8.クラスメート、救出!!

(暗い、怖い……)


 久須男くすおのクラスメートの仲村由美子は、ひとり暗いダンジョンの片隅で涙を流した。いつも通りに家に帰宅した数日前、門を開け中に入ったところ気がつけば知らない洞窟に佇んでいた。



「なに、ここ? どこ? どうして!?」


 混乱する由美子。

 突然知らない場所に放り込まれたのだから動揺しない筈もないのだが、更に彼女の目に映った異形の生物に絶句した。



「グガガガガッ……」


 小さなサルぐらいの生き物。だが体は緑っぽく、手には鋭い爪、そして口には牙が生えている。耳は鋭く尖っておりこれまで見てきた生き物とは一線を画すものとはすぐに理解できた。

 そして運の悪いことに彼女が遭遇した魔物は『ゴブリン』と呼ばれる凶暴で、女を辱めることを生きがいとした魔物であった。



「……やだ、やだ!! 来ないで!!!!」


 由美子は逃げた。

 学校では正義感強く凛とした彼女も、この魔物蔓延る異世界のダンジョンでは最も弱い生き物であった。



「きゃあああ!! やめてええええ!!!」


 服を掴まれ、破かれ、持っていた鞄を投げつけて逃げる。

 泣きながら、顔をぐちゃぐちゃにしながら転ぶようにしてやって来たのがこの少し大きめの部屋。



「う、ううっ、うわあああん。誰か助けて!!!!」


 不運だった彼女の唯一の幸運。

 それはこの部屋が通常『果ての部屋』と呼ばれる魔物がほとんど寄って来ない部屋であったことだ。

 ただその名の通り魔物は来ないがただただ現れぬ救助を待ち、そのまま朽ち果てる場所。服を破かれ、足に怪我を負った由美子はもう恐怖でもう動くことができなかった。



(なんで、どうして? 誰か、来て……)


 誰も来ない暗いダンジョン。

 その片隅でひとりの少女の生きる気力が、絶望へと変わり始める。






「久須男様、アイテムボックスを開いてください!」


「ん? ああ、分かった」


 新しいダンジョンに入った一行。ここも湿っぽくて薄暗い。肌を突き刺すような嫌悪感も同じだ。

 久須男が軽く手を空中にかざすと、その先にぽっかりと穴が開いた。イリアは持っていたアイテムを鞄から取り出し、どんどんその穴の中へと投げ入れて行く。



「本当に無限に入るんですね。驚きです。もう私の常識など通じないですね」


「そうなのか? 常識が通じないと言えばこっちも同じだぞ。ダンジョンとか魔物とか、もう頭が混乱してる」


「まあ、確かにそれは当然ですね。それより久須男様、ひとつお聞きしていいですか?」


 ケルベロスのケロンと一緒に歩きながらイリアが尋ねる。


「なに?」


「その仲村さんって方はどうも女性のようなんですが、久須男様とは一体どのようなご関係なのでしょうか?」



「え? 仲村さんと?」


「はい。何か特別なご関係なのでしょうか!!」


 ロリータドレスを着て頭に白いティアラを飾るイリア。栗色のミディアムの髪はこの異臭漂うダンジョンにあって唯一の香しい癒しと言える。そんな彼女が髪を揺らしながら近付き尋ねる。



「いや、そんな特別な関係じゃ……」


 イリアが久須男に近付いて言う。



「綺麗な方なんですか!? 可愛い方なんですか? 教えてください!!」


 ちょっとむっとした顔で久須男に迫るイリア。その気迫に後ずさりしながら久須男が答える。



「いや、ただ俺が苛められていた時に助けてくれたりして……」


「久須男様が苛め!? じゃあ、これからはこのイリアが久須男様をお助けします!! 学校にも行って久須男様をお守りします!!」


「も、もう大丈夫だって……」


 以前の自分ならいざ知らず、今こうしてフュージョンして強くなった自分ならもう負けることはない。イリアがすっと久須男の隣に来て腕を絡ませて言う。



「私だけを、このイリアだけを可愛がってください……」


 そして上目遣いでそう言うイリア。



(か、可愛いい!!!!)


 由美子に対しては特にそのような恋愛感情はなかったのだが、きっとこの異世界の姫様にはいずれ自分は落とされてしまうのだろうと久須男は内心思った。



「ワン!! ワンワンワン!!!!」


 そんな特別な雰囲気になったふたりの空気を壊すかのように、ケロンが通路の奥に向かって吠える。



(もぉ!! ケロンったら!!)


 久須男とのいい雰囲気を邪魔をされたイリアがちょっとむっとした顔でケロンを睨む。だがそんな彼女の目に映ったその魔物がその表情を一変させる。



「あ、ああ、あれはまさか、ゴブリン!?」


 猿のような容姿に鋭い爪と牙。何より女を辱めることを生きがいとしたまさに女の敵。



【グリーンゴブリン】



 久須男の『神眼』でもそのデータが脳裏に映し出される。イリアが久須男に言う。


「あ、あの魔物は女性を捕まえては辱めることを生きがいとした魔物。く、久須男様、どうかイリアをお守りください!!」


 久須男が頷いて言う。


「分かった。絶対俺より前に出るな!!」


「はい!」



「ワン!」


 その時ケロンが久須男の方を見て小さく吠える。



(なに? 自分を行かせろって??)


