4

 海についた僕らは周辺を捜索し始めた。散々細部まで探した挙句、海神が居たのは堤防の上だった。そこに座ってのんきな顔をしてサイダーを飲んでいた。僕は肩透かしを食らった気分で苛立ったが、それ以上に海神の儚げな印象が大きく心を占めた。夏、サイダー、堤防、神。まさに神がかった光景とでも言おうか。僕はその姿に見とれていた。


「何、みつかったの?」


「あ、ああ……」


「あそこにいるの?」


「うん」


「どうしたの夏樹、さっきから冷たいね」

 

 海神に見惚れるあまり、生返事になっていた。僕は「ご、ごめん」と海子に頭を下げた。


「そう……」


 海子は憮然とした表情をしてみせた。


 僕は申し訳なさを覚えつつ、堤防に向かった。


 サイダーを飲む海神の姿は、まるで現実味を帯びていなかった。あまりにも美しく、夏の日差しですら海神の引き立て役になり果ててしまっている。サイダーは彼女に水分を与えるとともに、彼女を青く染めていっている気がした。


海の青より青い海神はそこらの絶景とは比べ物にならないほど、幻想的だった。


「早すぎない?」


 振り返った海神が言う。


「いや、お前……じゃなかった、海神のことを探して、悪いことをしようとしてる奴らがいるんだ。さっきそれを知って、急いで海神の様子を見に来たんだよ」


「それなら心配ご無用さ」


 海神はサイダーを置いて海に飛び込み、そのまま沈んでいった。数秒後に顔だけ出した彼女は、僕らに「海神は水中でも呼吸ができる」と自慢げに言って再び潜った。てっきり、海には入れないものだと思っていたのだが。僕の思い違いだったようだ。


 いつの間にか傍に座っていた海子に一連の流れを説明すると、彼女は呆れたようにその場にしゃがみ込んだ。僕も疲れが一気に噴き出し、へたり込んだ。


「そうそう、それで話したいことなんだけど」


 いつの間にか海神は僕の目の前に座っていた。


「うん」


「説明の前に見てほしいものがある。私と手を繋いで。海に飛び込む。いくよ、せーの!」


 唐突に腕を掴まれた僕は勢いのままに海に引っ張られた。


 ざばんと沈んだ僕は青い青い水中でもがき苦しんだ。息ができない。目も開けられない。


 海神は僕を殺すためにここに呼び出したんじゃないだろうか。でも、仮にそうだったとして、彼女にメリットはあるのだろうか。考えれば思いつきそうなものだが、思いついたものはただの推測でしかない。推測は無駄だ。今はとにかく、彼女から離れる方法だけを考えよう。


「ちょっ……なに勝手に死んじゃってんの。息もできるし目も開けられるよ」


 朦朧としていた意識の中にそんな言葉が飛び込んできた。僕は恐る恐る呼吸する。できた。目も恐る恐る開いてみたが、痛くなかった。青が一面に広がっていて、むしろ瞬きがもったいなく思えた。


「私と手を繋いでいる間は水中でも平気さ」


 離れる方法を考えていた数秒前の自分を殺したくなった。


「すみませんでした……」


「……?」


 僕が思わず漏らした謝罪の言葉に、海神は当惑した。


「こっちの話だから気にしないで」


「はあ」


 神様を困らせるなんて最低だ、と思った。だが、先日、サイダーを僕が買いに行った(行かされた)ことを貸しだと思えば、そんな罪悪感もあっという間に消え失せた。お互いがお互いを困らせたということでwin-winだ。


 しばらく沈み続けて、ようやく海底に着いた。さっきとは打って変わって、海底は汚らしかった。ごみが散乱していた。


「あれ、僕のイメージだと海底はもっと綺麗なはずだったけど」


「それこそが、私が話したいこと。人間には言うつもりなかったんだけど、君には恩があるし、何より悪人じゃなさそうだから話してあげる」


「その昔、てのは誇張しすぎで、つい一週間前のこと。陸の神様が海にごみを放り投げました。陸の神様は大の綺麗好きで、ポイ捨てごみを見るたびに吐き気を催していたそうです。綺麗好きな上に傲慢だから、私のことなど何も考えちゃいませんでした。私は汚された海に辟易して、昨日、ついに陸に逃げる決心をつけました。しかしサイダーが切れてしまいました。そんなところに君が現れました。優しく、使い物になりそうだと思い、君をここに連れてきました」


