォーランドを背にかばう。


「フォー!!」

「っ!ナナイっ!」


互いに名を呼び合い、離れない意思を交わす。

一方のエルフの男も、苦々しいものを見るゆがんだ顔をして、ナナイ達を睨みつける。そんなエルフの男の眼差しに、フォーランドは知っている視線を重ね、苦しみに似た怒りを覚える。


「まさかとは思うが、その人間は番いなのか?」

「そうだ!」


エルフの男の背後から新たに表れたのは、年老いたエルフの男だった。

彼は若い男を静止させると、怒りも喜びも無い顔でナナイに状況を尋ねた。


「その子を産んだのもお前で間違いないな」

「ナナイの子、フォーの子」

「…庇護を求めて戻ったのか?」


ナナイは「是」と答える。


「人間はダメだ」

「あ…」


その一言に全てを否定され、絶望から崩れ落ちるナナイ。

ならば、とフォーランドがナナイの前へ出る。


「構いません!私の事は構いません。ナナイと赤ん坊を…もう少し大きくなるまで。暫く預かってもらえませんか!」


ナナイを背に囲い年老いたエルフの前で、エルフの母子の安全を願うフォーランド。

そんなフォーランドの言い分を聞いた年老いたエルフの男は、興味の無さそうな顔で尋ねる。


「庇護を求めたのはお前か?」

「…そうです。森で…私達二人だけでは…」

「人間は勝手だ」


年老いたエルフは蔑む眼差しに変え、フォーランドを睨みつける。


「知恵の足らぬ此奴でも、森でなら生きる道があると思い外に出したが…まさかこんな事になるとはな」

「…っ!」


フォーランドの胸に痛みと苦しさが蘇る。

それはかつての自分が抱えていた、あの心の痛みと同じだった。


「こんな事になるなら、村に留め置くべきだった。エルフには足らず、護り人にもなぬ、人間にかどわかされた哀れな子」


年老いたエルフの男の言葉に同意したのであろう。

他のエルフ達もナナイを蔑むような、憐れむような眼差しで見つめている。


「くっ!」


フォーランドは、エフル達の冷たい眼差しに、少年の頃の自分に向けられた眼差しを重ねた。


(お前たち…お前たちも同じなのか!同じエルフであるナナイにそれを向けるのか!!)


フォーランドの知るエルフはナナイだけだ。

ナナイは彼女とは違う生き物のフォーランドを同じだと言った。

彼女は彼女の眼差して、目の前をありのまま見ていた。

だからエルフとは、エルフの素性とは、ナナイのような生き物だと信じていた。


(だからきっと分かってもらえると…)


フォーランドはエルフ達もナナイと「同じ」だと信じていた。

やり場のない憤りと悔しさでフォーランドの肩が揺れ、震わせた唇をかみしめる。


「人間よ、もうここには来るな」


年老いたエルフの男がそう言えば、数人のエルフがフォーランドに近寄り、赤ん坊を取り上げると、フォーランドだけを連れ去って行く。

一方、ナナイと取り上げられた赤ん坊は、他のエルフ達によって、村の方へ連れ去られていく。


「フォーっ!!!」


ナナイが拘束するエルフ達をかき分け、フォーランドの名を呼ぶ。


「ナナイーーーっ!!!」


エルフ達にもみくちゃにされながら、フォーランドは愛する彼女の名前を叫ぶ。


「うぅわぁぁぁーーーーぁん!!」


フォーランドとナナイの抵抗も空しく、二人は赤ん坊の泣き声の中、引き裂かれていく。

こうして人間とエルフの家族はエルフ達によって、バラバラにされてしまった。




*****




フォーランドは見覚えのある場所へ連れてこられた。

それはかつて自分が落ちた、あの崖の上だった。


まさか…と、振り替える間もなく、フォーランド背後のエルフ達によって突き落とされた。

落ちて行く最中、フォーランドが見たエルフ達の眼差しは、先ほどと幾分も変わらず、蔑んだ冷たい眼差しだった。


そしてフォーランドは自分の身に起きていた事に気が付いた。


まさか自分の右足が、いつの間にか治っていたなんて。

まさか自分の視力が、いつの間にか戻っていたなんて。


それはナナイと旅をして、赤ん坊が生まれ、必死に生きていた…だからだろう。

自分の体が完治していた事に気付かなかった。

そしてその奇跡の事実を死ぬ間際になり、知り得た…。


再び落ちた崖の下から見上げた空は、あの日と同じ綺麗な茜色の空だった。


あの日と同じ痛みを感じながら、突き落とされた崖の下でフォーランドは思う。


神とはなんと残酷なのだろう。

こんな事が起こるなんて。


全身を覆う鈍い痛みに苦笑いを浮かべる。


自分はなんて運の悪い人間なのか…と、フォーランドの目から涙が零れた。

涙を零せば、思い出すのは愛する妻と子供の事。

そして神に願うのは、ナナイの無事と、まだ名のない赤ん坊の無事。


きっとナナイはあの村では異質な存在なのだろう。

発する言葉が「ぶっきらぼう」だなと思っていたが、実は言葉を上手く使えないだけだったのだ。

それを彼らはナナイの知恵が足りないと判断し、彼女の生きる道をエルフの村の外に作った。

それは、かつてフォーランドを留学させた自身の父親と同じように。


しかし村を追い出されたナナイは、村の外で素直に生きた。

もしかしたらナナイの中には消化しきれない何かがあったのかも知れない。

それでも彼女は見えるままを受け入れ、その純粋さを決して失わなかった。


だから、崖から落ちた日、このままでは死ねないと願ったフォーランドの望みのまま生かしてくれた。

だから、ナナイと共に生きようとするフォーランドを、自分と同じ存在なのだと認めてくれたのだ。


あの癖のあるは、素直に笑う事が出来なかった彼女の、精一杯の笑顔だったのだ。


「…っ」


フォーランドは考える。

神様はなんて残酷なのだろう。

どうしてこんな結果を望んだのだろう。


涙で滲む茜色の空を見れば、再び崖から落ちた、あの日の痛みが蘇る。


…そうか。

本当はあの日、ここで死ぬ運命だったのだ…。

神はそんな自分を憐れんで、最後に幸せな時間を与えてくれたのだ。


人を愛し、愛される事も知らず、儚く逝こうとする私に。

一人ぼっちで逝く私に、寄り添える存在が居る事を知らせる為、神が私に最後の時間を与えてくれたのだ。


あぁ、神様はなんて残酷なのだろう。


フォーランドは見た事も無い神に感謝の念を抱いた。

そして、ナナイと赤ん坊の無事を神に願った。


やがて日も暮れ、涙も枯れたフォーランドの瞳は、蒼い夜空と数多の瞬く星を映していた。




*****




まだ誰にも見つかって埋もれた古い文献がここにある。

ここにはエルフ達が人との間に出来た子供の事を、「落ち子」と呼ばれる理由が綴られている。


エルフ達は人の住む世界に影響が出ぬように、子を残しにくい体になっている。

そんなエルフでも得難い子供が、稀に、人との間に子を成す事がある。


そんな人と混じったエルフの子を、「天から人間側に零れ落ちた子」と呼び、神はその奇跡の赤子を人の手に委ねる事にした。



―天より零れ落ちる程の愛で出来た子…。


その真実をフォーランドとナナイの間に生まれた銀髪の子が、自身の伴侶によって知るのは、まだまだずっと先の話になるだろう。


…もし、このお話を聞いたあなたが、銀髪の赤ん坊のその後を知りたいなら。


銀髪の子がいつからかデュナンと呼ばれ、長い時間を生きたその後に、愛する伴侶を得た話に興味があるのなら、その話は、また別の機会で語ろうと思う。








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