5.イリアのいる生活

 内閣府直属であるダンジョン攻略室、通称『ダン攻室』。高層階にあるその室長室で、真田さなだ行實ゆきざねは難しい顔で報告書に目を通していた。



「つまり、攻略班D-3は消息不明、全滅したと?」


 大きな机の前に立って報告にやって来た政務官が答える。


「恐らくは。何せ連絡が取れなくなっていますので」


「……そうか。やはりF(フュージョン)組でないとダンジョン攻略は無理なのか」


「分かりませぬ。ただ我々の精鋭部隊よりも少なからず結果を残しています。ボス討伐の実績はないものの、無事ダンジョンから帰還した実績は認めなければならないでしょう」


「そうだな。最初は異世界人とか戯言かと思っていたが、今や政府内でもそれに異を唱えるものは居なくなっている。ダンジョン攻略、究明が最も急がれる案件だ。国民に知られる前に何とかしてダンジョンを管理できるようにしたい」


「同意です。こんな事が世に知れ渡れば大混乱となるでしょう」


 人を飲み込むような恐ろしいダンジョン。出ることも難しく、魔物も棲む別世界。政府としては何とかその謎の解明を急ぎたかった。真田が尋ねる。



「それで魔物に効くという『魔力付与』の武器の方はどうだ?」


 政務官が首を左右に振って答える。



「残念ながら、異世界人かれらではそのようなスキルを持った者がいないそうで未だ制作できておりません」


「そうか。攻略組がこれほど戻って来ないところ見ると、やはり通常の武器では効き目がないようだな」



「恐らく」


 真田は目を閉じ腕を組んで言う。



「分かった。報告ご苦労」


「はっ、では失礼します!!」


 政務官は頭を下げると部屋を退出する。真田は立ち上がり、壁にある大きなガラスへ移動して街を眺めながら呟く。



「どこかにおらぬのか……、次々とダンジョンを攻略し、その謎を解明できる救世主が……」


 真田は額に手を当て左右に首を振り、つまらぬ妄想を心の中に押しやった。






久須男くすお様と合体したイリアで~す!! よろしくお願いします!!」


 藤堂家の夕食。仕事から帰った久須男の父と母が並び、その対面に座ったイリアが立ち上がって自己紹介した。隣に座っている久須男が青い顔をして言う。



「おい、イリア! だからそう言う勘違いさせるようなことは言うなって言ったろ!!」


「えー、だって本当じゃないですか! イリアは久須男様と合体したし~、あれってイリアの初めてだったんですよ」


 ビールを飲みかけていた父親が吐き出しそうになる。



「久須男、どこのお嬢さんかは知らないが、男としてきちんと責任は取りなさい」


「まあ!! お父様ってとても理解があるお方ですね!! 素敵です!!」


 若くて可愛いイリアに真正面から褒められ、年甲斐もなく顔を赤くする父親。それに気付いた母親が言う。



「あら、あなた。そんなに若い子に言われて、さぞ嬉しそうですね~」


「い、いや、そんなことはない。私はただ息子の教育をだな……」


「へえ~、息子の教育?」


「あ、ああ、もずっと病院で辛い話も多かったし……」



「あー、もういいから、さっさと飯食おうぜ。イリア、お前も黙って食え」


「はい、久須男様!」


 イリアは久須男にウィンクをしてそれに応える。結局積極的なイリアの前に久須男の両親はしばらく彼女と一緒に暮らすことを承諾。久須男にとって予期もせぬ展開で女の子との同棲生活が始まった。




