第10話 桃李③

僕は、強烈に世界が回転し、嘔気すら催したので、ナースコールを押そうと手を伸ばした。腕をピンと張ってジリジリとボタンに近づくと、漸く触れることができた。僕は、そこで力尽きて、ベッドから転落した。


「大丈夫ですか。どうされました。」僕の部屋にナースコールを受けて飛んできた人の声は病室に夕食を持ってきてくれた看護師さんで、「田中茉奈」という名前の人だった。看護師服の色は、小豆色で、ベテランと言う感じの落ち着いた人だった。「柚木さんわかりますかー。」と彼女は言った。


「眩暈が…。」と僕は言い、紗がかかって見えない視界の中で田中さんが「どこか痛いところはありますか?」と言いながら僕の身体のあちこちを摩っているのがわかる。「痛い」というところがあれば、外傷がないか確認するつもりなのだろう。僕は、素直にされるままにしていた。というより、身動きが取れないほど、視野が回っていた。


PHSを駆使して応援を呼んでいるのが聞こえた。僕は、気が遠くなり、耳の感覚だけが頼りになった。「至急至急、408号室、柚木さん、意識混迷。ベッド下でうずくまっているのを発見。」と言ったのが聞こえた。


パタパタと二人の足音が夜中のため騒がしくならないように静かにながらも、急いで人手が入ってくる音が聞こえた。「とりあえずベッドに移乗しよう。」と田中さんが言うのが聞こえる。


僕の身体の下には、布団がもぐりこみ、担架状になった布団の上に僕が寝かされる形になった。「せーの!」と言う若干ひそめたような掛け声が聞こえ、僕はベッド上に戻される。


僕は、「あああ」と苦悶の声を漏らしていた。田中さんは「バイタル!」と言って、僕の左腕に血圧計を巻き、反対の右腕にはSPO2を測るためのオキシメーターを装着した。僕は、あまり体勢を固定されると、眩暈がよりきつくなる感じがしたので、身をよじったが、応援に来た看護師さんが「ごめんなさい、ちょっと我慢してー。」と言って、僕を動かないように押さえつけた。その右から聞こえる声は、寺内さんのようだった。バイタルを測るのだ。じっとしていないと、数値が振れる。わかってはいたが、眩暈がするのを一時的に振り払うには、横向きの体制をとると、少しシンドイのが楽になる。だが、そうはさせてもらえなかった。


「そろそろが来たんですかね。」とヒソヒソと話す声が聞こえた。その看護士さんも僕が暴れないように押さえていた。左から。


(アレとは?!)と僕が思う間もなく、カーテンが閉じられる音がし、僕の部屋のドアが閉められる音がする。(ちょっと待ってこの展開は!)と僕は焦りをおぼえ、身体を必死に捩じったが時すでに遅し、田中さんがこう言った。「柚木さん。もう、眩暈止まってませんか?」と。


僕の頬を、大粒の冷や汗が伝った。目を開けると、それぞれ、「ピンク」「オレンジ」「小豆」色の、素材の服を着た異形の者がいた。田中さんだった者が言う通り、今まで僕を襲っていた眩暈は立ち消え、僕の目の前には、淫魔が3匹もいた。


血圧計やオキシメーターだと思っていたものは、僕を拘束するための粘り気の強い蜜のような罠で、ベッドの柵にねっとりと絡みつき、僕を縛り付けていた。それらは、ピンクとオレンジの女たちが巻いた拘束具に違いなかった。


「あなたはあの真っ黒の男に騙されたのよ。」と杉田さんの姿をした淫魔が言った。「私があの荷物を受け取ったとき、無事に返したと思う?」と寺内さんの姿をした淫魔が言った。「もうおしまいよ。柚木真一。」と田中さんが言い放ったと同時に、3匹の淫魔は口から毒素のようなものを吐き、寝そべっている僕の着ている入院服は瞬く間にメルトダウンした。


「あなた馬鹿よね。私が脈拍を測っていると思って、血管に毒素を送り込んだのにも気づかずに、のうのうと大人しくここにいるんだから。」杉田玄白という素晴らしい医者と同姓でありながら、女は僕を殺そうとレース状の下衣を破り捨て、僕の胸部に跨ってきた。重みのある臀部がすぐそこに乗っかかり、僕の肺が押しつぶされそうになる。杉田だった彼女は、「お尻を舐めなさいよ。」と言った。


