8

 海子が浜辺を後にして、僕は手持ち無沙汰になった。かれこれ一時間はここに居座っているのだが、やはり僕に何かできることがあるとも思えずにいた。


 水平線の向こう側に、ここ数日間の記憶を見る。水平線は、まるで僕だけのスクリーンのようだった。誰も見れない、僕だけの映画館。


 陸の神が海の上で暴れ回っている姿を見るのは非常におかしく、思わず笑みが零れる。


 走馬灯のように目まぐるしく記憶が流れてゆく。


 それを見ると無性に苛立って、苦しくて、涙が零れた。一滴のしょっぱい水が、砂浜に影のようなシミを作る。それを皮切りに、涙は堰を切ったように溢れ始めた。


 陸の神に復讐したくなった。僕は怨みを原動力にして立ち上がった。その数秒後にはそれが滑稽に思えて再び座った。


 そうした僕だったが、顔を見るぐらいなら大丈夫だよな、と立ち上がる。それに、僕に一つ考えがあるのだ。


 遅々とした足取りで向かった山は土石流で進路が塞がっていた。僕は手を茶色く汚しながらもそれを乗り越えて先に進んだ。


 途中でペースト状の泥で滑ったりもした。かろうじて大事には至らなかった。


 陸の神は頂上で座り込み、僕を見下ろしていた。


「やあ、来てやったぞ」


 僕はひらひらと手を振る。


「敵に会いに来るなんて、バカなんじゃないか? 僕は仮にも海神を殺した悪人なんだぞ」


 陸の神は呆れたように言う。


「別に、もう終わったことだ。でも二代目は殺さないでくれよ」


 陸の神は「は?」と呟いた口をそのままに呆けてしまった。


「二代目って、まさかお前」


「そうだ。僕が二代目の海神だよ」


「全く呆れた。まあ体の透明度からわかっちゃいたけど……」


「それよりもさ、この島の状況、どうにかできないのか。万物を創造する陸の神である君になら、島を戻すことなんか朝飯前だろ」


 陸の神はかぶりを振った。


「たしかに、地形を戻すことならできる。建物は無理だけどね」


 陸の神は伏し目がちに言う。自分のしでかしたことを少しは悔いているのだろう。


 ともかく、地形を戻せるだけでも万々歳だ。建物は人間が造ったモノだし、永久に崩壊しっぱなしということにはならない。いつかは人の手で修復されるのだ。


 ……まあ、それについても僕にできることは何も無いんだけど。


「じゃあ、頼むよ」


 僕は立ち上がった。


「もう行くのか?」


「長居は無用だ。一応、敵対関係だからね……」


 僕は歩き出した。


「あ、それともう一つ」


 僕は言い忘れていたことを思い出して振り返った。


「例え君がどんなに性悪で傲慢な敵だったとしても、この世界を造ってくれたことには感謝してるよ。神様」




 あれから三年が経った。それでも島はその半分も復興には至っていない。たまに陸に上がって散策してみるが、公的施設はどうにかこうにか再建が進んでいるといった具合だ。人々が地形の修復を負う必要がなくなったことにより、復興作業が楽になった。その効果は絶大だった。過去にあった、他の地域の震災の復興よりも、ペースは圧倒的に速い。


 ちなみに、神社も再建が進められているが、そこで祀られる神様はもういない。どうせなら海に鳥居を立てるほうがその存在意義を発揮する。


 今日も散策を終えて堤防に戻ると、海子が座っていた。彼女の姿は以前よりも自信に満ちているように思えた。彼女をこの目に映すたびに、僕は何にも成長できていないな、と落胆する。だけど海神として海の秩序を保てている自負ができつつもある。


「海子、卒業おめでとう」


 海子はコサージュを制服の胸ポケットに付けていた。後ろから声をかけてやる。


「お帰り、夏樹。災害のせいで簡易的な式になったけど、良かった。夏樹にも参加してほしかったな」


 そう微笑む海子は大人びた表情だった。口角を小さく上げ、「ふふ」と笑う。


 海子は今年、この島を出ていく。この島には大学が無いからだ。僕は相も変わらず、ここで海を統治する役割があるのだけど。また帰ってくるとは何度も聞いているし、寂しくはない。


 そこでふと、やっぱり僕は楽観的だと少し落胆。


「私も行きたかったなー。この体に慣れるまで時間かかっちゃったから」


 後ろから中性的な声がかかった。それは久しく耳にしていない、柔らかい声。


「おかえり、海神」


 なんとなく事情は察せた。僕が神様になったのなら、海神は人間になったのだろうと。


 僕はこの日のために海神になったのかもしれない。


 僕の決断を、海子が示してくれた道を、悔やみ続ける未来は——。


 想像できなかった。


 ふと空を見上げれば、いつの間にか、青空と浮かぶ綿あめが覗いていた。

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青い神様 筆入優 @i_sunnyman

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