第11話 緑翠(りょくすい)

僕は、また夜中の街を走っていた。行く宛てもなく、どこに向かえばいいのかもわからないまま。僕は、(飼育籠の中でトレッドミルを廻しまくるハムスターのようだ。)と自分を哀れんだ。全く、この世界が変わることはなく、僕の空しい心は、救われなかった。


交番勤務の駐在さんが、信号待ちをしていると声をかけてきた。「おい君。手ぶらでこんな時間に未成年が何してる?」と言った。僕が思わずアカラサマに嫌そうな顔をしたのか、彼は言った。「おいおいそんなに煙たそうにするなよ。まだ未成年だろう?こんな時間に外を出歩いてちゃいけないじゃないか。」と。


今の時代、生活安全課から発される市の法令が改正され、10時以降に未成年のみで外を出歩いてはいけないという新しい法律が定められている。子供たちが大人のいない場所で何をするかというと、犯罪と限ったことではないが、ただ、子供を守るために、大人の犯罪に巻き込ませないためにその法律があることは知っていた。しかし、僕には帰る場所がない。


駐在さんは、青い警察服を着て、僕に掛け寄ってきた。「何か答えなさい。…まあいい。とにかく、外は危ないから、交番に来なさい。この時間、外にはややこしい人間も多いから。危ないんだ。」と彼は言った。仕方なく彼に従うことにした。


彼は、書類を手元に引き寄せ、ペンを走らせた。紙に目を落としている間、そうすることに何らかの意図を探られるのは嫌だったが、彼の顔や身体をじっと見た。真っ黒に日焼けした顔に、いかにも女に姿を変えなさそうなごつごつとした岩のような体格をしているのが服の上からでもわかったので、幾許か安心した。さすがに、こいつは淫魔に姿を変えたりしないだろうと、一息ついた。


「駐在さん。すみませんでした。」僕は、様子をうかがうためにも、本来のおとなしさを取り戻した。もともと僕自身がつい二日前までこういう性格の人間であったことを不意に懐かしく思った。


「おっ、ようやく喋る気になったか。」と彼は言った後、「どうした。なんでも言ってみろ。何か、辛いことでもあったんじゃないか?それで、家を飛び出してきたのか?」彼は、筋肉質のあまり、脳が弱いんじゃないかと少し残念な気もしたが、脳筋と言う言葉もあるように、それゆえ助けられる命もあると思い、少し僕は頬をほころばせて言った。「ちがいますよ(笑)」と。


しばし間を開けて、僕は少しだけ険しい表情になり、「でも、これは誰に言っても信じて貰えないような気がします。」と上目がちに言った。すると彼は、「なんでも言ってみろよ。信じるから。」と胸を『ドゴッ!』と叩きながら言った。その姿は、さながら、群れの長を務めるゴリラみたいだった。


僕は、しぶしぶ話し始めた。「二日前の夜中、目を覚ますと、部屋中が赤くなってたんです。すると、この世で見たことが無いような物語に出てくるような異形の化け物が僕のベッドにいて、『両親を殺す。』と言うんです。僕は、そいつの言うことを信じました。そいつは、『お前の精子をもらったら両親を生かしてやる。が、もしそうすると100匹の淫魔が生まれて、全人類を破滅させる。』と言いました。僕は、とっさに、親ではなく、この世のすべての人たちのために、家を飛び出して来てしまったんです。」と言った矢先、僕はこらえていた感情があふれ出して取り乱すように泣いてしまった。


「おいおい、これ使え。泣くなよ。」と言って駐在さんはティッシュを渡してくれた。「それで?」と続きを言わせる。「その後、僕は気を失って、病院にいたんです。すると、また悪魔のような女たちに囲まれて、嬲られました。そして、命からがら、漸く逃れることができて、こうしてここに来ることができました。」僕は、真剣な目で、白目を涙で充血させながら言った。なお、黒いオジサンのいたスラム街のような無法地帯のことは言わなかった。彼らには、彼らの生活があり、僕は、助けられた身として、明かさず守ることが使命だと思っていた。


「なるほど…。くっ…。クッ…。くはははあっは!」真剣な面持ちで話を聴いていた駐在さんが堪えきれずに笑い出した。「いやいや、本当なんですって!」と僕は心外に思いながら講義した。建前上はそうしたが、、心のどこかではそうなることを望んでいたかのように、なぜかほっとした。


「なんだって?精子?お前、オナニーのしすぎじゃないか?思春期だもんなあ!ははははは!」と爆音で駐在さんは笑った。「女に、嬲られたのか…。はははは!羨ましいなあ。俺は、こんな体格にこんな顔だからか、実はMなのに、襲われもしないぞ!ははは!」彼はやけに楽しそうだった。が、僕は、あまりに軽率に笑われたので、やはり気分が良くはなかった。


と、ここで僕側から見える閉じられていた木製のスライドドアが開き、誰かが顔を出した。「すみません、休憩室まで声が響くし、近所迷惑なんで静かにしてもらえませんかね。」と女性の駐在さんが言った。とても地味な人で、眼鏡をしていた。化粧っ気もなく、色気もなかった。僕は、妙に安心した。淫魔は女がばかりだったが、傾向としては美人と呼べるタイプの造形がしてあり、もまた、美形だった。彼女が淫魔になることはないと思った。


「ああ、すまんな。ちなみに、こいつは、襲ってくるか?」彼女に悪びれる様子もなく軽く謝った後、彼女を人差し指で指さしてからかうように僕に言った。僕は、「信じて貰えないならいいですよ。」とそっぽを向いた。

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