第9話

なぜ、学位取得にこだわり、高卒であることにコンプレックスを感じていたのか。


それは、自分の心が未消化の過去にある。


自分が小学校6年生ごろに親が離婚した。

戸建ての家から、風呂なしのアパートに引っ越しをした。

転居先の、知り合いの全くいない中学校に入学した。

この環境の変化を気の毒に思った親戚から、可愛いマルチーズを譲ってもらい、飼い始めた。

初めは、こんな母子家庭としての小さな暮らしを、楽しくさえ思っていた。


しかし、日が経つにつれ、安っぽいアパート暮らしや母子家庭であることが、新しい人間関係の中で、自分の評価に繋がっていると感じてきた。

今まで、当たり前に揃っていた戸建ての家、車、そして両親。

失うまで気づかなかった、生まれ育つ環境から他者が勝手に推測する、自分の資質。

この頃の昭和の時代は、毎年クラス名簿が配布され、そこには住所等の個人情報に世帯主の名前が記載される欄があり、その名前で母子家庭かどうか、すぐに分かる仕組みになっていた。


今までとは、同じ自分ではなくなっていた。


毎日働きに出る母親の姿を見て、自分が協力できることは、お金で迷惑を掛けないことだと考えた。

ユニフォームや道具などを買い揃えなくてはいけない部活は、しないでおこうと決めた。

帰宅組の友達は結構いたので、問題は無かった。


中学2年生の時、国語の課題で「将来なりたいものは何か」という宿題があった。

自分は「何もない」と素直にプリントに書いて、提出した。

すると、個室に呼ばれ「どうしてだ、なにかあるだろう?誰だって、夢があるはずだ」という、動揺している国語教師との面談が始まった。

その時の自分の気持ちは、「夢を叶えるためには、自分への投資が必要になるでしょ?スキルを身に着けるための学びに、お金がかかるじゃない?そんなお金はうちには無いから、夢なんて見られないよ」だった。

でも、それを言うと必死に働いている母親が可哀想だと思い、言葉にしなかった。


国語教師は、それでも食らいついてきた。

「じゃ、なにか好きなものはないのか?それが、自分のなりたいものに繋がっていくものかもしれないよ」

しつこいな、と思った。

「絵を描くのは好きです。そいえば、デザインを考えたりするのも好きかな」

「それだよ!デザイナーになりたいんじゃない?!」

「はぁ、そうかもしれません・・・」

この結論で、国語教師はやっと納得して、解放してくれた。

面談が終わってホッとしたが、なぜ国語教師が「夢がない」にこだわっていたのか、自分には分からなかった。


高校生になっても、夢を抱かなかった。

ふざけてか本気か、よく母は「安定した公務員になって、私を養って楽にさせてくれ」「死にかけのジジィと結婚して、遺産を貰え」とか言っていた。

高校2年のとき、進路に合わせて3年次のクラス分けが決まるため、将来を考えなくてはいけない時期がきた。


そして、中学2年の時の国語教師との面談を思い出した。

「服飾の専門学校に行きたい」


なぜなのか、挑戦してみたいと初めて思った。


しかし、母は承諾しなかった。

何度も、頼んでみた。

そのやりとりを見ていた、すでに高校を卒業して就職していた姉が、「お姉ちゃんの貯金があるから、入学金に使っていいよ。お母さん、専門学校に行かせてあげて」と言ってくれた。


嬉しくて、嬉しくて、天にも昇る気持ちだった。


数ヶ月後に来る、正月までは。


親戚一同が会する正月で、母が、呑んだくれている伯父たちに愚痴るように言った。

「この子は、服飾学校に行って、デザイナーになりたいんだって!」

滅多に会うこともない、血も繋がっていない伯父が、楽しそうにそれに応えた。

「あはは〜、そんなところに行って、どうするんだ。卒業したって、飯なんて食ってけないぞ〜!成功するのは一握りなんだぞ。無理だろ〜、あはははは〜。働け、働け〜」

だらだら酒を飲んでいる、他の伯父も続けて言った。

「〇〇会社に知り合いがいるから、紹介してあげるよ」

母は、「そうなの〜、それではお願いします〜。専門学校なんか行ってもねぇ。ほら、紹介してくれるって言ってくれているんだから、就職にしなさい!やっぱり、お姉ちゃんにお金を出させるわけにはいかないでしょ」と、手のひら返しをした。


そうか、貧乏人は、やっぱり夢なんか見ちゃいけないんだな。

そうだったのに、夢見ちゃったよ。

バカみたい。

もういいや。


そう思って、何も言えなかった。

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