(クソ!あれは脈拍なんかじゃなくて、指先から魔族の毒物を仕込んでいたのか!)と僕は悔しい気持ちに駆られながら、欲望に負けそうな自分と戦っていた。すぐそこには、まん丸とした桃尻があり、僕を、強烈に誘惑していた。ピンク色に発光するそれは、まるで、ホタルが求愛のために光を発しているかのようで、僕の本能が疼いた。


「駄目よ、あなたの目は私を観るためにあるの。」と言って、寺内さんという名前だった淫魔は僕の顔の真上に立つと、下着の着けていないままの臀部を見せつけたまま、レース状のスカートをたくし上げ、僕の鼻梁と口の間に座り込んだ。僕は、息ができなかった。(むぐ…。苦しい。)と思いながら、顔を若干横に向けたが、彼女は両手を使い、僕の顔を固定してきた。彼女の臀部はオレンジの光を放っていた。


「あなたたちそれじゃダメじゃないの。」と言い放ち、視界を柔肉で覆われた僕は、赤い光を放ちだしたそれが僕のいる空間を真っ赤に染めているのを視野の端に見た。僕は、かろうじて呼吸していた。


「あなたの両親を殺したのは私よ。あなたは、あなたの家で私に一度会っている。でも、全く気付かずに私の混入させた媚薬入りの最後の晩餐を食べ、こうして餌食になっている。情けない話ね。」と田中さんだった淫魔は言った。小豆色の看護師服やレース状の服は、カモフラージュで、彼女は僕の家で見た赤い淫魔だったのだ。


「でも、もう遅いわ。この世界のいたるところで、私たちは増殖を始めたの。この二人も、今日淫魔に犯されたところ。本当はここの病院の真面目に働く看護師だったんだけどね。まんまと、餌食になってくれちゃったってわけ。」僕は、話を聴きながら、絶望を感じた。こめかみがキリキリと締め付けられ、痛みを感じる。


「ああ、こんなに大きくなってる息子を、ほったらかしにして、いいのかしら。」と言いながら、彼女はベッドの上に乗ったようだった。ベッドが3回目の揺れをもたらした。赤の淫魔が、「濡らしてあげるわ」と言って、陰部をいじり始めた。


僕は、陰唇の愛液がしたたり、僕の陰茎に落ちてくるのを感じながら、背中をぞわぞわと寒気が襲うのを感じた。身震いしたのを咎めるように、「何やっているのよ」「じっとしときなさいよ」と言い、二人の淫魔たちが尻で身体を嬲った。


「私の身体から出る水には、男を狂わす最高のフェロモンが含まれているのよ。もう、あなたはすでに爆発しそうになってるわ。」と赤い淫魔が言うやいなや、肉襞が僕の亀頭に覆い被さってきた。僕は、「うわあああ!」と思わず上ずった嬌声を発した。恐ろしく甘美で、朦朧とする快感が襲ってきた。


「よかったわねえ。こんなにすごい名器で逝けるなんて。夢みたいじゃない?」「そうよ。私が男なら、羨ましいわあ。」とピンクとオレンジの淫魔がそんなことを言ったが、僕は気が遠くなっていた。ほとんど失神し、目をこれ以上にないほど剝いていた僕は、頭がになりそうになりながら、眼窩で何かを見た。


「俺を倒したこと、忘れんじゃねえよ。」とが僕に、の視野の端で言った。


僕は、(このままでは本当に逝く!)と思った瞬間、「成らん!」と叫んだ。そして、僕は「おらああああ!!」と咆哮を上げると、赤の淫魔が身体を離し、「まずい、お前ら離れろ!」と言った。次の瞬間、僕の胸から下腹部に掛けて、無数の槍のような脚が飛び出し、ピンクとオレンジの淫魔をハチの巣にした。


「うげ。」「ぐは。」と短い断末魔を上げ二人の淫魔は一瞬でこと切れた。


ベッドを蹴飛ばし、床に飛び降りて、急いで廊下に出たが、赤い淫魔は一瞬で姿を消し、どこにも姿が見えなくなった。僕は、服を着替え、オジサンからもらった金をポケットに押し込み、夜中の病院を出た。もう、何も信用できないと、自分に言い聞かせた。

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