先輩

 単刀直入に言おう。俺は高校生には全くついていけなかった。体格差も、経験の差も圧倒的。その場の中で、俺が一番弱くて、脆い。

「っ…。きっつ…。」

 また、そんな声が漏れる。それは、初めて野球を始めた時と全く同じ言葉。そしてあの時は翔太が隣にいた。

「っしゃ、まだまだいけるわっ!」

 自分で自分を鼓舞する。お腹から声を出す。声と共に、負の気持ちを全部全部吐き出すために。

 全力投球。夕陽に向かってボールを投げた。ドスッと鈍い音がして、先輩の持つグローブに俺の球は吸い込まれる。

「お、いい球じゃん。やっぱ航才能あるよ。」

「先輩、お世辞はいいですって。俺中学の中じゃ一番下手なんですよ。」

 特に仲の良い先輩が、そんな軽口を叩いてくる。今日はもう終わりだ、と言わんばかりに先輩はグローブをしまうとこちらに駆け寄ってくる。

「航、夕陽に向かって走ろうぜ。」

「は?」

 しまった、と思った。あまりに変なことを言われたので思わず煽っているような口調になってしまった。運動部において、上下関係は絶対。慌てて訂正をする。

「夕陽はちょっと、遠いんじゃないですかね。」

 そもそもの話、夕陽に向かって走ろうなんてありふれていてキザなセリフを言う人が現実にいたことに驚かされる。グラウンドは太陽で紅く染まっていて、青春ドラマのエンディングにもってこいの雰囲気だった。

「そうそう、遠いよなぁ。」

 わかるわー、と先輩も頷く。多分この時、俺はすごく呆れた顔をしていたに違いない。改めて思い返しても、先輩が脳みそまで筋肉になってしまったのでは無いかと本気で疑ったのだから。

「太陽ってさ、遠いんだよ。自分も甲子園目指してるけど、やっぱりいいとこ県大会止まりだし。みんなが目指す憧れは、遠すぎて手が届かない。」

 先輩は、グッと夕陽に向かって手を伸ばす。そのまま少し時間が経って、夕陽は沈んでしまった。静寂と暗闇だけが取り残されて、俺の瞳には先輩が少し寂しそうに映った。手を下ろすと、先輩は俺に向き合う。

「逆に太陽が遠いんだったらさ、無理してそこまで走ってく必要なく無い?」

 こてんと、先輩は首を傾げてそう言う。何が言いたいのか、わからない。

「目標なんて『コレ』って決められてる訳じゃ無いんだしなんでも良いんだよ。だから、自分は太陽目指してるんだよね。」

 すごいだろ、と少し胸を張ってから先輩は俺に背を向ける。

「航も目指せよ、太陽。」

 そう言い残すと、先輩は同学年の友達の方へ走っていってしまった。

「太陽?」

 この時はまだ、俺はその意味を理解できなかった。

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