 何やら余計な言葉が聞こえたが、まあいい。彼女はまだ続きを話したそうにしているので、僕は頷いて続きを促す。


「で、その話を踏まえたうえで、君に頼みごとがある。私の復讐に協力してくれない? 陸の神をぼこぼこにするのさ」


「復讐は何も生まないよ」


「何も生まないなら、やっても問題ないじゃん?」


 ぐうの音も出なかった。


「わかった。協力する。でも、何をするの? 計画は立ててるの?」


 僕は尋ねた。


「まず、神社で力をもらうんだ。破壊の力。一説によると、その力は人間が自然環境を破壊することに由来してるらしい」


 なるほど。自然破壊……それこそ、ポイ捨てが良い例だ。他にも森林伐採など挙げれば枚挙にいとまがない。


「へえ」


「陸の神が住んでる山を破壊するのさ。大丈夫、君ならできるよ」


「いくら倍返しと言ってもさすがにそれはやりすぎでは……?」


陸の神は曲がりなりにも陸を創ってくれた神様だ。そんなお方の住処を破壊する行為は、不敬が過ぎる。まあ海神はそんなこと知ったことじゃないだろうが。


「え? 倍返し? 私、そんなひどいことするつもりなかったんだけど」


「は?」


 思わず間抜けな声を漏らしてしまう。


「だって、私一人じゃ対応しきれない量のごみを入れられて、海に住めなくなったから陸に逃げてきたのに、あいつの山を住めなくして何が悪いのさ。やられたことをやり返すだけ」


 ああ、やっぱり人間の信仰心というものが海神にはなかった。当然と言えば当然のことだ。神様同士で敬う必要はない。


「そ、それはそうなんだけど……。ほら、僕にも最低限の信仰心があってね? 一応陸をつくってくれた方だし……」


「私も海を創った創造神ですけどなにか!!!」


 そう言われると困ってしまう。彼方を立てれば此方の怨み、僕は一体全体どちらの側につけばいいというのだ……。


「僕はどちらにも協力しない」


 結局僕は、選択を放棄して帰ることにした。僕に一人の神様に復讐できるほどの勇気なんて無かったのだ。対等なもので二者択一する勇気なんて無かったんだ。僕は、海神の役に立てないんだ。


「は?」


「僕はどちらも憎めない! だから、復讐はできない。ここまでだ」


 僕は続ける。


「だから、悪いけど、海神とはここまでかな。もう戻ろう。ここまでとは言ったけど、海神なしじゃ上がれないんだ」


 海神の瞳が潤んだようにも見えたが、それについては何も言及しなかった。こいつと関わることは二度とない。


「ちょっと何があったの」


 上がって早々、明らかに具合の悪そうな僕を見て海子が駆け寄ってくる。


「海子には関係ないだろ」


「関係あるよ。海神が見えない私にも、協力できることの一つや二つぐらいあるはず」


  僕は俯いたまま歩いた。しかしすぐに壁にぶつかった。こんな不自然な位置に壁はなかったはずだが。


 顔を上げると、そこには海子が立っていた。


「私は本気だよ。できることならなんでもする。海神が見えなくても、夏樹の話を聞いて、何か考えを出すぐらいならできるはずだよ。だからさ、話してよ。それに自分の気分が落ち込んでるからって私を除け者にするのは、許せない」


 その胸に抱かれて、その瞳に穿たれて、僕の心につっかえていたわだかまりは死滅した。友達とはこんなにも温かい存在だったんだと思い知った。


僕は海子にすべて話した。


「どちらも創造神、か。たしかに、それだと夏樹が決めかねるのもわかるな」


「だろ」


「でも私、やられたことはやり返すべきだと思う。片方の創造物に危害を加えるのは、理不尽だよ。理不尽にやられたことに、私たちは正当な理由をつけてやり返す。理不尽と正当性を天秤にかけたら、当然、後者が勝つに決まってる」


 そこまで論理を立てられては、僕に反駁の余地はなかった。


「わかった、やろう」




 神社の周辺と敷地内は未だに記者とカメラマンがうろついていた。神聖なこの場所でカメラを携えてうろつく様子は、あまりいいものではなかった。僕と海子、海神は駐車場の車の陰に隠れて作戦会議を開く。最初に口を開いたのは海子だった。


「どうすんの」


「行かないことには始まらないよ」


「君一人で行ってきなよ」


 小声にも関わらずうるさくできるのは二人の才能かもしれない。


「いっぺんに言わないでくれ」


 僕はため息を吐いた。


「じゃあ神様が命令します。君一人で行ってきな。私たちは海で待ってるよ」


「結局それかよ……。海子、僕が一人で行ってくる。海で待っててくれ」


 僕はぼやきながらも神社に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る