進化

「あれ、今日はみんな来てないの?」

「…はい、俺だけです。」

 先生の言葉に、俺はそう答える。野球部では大きな声を出さないと怒られるのだが、最近はそれが少し億劫に思えてならなかった。

 いつもより静かなグラウンド。先輩達はもう受験生だ。数もまばらで、二年生の俺達が部活を引っ張っていかなくちゃいけなかった。一年生の指導も、俺達の役目だった。

「最近、あんまり二年生が集まれてないよな。航、何か知ってる?」

「それは…。」

 俺はここで、何を言うべきなのだろう。クラクラと目の前の景色が揺れる。市内大会の後、そして俺が二年生になってからみんなは部活から足が遠のくようになったようだった。

 どうして来なくなってしまったのだろう。どうして、グラウンドがこんなに静かなんだろう。放課後、チームメイトがリュックを背負って校門を出ていくのを見た。一度じゃなく、何度も。何で練習に来ないんだ。そんなの、分かり切っているのに認めたく無い。

 翔太と昨日、廊下ですれ違った。「ごめん、今日帰るわ。」そう言って笑って翔太は帰った。隣には、俺の知らない友達がいた。楽しそうな翔太に俺は何を言えばよかったのだろうか。俺は、あのときどんな顔をしていたのだろうか。

 「俺のせいで部員はバラバラになった。」そう思ってしまった。俺が足を引っ張るから、誰も彼も本気になれない。その言葉がずっと頭の中から離れないのだ。教室の机に彫刻刀で彫った悪戯がきのように脳に深く深く刻まれてしまって、もう元には戻せない。

 何回も翔太に話しかけようとはした。メンバーであるよりも先に、翔太は俺の親友だったから。少なくとも俺はそう思っていた。

 声が出なかった。お腹から部活で声を出す練習はうんざりするほどしてきているのに、こう言う時は声が出なくなる。そんな練習はしてこなかったから。だからこそ、俺は今どうするべきかわからない。弱い俺じゃ、翔太の隣にはもう立てない。

「まあいいか。航、お前強くなれるよ。」

「え?」

 先生の言葉に思わず顔を上げる。縋るような、そんな気持ちだった。先生は俺の考えなんかきっと知らないで、それでも自信満々にこう言う。

「だってさ、航だけ練習して航だけ上手くなればいいじゃん! それでさ、次は航がみんなを引っ張っていけばいいだろ?」

 俺は大きく目を見開く。そして、一度瞬きをして目を逸らした。真っ直ぐに俺の目を見てくれるのが嬉し過ぎたから。そして、先生が眩し過ぎたから。

 今までずっと、翔太の背中を追ってきた。隣に立っているつもりで、立ってなどいなかったのだ。ずっと、翔太がこの部活のリーダーだった。

 俺は、強くなる。そしたら、試合に勝って、勝って、優勝して。また翔太と、そしてみんなと戦える。その可能性があることに気がつかされた。全く、コペルニクス的転回だ。それが、無性に嬉しくて仕方なかった。

 手が震える。持っていたボールを落としてしまうほどに。それは、武者震いだった。人生で初めて、俺は武者震いをした。

「先生、早く練習しましょうよ。」

 その声は、意識しなくても力強く鼓膜に響いた。

「お、航やる気になった?」

 最初はやる気なんか無かったじゃないか。そう言って先生は笑った。

 今なら言える、俺は野球に本気になっていた。翔太と勝ちたい。それだけが俺の原動力だった。

 心が熱くなったから、着ていたジャージを脱ぎ捨てる。半袖短パン、上等。少しでも動きやすい方が絶対にいい。

 俺がもっと強くなって、試合で活躍して。翔太と部活を引っ張っていくのってすごいことじゃないだろうか。

 もっと成長したら翔太に言いたいんだ。「俺と一緒に野球しよう」と。

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