第20話

入院四日目。

朝、目覚めよく起きたが、体を洗っていないので、自分の体臭が気になった。


相変わらずドレーン部分がジワリと痛む。

体液がジワジワ出ているようで、パックに半透明の赤い液体がそこそこ溜まっていた。


手術した場所には保護シートがテープで貼られている。

元来肌の弱い自分は、案の定、そのテープにかぶれてしまった。

子どもの頃流行ったソックタッチでは100%かぶれ、ずり落ちる靴下に悩まされ続けたタイプなのだ。

看護師に伝えて、レスタミンコーワクリームを処方してもらう。

いやはや、強靭な皮膚が欲しい。


看護師に便秘を相談すると、運動にいいからと、最上階の展望台に行くことを勧められた。

展望台は、ほどんど人がおらず、静かで、空気が心地よく冷えており、さらに眼下に見下ろす眺望が素晴らしかった。

こんなところがあったのか、最高だ!


結婚する前は遠方に住んでいたため、わざわざ飛行機に乗って、友達と遊びに来た、この都会。

今、最上階から、眺めている。

自分が将来住む街になるなんて、あの時は全く想像していなかったことだ。

こんな人生のページがあったなんて。


夕方はドレーンを付けたまま、シャワーを浴びた。

看護師に「入浴介助しますよ」と言ってもらったが、断って自分で浴びた。

こういう時、「介助され慣れていない自分」が足を引っ張る。

サポートの申し出に感謝しているが、「いや、そこまでご迷惑を掛けるのは・・・。大丈夫です、自分でなんとかします」という気持ちが前面に出てくるのだ。


さらに、今更感が否めないが、また裸体を晒す恥ずかしさもあった。

尿管カテーテルをしてもらい、なんなら、手術の時には体の中まで見られているのに。

「がん治療」と、「それをしなくても生きていけるっちゃぁ生きていけるよねの治療以外」の部分で、恥ずかしさを我慢する基準が違っていた。


夕食時に、退院の日を決めるために、2人の医師が様子を見にきた。

退院は、来週の火曜日になるとのこと。

一緒に乳がんで入院していた同室の人の、明日の土曜日に退院できるという医師とのやりとりが、先ほど聞こえていた。

どうして自分は遅いのだろうと思い医師に尋ねると、ドレーンのパックに溜まった体液の量が多いためだと教えてくれた。

それなら、仕方ない。

今日は金曜日だから、あと4日か・・・入院費が嵩むな。


医師が立ち去って1分も経たないうちに、また現れた。

もう一度、パックの体液の量を見て、「この量は誤差の範囲だな。明日退院でいいよ」と。

急転直下だ。

子どもがいることを、配慮してくれているようだった。

良かった、良かった。

それにしても、いつもの担当医とは違うこの医師は、話し方が高飛車で好きになれない。

歯に衣着せぬ物言いのぶん、明朗な説明で、優秀なんだけど。


急な退院決定後に、インターン医師がドレーンを丁寧に抜いてくれた。

ドレーンは思ってたより長く、曲がって入っていたようで、抜く時にはニュルニュルと妙な感じがした。

リンパ周りは、腫れて感覚が麻痺していた。

作業中にそんな感想を伝えると、インターン医師は笑顔で対応をしてくれ、心が和んだ。

高飛車くんのダメージと、相殺された。


その後、夫と子どもがお見舞いに来たので、最上階の展望台に一緒に行った。

素晴らしい夜景が広がっていた。

子どもは、習い事のスイミングに行ってからお見舞いに来て、お腹が空いていたようだ。

美味しそうに、おにぎりを食べている。


その横にいる夫は、ヒゲが伸びて、やつれていた。

朝、声を掛けても全く起きない子どもを揺り起こし、時間通りに学校へ送り出し、仕事をして、帰宅後、子どもをキッズクラブから引き取り、スイミングに連れて行き、お見舞いに行き・・・。

もうヘトヘトだよね、ありがとう。


夜は、ベッドで、ハリー・ポッターをぐんぐん読み進めた。

あの、「結果がどうであれ、自分は勇敢に立ち向かう生き方を選択したい!」というハリーのスタンスが、今の自分を勇気づけてくれる。


本を見て、看護師が、「ほ〜んと、入院患者さんには、ハリー・ポッターが人気なんですよね〜」と言っていた。


そうだろう。

同感だ。

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