「久須男様」


「ん、なんだ?」


「こずえって誰なんですか?」


 食事を終え、久須男の部屋にやって来たイリアが尋ねる。久須男が少し暗い顔をして答える。


「ああ、こずえってのは俺の妹で、ちょっと病気でな。ずっと入院してるんだ」


「そうでしたか。大変な病気なんですか?」


「まあな。だから俺もこずえの入院費の為に早く働きたいと思ってる」


「心中お察しします」


 久須男が立ち上がってイリアに言う。



「さ、先にお風呂入って来な」


「一緒に入らないんですか?」


「おい!!」


 入りたいが実家でそれはまずいだろう。イリアも立ち上がってにこっと笑って言う。



「じゃあ先に入ってきます。来たかったら来てくださいね!」


「あ、ああ……」


 久須男はそんなイリアを苦笑いして見送った。




 しばらくして風呂から出て部屋に戻って来たイリアが開口一番言う。


「えー、久須男様!! どうして床が別々なんですか~??」


 部屋に敷かれたふたつの布団を見てイリアが不満そうに言う。


「あ、当たり前だろ! 俺はまだ高校生。お前だって16だろ? これが当たり前!」


「イリアはもう既に成人の儀を終えております。いつでも子作りできる状況……」


「あー!! もういいって! 俺はまだ結婚もしないし、子作りもしない!! さ、寝るぞ!!」


 イリアが渋々返事をする。



「はい、分かりました。でもいずれはちゃんとイリアを可愛がってくださいね」


 そう言ってはにかむイリアを見て久須男は心底可愛いと思ってしまった。

 自然なウェーブの掛かった栗色のミディアムヘアー。均整の取れたスタイルなのに、胸はしっかりと出ている。母親のパジャマを着ているのだが、ロリータドレスでなくても十分可愛い。



「い、いや、俺はそんな……」


「おやすみなさい、久須男様。今日はお会いできて本当に嬉しかったです」


「あ、ああ。おやすみ、色々ありがとう」


 イリアはにこっと笑って布団に入る。



(俺、寝れるかな……)


 健全な男子高生。

『襲ってもいい』という美少女が隣に居ながら悶々とした夜を過ごす。






「おはようございます! 久須男様!!」


「んん、ああ、おはよ……、イリア……」


 翌朝、結局ほとんどまともに眠れなかった久須男に、イリアが元気に挨拶をする。



(うがっ!?)


 久須男はイリアの姿を見て固まる。

 少し乱れた栗色の髪、白磁器のように透き通った白い肌、雑に着たパジャマからちらりと見える下着。健全な高校生の久須男はそれだけでぶっ倒れそうになる。イリアが尋ねる。



「今日はどこへ行くんですか?」


 髪を梳きながら尋ねるイリアに久須男が答える。



「ああ、学校に行くよ」


「学校? まあ素晴らしい。イリアも一緒に……」



「だーめ! 部外者以外は入れないから」


「えー、そんな……」


 悲しそうな顔をするイリア。結局ぐずるイリアを母親に預けて久須男はひとり高校へと出かけた。






「あー、クズ男が来たぁ!! やー、だらしねえ顔~!! ひゃはははっ!!!」


 高校に登校した久須男をクラスメートが早速からかい始める。いつもと変わらぬ景色。昨日ダンジョンを攻略したなんて信じられない。



「おーい、授業を始めるぞ。席につけ」


 そしてやはり同じことを口にする教員。最近彼らが何を言っているのか言語として耳に入って来ない。



(いてっ)


 不意に頭に何かがぶつかったような感覚を覚える。

 床を見ると丸められた紙くず。周りから起こる嘲笑。誰かが悪戯で投げたに違いない。



『あなたたち、何やってるの!!』


 そう庇ってくれる仲村由美子はいない。



(え? 仲村さん……)


「あー、今日も仲村は家庭の事情で休みだ。さあ、教科書の……」



(仲村さんがずっと学校を休んでいる……)


 神隠し。

 ダンジョン。

 一般人が迷い込んで出られなくなって……



(え、うそ、まさか、そんな……)



 ――仲村さんがダンジョンに!?


 そう考えれば辻褄が合う。

 あれだけ真面目で正義感が強い彼女が、家庭の事情などと言うよく分からない理由で何日も学校を休むだろうか。学校は知らない? いや隠している? 分からない、分からないが、



(確認しなきゃいけない!!!)