 テイムした久須男にはケロンの意思が直接脳に伝わる。久須男はイリアの前に立ち、こちらへ向かってくるゴブリンを指差しケロンに命じる。



「行け! ケロン!!」



「ガウウウウウ!!!!」


 合図と同時に勢いよく突進するケロン。久須男と戦った時より更にスピードが上がっている。



「ギャアアア!!!」


 ケロンの鋭い爪がゴブリンの胸に突き刺さる。

 弱点をひと突きされたゴブリンが断末魔の叫び声をあげて倒れた。ゴブリンにしてみれば、このレベルのダンジョンでなぜ上級魔物が敵として出てくるのか分からずに瞬殺されてしまったに違いない。



【レッドゴブリン ×2】



 そして浮かぶ新たな敵。



(後ろか!!)


 久須男は手にしたミスリルソードを握りしめくるっと回転し、背後へと走り出す。



(見えた! そこっ!!)


 瞬時に分かる敵の弱点。『神速』であっと言うに間を詰め、戸惑うゴブリン達の胸に剣を突き刺して行く。



「ギャアアアアア!!!」


 そして同じく奇声を上げながらゴブリンが煙となって消えて行く。




「ワン、ワンワン!!!」


 敵を倒したケロンが尻尾を振って久須男の元へ戻って来る。



「よくやった! 偉いぞ!!」


「クウ~ン!!」


 久須男はケロンの頭を撫でて褒める。



「久須男様、そしてケロン。お見事です! さすがですね!!」


 ゴブリンに恐怖していたイリアがふたりの元へとやって来る。



「あいつらは女の子を凌辱するんだろ?」


「……はい」


 イリアの顔が悲しげになる。



「急ごう。仲村さんはきっとここにいる!!」


「はい!」

「ワン!」


 久須男達は階段を降り、降りかかる敵を薙ぎ倒しながら前へ進む。そしてついにそのフロアへとやって来た。




「感じる……、異臭の中にあって、温かな人の感覚……」


 地下三階、薄暗く吐き気を催すような空気の中、明らかに違う何かを感じる。



「仲村さーん!! いますかーーーっ!!!」


 大声を出すのは大きなリスク。

 ただこちらの存在を伝えるには仕方のないこと。そしてその声は絶望の中で震えていた由美子の耳にはっきりと届いた。




(……え? 今、誰か私を呼んだ??)


 怪我をして何も食べないまま過ごした数日。水分を摂っていない彼女の体は極めて衰弱していた。それでも初めて見えた希望の光にゆっくりと立ち上がる。



「こちらから、聞こえた……」


 そして足を引きずりながら歩き、その声の方へと向かう。初めての希望を失いたくない。頭を真っ白にして歩く。

 ただ彼女は気付くことができなかった。魔物が来ない『果ての間』から出てしまったことを。



「え、あれは……、なに……!?」


 声のする方へ歩き出した由美子。

 その汗と女の匂いが混じった香りが、その最も呼び寄せてはいけない者を呼び寄せてしまった。



「オンナァ……、オンナのニオイがスルゥゥゥゥゥ……!!!」


「え、なに!? いや、来ないで……」


 由美子の前に現れたのはこのダンジョンに生息するゴブリンの親玉である『ゴブリンオーガ』。

 巨大なクマのような躰に、漲る性へのエネルギー。女を辱め、殺し、そして食すことを最高の生き甲斐とした魔物。今の由美子にとって最も出会ってはいけない魔物であった。



「オンナアアアア!!! ゴォンナアアアア!!!!」


 久し振りの獲物に興奮したゴブリンオーガが狂喜の叫び声を上げて突進する。由美子は極度の恐怖のあまり動くことができず、その場へ座り込む。



(もうダメ、私、死ぬんだ……)


 死を覚悟した。

 体に力が入らない。

 頭が機能しない。


 だけど涙が出た。

 それは死を覚悟した彼女にとって、まだ心のどこかで生きることを諦めていない証だったのかもしれない。



「ガウガウガウーーーーーっ!!!!」



(えって、なに? あれ……?)


 座り込み壁にもたれた由美子の目に、白い子犬ほどの何かがそのクマのような大きな巨体の腕に噛みついている。



「ギャアアアアア!!!」


 噛まれた腕からほとばしる血。あまりの激痛にゴブリンオーガが腕に噛みついたケロンを投げ飛ばそうとする。




「仲村さん! 大丈夫??」



(え……?)


 壁際で座り込んでいた由美子は、突然呼ばれた自分の名前に驚き顔を上げる。



「だれ……?」


 涙と恐怖で目の前の人物がはっきりと見えない。その人物は着ていた上着を脱ぎ、肌が露になった由美子にそっと掛け言う。



「もう大丈夫だから」



(あっ、その声……、まさか……)



 由美子は震える声で尋ねる。


「藤堂君、なの……?」



「藤堂です、あなたを助けに来ました」



(うそ、うそ、こんなことって……)


 由美子が震える声で言う。



「どうして、私を……」


「どうしてって、仲村さんいつも教室で俺を助けてくれてたでしょ。だから今度は俺が助ける番」


 そう言ってゆっくりと立ち上がる久須男。



「でも、あいつ、普通じゃなくて……」


「大丈夫」


 久須男が前を向きながら答える。



「俺も男。今日は俺が守るから」



(『神速』!!)


 由美子は突然消えたクラスメートに驚いた。

 そして今から起こる討伐劇は、彼女の人生で最も驚いた事として記憶される。

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