『負けヒロイン』はアイドルになる
「・・・どうして、ここにいるの?」
橘はここに僕がいることを信じられないようだ。
それもそのはずだ。僕は彼女の所属する家庭教師の仕事先を見つけて、紆余曲折さながらここにいるのだから。
驚くのは無理もない。
「それは橘をアイドルにするためにここへきたんだ!」
橘の引きつったような、今にも泣き出してしまいそうな顔が脳裏に焼きつく。
きっと彼女は望むことをあきらめたのだろう。
さんざん悩んで選んだ答えなのだろう。
僕はその決意に泥を塗りにきたようなものだ。
彼女が大きな悩みを抱えているのに、助けるのではなく未知の世界へ引きずろうとしているのだから。
橘には不本意なことなのかもしれない…。
それでも僕は君の輝く姿を世界に見せつけたい。アイドルよりもアイドルのような君にはそれができると本気で信じているからだ。
「手紙読んだでしょ。私はできないし、する気もないって…だから帰って」
「それはできない!僕は君を本気で支えるし、君の不安の全てを取り去ってみせる!だから僕といっしょに行こう!」
僕は『お邪魔します』と一言、家主である奥様に断りを入れて彼女の手を力強く握りしめる。
「一生賭けたっていい!僕と一緒になってください!!!(アイドルに)」
この場が一気に静かなった。
自身の荒れた呼吸が鮮明に聞こえる。
チラリと橘を見ると、顔を真っ赤にして固まっている。
階段に視線を移すと奥様のお嬢様が口を開けて驚いた表情をしていたかと思うと、目を輝かせてなぜかグットサインを送ってきた。
なんだろう?
何かいいことをしたようなニュアンスが混じっている気がする。
この子も応援してくれているのだろうか?
僕はあくまでアイドルをやろうと、もう一度考え直してほしいって橘に言ってるだけなのだ。
「…あの、二人とも。ウチでそんな大事なことを話し合うのなら場所を変えてもらえるかしら?」
奥様が困り果てたように言ってきた。
その通りだ。人様のお家でこれ以上の迷惑かけられない。
「橘。家で待ってるから、仕事終わりに来てくれ絶対に...それじゃ仕事頑張って」
僕は奥様に丁寧に深々と挨拶をしてこの場を後にした。
残された橘たちはおのおのが一連の出来事に、喜ぶもの、ホッとするもの、そしてただただ圧倒されていたものだけがいた。
マズイ、やりすぎてしまっただろうか?
絶対橘に嫌われただろうな。
嫌われるというより、気持ち悪いと思われただろう。
町内の仕事場を全て調べて仕事をしている現場に上がりこむだなんて…。
粘着系ストーカーと思われたら一貫の終わり、それこそ警察沙汰にだってなりうる。
不法侵入罪やわいせつ罪なんて罪状を突きつけられるリスクすらある。
あの奥様には感謝しないと。ほんと良く家に入れてくれたよな。
どうか橘が家に警察を連れてこないことを心から祈るしかない。
僕は自室で祈るように橘帰りを待つのだった。
本当に来た。
私はユキちゃんに言われた言葉が脳内を巡り続ける。
『運命の人』
もし私が望んでいたものがそうなのだとしたら、手を伸ばせば届く。
いやもうすでにあるのだろう。
彼の言葉はまさにそのことを告げたものだった。
なぜなら、彼は私に好きを通り越して一緒になれと。
愛の告白をしてきたではないか。
まだ会って数日の関係。
けれどあんなに堂々と言葉を伝えられると、
こちらとしては返事をしないわけにもいかない。
だけど、カレのことはほとんど知らない。
どうしたものか。
「橘先生、もしかして運命の人ってさっきのお兄さん?!」
食いつくようにユキちゃんが質問してくる。
なんだか、勉強のときより力入ってるよね。
「運命…かはわからないけど、私を見てくれたのがさっきの人だよ」
「それもう、確定じゃないですか!フツメンだったけどスラっとしてるし、礼儀もいいし、情熱的な告白するし、あんなお兄さんいたらカッコいいですよね!」
どうやらユキちゃんは宇野くんを気に入ったみたい。
それにしてもどうやってここまで突き止めたんだろう。なにも言ってないはずなのに。
「橘先生。彼氏さんと一緒にいたいのはわかりますが、くるなら来るとあらかじめ言っておいてもらえれば、おもてなしをしたのに」
ユキちゃん母も宇野くんが来たことに驚いていた。
そもそも家に入れなければよかったのではと思うのは私だけだろうか?