 久須男は何度も時計を見て授業が終わるのを待ち、そして授業終了と同時に仲村と仲の良かった女子の元へと歩み寄る。



「あ、あのさ……」


 クラスでも苛められっ子の久須男。変な名前のせいで馬鹿にされ続けてきた彼には女子の友達などもちろんいない。



「……なに?」


 声を掛けられた女子があからさまに嫌そうな顔で答える。



「あのさ、仲村さんの家って知ってる? 教えて欲しいんだけど……」


 女子が信じられないような顔で言う。



「はあ? あんた何言ってるの? 何で由美子の家を教えなきゃいけないの??」


「いや、ずっと休んでいて心配だと思って……」


「あなたには関係ないでしょ? キモイんだけど」


 そう言って女生徒は一緒にいた友達と何やらこそこそ話をし始める。



「……ぇろよ」


 立ち去らずにずっと立ったままの久須男に女生徒が言う。



「え? なに? なにってるの?? 早くあっち行ってよ、クズ男」



「教えろって言ってんだよおおお!!!!」


 ドオオン!!!



「きゃあ!!」


 久須男は大きな声と同時に前にあった机を手で強く叩いた。机は鈍い音を立て、何本もの亀裂が入り割れている。久須男の気迫に怯えた女子が、スマホに入った仲村の住所を恐る恐る見せる。



「ありがとう」


 久須男はそれを自分のスマホに写すと、すぐに鞄を持って教室を走り出る。クラスは突然起きた久須男の騒動に唖然としてその背中を見送った。



(間違いない! 仲村さんはダンジョンに迷い込んで出られなくなったんだ!! くそ、急がなきゃ!!)


 久須男は学校の正門を出ると一直線に駅への道を走り出す。



「久須男様ああ!!!」


「え? イリア!?」


 走り出した久須男に異世界の姫イリアの呼び声が掛かる。見るとこちらに向かって必死に駆けて来る。



「イ、イリア? どうして学校に!?」


 驚く久須男にイリアが笑顔で答える。



「久須男様が恋しくて……、お会いに来ちゃいました……」


 そう言ってちょっと反省した顔で下を向くイリア。本来は怒らなきゃならないところだが、イリアの気持ちを察し怒りが消えて行く。



「イリア、気持ちは嬉しんだが学校には来ちゃダメだ。いいな?」


「はい、申し訳ございません……」


 反省した顔を見せるイリア。そんなふたりに背後から声が掛かる。




「おい、クズ男!! なにやってんだよ、てめえ!!」


 振り返ると、そこにはクラスの苛めっ子が数名やって来ていた。教室で大声を上げ走り出た久須男をからかいがてら追って来たようだ。久須男がイリアの手を取り言う。



「行こう。気にしなくていい」


 そう言って走り出す久須男に更に罵声が掛けられる。



「おいおい、授業サボって女とデートか?? ふざけんなよ、クズ男の分際で!!!」



「黙りなさい!! 失敬な!!!!」


(え?)


 久須男が何かを言おうとするよりも先に、怒り心頭のイリアが苛めっ子共に向かって叫ぶ。



「何だよ、このアマ??」


 苛めっ子達はポケットに手を入れゆっくりと歩み寄る。イリアが言う。



「控えろ!! こちらにおられるのは英雄クス王様だぞ!! 頭が高い!!!」


 イリアの気迫あるセリフ。だが余りに場違いな言葉に苛めっ子達が笑い出す。



「クズ王様だってよお!? こりゃ傑作だあ!! ぎゃはははっ!!」

「悪い子にはお仕置きだな!! そりゃ!!」


 苛めっ子のひとりが駆け出し、そして久須男に殴り掛かった。



「え?」


 ドフ!!



「ぎゃああ!!」


 一瞬。一瞬姿を消した久須男が再び現れたかと思うと、殴り掛かった苛めっ子の真横から腹部に拳を打ち込む。呻き声と共に跪く苛めっ子。



「俺は急いでるんだ、邪魔するな!!」


 久須男はそう言うとイリアと共に走り出す。



「な、なんだ? 何が起こったんだ!? チクショウ!!!!」


 苛めっ子達が去り行く久須男達を見て地団太踏んだ。




「イリア、急ぐぞ!!」


 手を引っ張られ走るイリア。


「どうしたんですか?」



「友達が、友達が多分ダンジョンに迷い込んだ」


 イリアも緊急事態だと悟り久須男と共に全力で走り出す。久須男の初めてのダンジョン救出作戦が開始される。

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