「いえ、その…彼氏ではありませんが。心配して助けてくれた…、恩人です。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「うんうん。いいのよ、若い子はこうでなくちゃ!それで式はいつあげるの?!」
「お母さんちがうよ!こういうのは段取りが重要でしょ!先生たちはこれからもっとよろしくする関係を深めるんだから」
この親子はどうやら恋愛脳であることは間違いない。
とにかく今は仕事優先。
きっちり終わらせて改めて話そう。
宇野くんときちんと向き合ってみよう。
そうしなければならない。
冷え切った心が徐々に温まるのを感じた。
ピンポーン
インターホンが鳴り響く。
橘だろうか?
インターホン越しから見えたのは橘本人だった。
よかった、どうやら話をしてくれる気になったみたいだ。
僕は玄関を開けて橘を迎える。
家庭教師の仕事帰りだから服装も正装。
フォーマルなスーツ姿は彼女の容姿の良さを引き立てている。
「こんにちは。さっきぶりね、お邪魔します」
「あぁ、あがってくれ」
僕はリビングのソファへ案内して座らせる。
向かいに椅子だけ持って座る。
まるで就活時の面接を思い出すようだが。
ここはそんな堅苦しいことはしない。
橘をアイドルにしたい。
そんな個人的なお願いを聞いてもらうために呼んだのだから。
「じゃあさっそくだけど、橘。もう一度言う。アイドルになってほしい!」
心からのお願い。
深々と床と平行になるくらい頭をいっぱいに下げる。
「どうしてそこまで私をアイドルにしたいの?」
アイドルにする理由が思い当たらないみたいだ。
彼女には自分の良さがみえていないからわからないのだろう。
僕の感じた直観。橘には紛れもないスター性があるし、人を引き付けるような魅力を持っている。彼女の内に秘められた何かを感じたんだ。
でも、それ以上に。
「橘が笑ってたくさんの人を元気づける姿がみたいんだ。ほかの誰でもない君が笑顔で生き生きと誰かのために歌ったり踊ったりしているところを僕は実現させたい!」
彼女の自信を取り戻して、無邪気に笑った顔をまじかで見ていたいのだ。
きっと僕は彼女にベタ惚れしているのだろう。
「それならアイドルじゃなくても、別の業界でもいいと思う。それなのにどうしてアイドルにこだわるの?」
アイドルである必要ないと彼女は問いかける。
そんなのきまっているじゃないか。
「僕が橘のアイドル姿をみたいからだ!」
これ以上の理由はない。ただアイドルになってほしいという私情。
これほど自分勝手な答えはないだろう。それでも僕は言わずにはいられない。
「...それならアイドルのコスプレでもいいじゃない。本物のアイドルになる必要なんてないでしょう?」
「それは違う。僕はアイドルの格好をした橘を見たいんじゃない。アイドルの橘を僕はみたいんだ!」
そう。
アイドルの橘がみたいのであって、橘がアイドルの格好をすることを良しとしていない。
「それに君だって言っていただろう、昔はアイドルになりたい夢があったと!それなら叶えようよ!僕は全力でサポートするから!」
そうだ。彼女にだってアイドルになりたい夢があった。
そのスタートを一緒に進んでいきたい。
なにより彼女に自信を持ってほしいんだ。
「それでも...私がアイドルになるなんて」
そう。この昨日同様に彼女は自分に自信が持てていない。その過去が彼女の行動を縛りつけている。僕はその枷を外したい。
「橘。僕は決して自分よがりな気持ちだけでアイドルになって欲しいと思ってるわけじゃない。君にもっと自分を誇れるようになって欲しいんだよ」
「私が自分を誇れるように?」
「そうだ。橘は自分に自信がないようにみえる。だから何かを始めたり、スタートするのが怖いんじゃないか?」
僕は橘をみたときに感じたもの全て伝えた。
彼女は苦しそうに俯いている。
きっとこれは残酷な事実なんだろう。
でも。
「怖いなら怖くたっていい。そのままでいいから、自分を大切にできる場所を探してみないか?
アイドルはあくまで僕から見た中で橘が一番輝ける場所のように思った。
だから声をかけたんだ」
橘が自分らしく輝ける場所。
それを探し出したい。見つけたい。
その先がアイドルあって欲しいと心から思っている。
「・・・本当に私。
アイドルに、なれるの?」
震えながら確かめるように小さく呟いた。
「なれる!僕が君を最高のアイドルにする!それに前に言ったろ。僕は君のファンなんだってさ」
「そうかぁ…。アイドルに。夢が叶うのかぁ…。それにまだなってないのにファンがいるなんて変な話ね。あと一つ聞いていい?」
藍色の透き通るような髪を耳にかけ、向き直り問う。
「最後まで私と一緒にいてくれる?」
「もちろんだ!最後まで一緒にいるさ!」
この質問の意図について僕はあまり深く考えてはいなかった。
橘はさっきとは違って表情が明るくなり。
「私、なるよアイドル、最高のアイドルに。だからそばにいてよプロデューサー」
「最高のアイドルにする。最後までついてこいよ、アイドル橘」
こうして、僕らの最高のアイドルになるための物語が始まったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます