第23話 前へ行くしかないから進むんだ

 魔王コニシ・ハルカは不敵な笑みを浮かべている。

 その前に手下が三人。眼鏡はこちらへ杖を向けてなにやら呪文を唱えている最中だったらしく、口がOの形で固まっている。太っている方は斧を手にこちらへ駆け出してくる最中で、制服のスカートから力強くたくましい足が覗いている。

 スーツの男は腰に手をあてて尻を振っていたようだ。ジャケットをひるがえらせどこか陶酔とうすいしたような表情を浮かべて止まっている。何をしようとしているんだろう。

 こちらはダイゴが最前線で盾を構え、その後ろでマコトが剣を構えている。ユリアはその二人に杖を向けて補助魔法をかけるつもりだったのだろう、口がEの形で固まっている。

 テンポの良い音楽もぴたりと止まってしまって、みんな凍りついたように静止している。

 動くことができるのは、おれだけだ。


「もう、やだ、魔王のこと、お兄ちゃんになんか知られたくなかったのに」

 不思議な天上空間の、夜の闇と朝の光の狭間はざまのあたりに粗い粒子が流れている。そこだけ空気が歪んでいるように見える。そしてそのいびつな空間の奥の向こうから妹の泣き声がこれまでにない程はっきりと聞こえてくる。

「最低、恥ずかしい、こんなの見られたくなかった」


 ――出た!あれだわ。さあ、早く、あの中に飛び込むの!

 おれの中でノゾミが叫んだ。

 自分たちが長い階段を昇って雲の上にいるせいか、粗い粒子の流れるところはこれまで見てきたよりもはるかに近い所にある。ざらざらと流れているその粒々まではっきりと見える。手を伸ばせば届きそうなほど近くにある。その奥から妹の、ぐちぐちした泣き言もずっと近い感じがする。

「で、でも、だって、これから魔王と戦うというのに」

 ――もう、つべこべ言わないでよ。次を逃したらいつこれが現れるかわからないんだから。だったら今しか無いでしょ。あなた、一生わたしの身体の中にいるつもり?

「……」

 それも悪くないなと、真剣に思う。

 だって足を失って両親が離婚の危機で妹引きこもりのぼっち高校生のハードな現実に戻るよりも、こうして信頼し合い、助け合う仲間たちのいるこの世界にいる方がどれだけ幸せなことか。

「おれ、今まで通りここにいちゃ駄目かなあ」

「ダメ!」

 ノゾミは自分の意思でおれから自分自身の身体の主導権を取り戻すと、全速力で走りだした。そしてざらざらした空へ向かって全力で飛び跳ねた。

 ――なんて無茶な!

 ――何が起こるかわからないよ、そんな所に飛び込んで!

 高くジャンプしたノゾミの手が粗い粒子が流れるところに触れたかと思うと、そのまま強い力に吸い込まれるように空間に取り込まれた。


 ザアザアと砂が打ち付けるような音が響き、右も左も半透明の得体の知れない空間の中を泳ぐというよりも、吸い込まれて自由がきかずにただのたうち回っていると、身体の皮が丸ごと引き剥がされるようなずるずるした不快感とともに、目を開けるとノゾミの顔がすぐ目の前にあった。

「わあ」

 思わず声が出る。

 これまで自分だったノゾミが、違う人としてそこにいる。ノゾミの鼻も唇も、おれのすぐ鼻先にある。なんて近い。息をすればすぐその息がかかってくる気がして、こんな事態なのに胸がドキドキする。そして極限までクローズアップしたノゾミはとても「……かわいい」のだ。

 ノゾミは綺麗な瞳でじっとおれの顔を見つめている。

「あなた、そんな顔をしていたのね。初めて会ったのに、とても懐かしい人にすごく久しぶりに会ったみたい」

「は、はじめまして、相沢希です」

 そんなことを言うだけで、心臓がばくばくしてきて、頭が沸騰しそうなほど火照ってくる。

 だが、しかし、おれから見てノゾミがドアップってことはノゾミから見てもおれの顔はドアップという訳で。おれの顔はなんというか、冴えないって言葉に尽きる訳で、髪も何か月も放ってあってぐしゃぐしゃだし、多分ニキビがどこかしらにできてるし……

「そ、そうだ、魔王との戦いがこれから始まるじゃないか」

「大丈夫よ」ノゾミはウィンクした。

「わたしが仲間たちを殺させやしないから。わたしたち、絶対に勝つわ」

 ノゾミの瞳は自信に満ち溢れてきらきら輝いていた。

「え、えっと、おれ、ここでみんなと別れるなんて嫌なんだけど。おれ、ずっとそっちの世界にいてもいいんだけど、これまでよりもおとなしくしていて、全力でその……サポートするから、頑張るから」

「冗談じゃないわ。これはわたしの身体」ノゾミは自分の胸元をポンポンと叩いた。「わたしだけの身体よ。魔王を倒した暁には、わたしは主人公になるって決めたんだから。わたしだけの人生を生きさせてよ。あなたはあなたの身体で、あなたの人生を生きなさい」

 ノゾミはふふっと笑った。

 駄目なのかあ。なんだか手痛く振られた気分だ。胸が切なくて苦しくなる。

「魔王を倒したら、必ずあなたに回復魔法をかけに行くから」

 そしてノゾミの笑顔はおれの鼻先から徐々に離れていった。

 ノゾミは彼女の足元の方へゆっくり吸い込まれていく。

 ノゾミはおれに向かって大きく手を振った。

 その顔が晴れ晴れとしたいい笑顔なんだ、悔しくなるほど。

 そしてノゾミは見えなくなった。

 彼女はゲームの世界に戻ったのだ。

 魔王を倒して、エンディングを迎えるために。


「もう、ヤダ」

 モニターの前で項垂うなだれる優里亜が見えた。

 空になったポテトチップスの袋。コントローラーが部屋の片隅にすっ飛んでいる。

 ヤダはこっちだ。

 え、おれ、自分の家のリビングに帰ってきたの?

 上下紺のスウェットに乱れたポニーテール。妹の姿がはっきり見える。なんだこれ、天井から見下ろしている感じ。

 おれ、どうして今どこにいるの?どこからどうやってここに来たの?

 不安に駆られつつ、暗いリビングに光を投げるモニターを見てみる。

 ああ……

 マコトがいた。ダイゴがいた。ユリアがいた。ノゾミがいた。

 でも、なにか違う。

 いくら毛髪の一本一本を、目元の笑い皺を、衣服の質感までもリアルに再現しているといっても、やっぱり人工的なんだ。

 一緒に旅して、一緒に戦って死線を乗り越えて、喋って、励まし合って、笑い合った、あの仲間たちとはどこかが違う。そしてついさっき吐く息を感じるくらい近くにいたノゾミも、もう違う。

 モニターの向こう側とこちら側で、永遠に隔てられてしまったんだ。

 もう二度と会うことはできないんだ。

 マコトもダイゴも安らかな顔をして眠っちゃってさ……

 え?

 眠っちゃってる?

 

 画面の中はいつの間にか大変なことになっていた。

 マコトとダイゴが倒れていて、よく見たら後方にいるノゾミもうつ伏せに倒れていた。ひと目でわかる。三人とも死んでいる。ひとり残ったユリアも瀕死の重傷を負っていて、魔力が尽きかけているのか顔色が真っ白だ。

 敵を見れば、魔王コニシ・ハルカは画面からはみ出しそうなほど巨大化し、目が怪しく光り、六本の手がうねうねと動き、今にも攻撃を仕掛けてきそうなところでPauseの文字が点滅していた。

 あと一撃でゲームオーバー。

 四人全員が死亡するとこのゲームは強制終了。

 ラスボスまで来てそんな馬鹿なと思うけれど、それがこのゲームのルール。夜の次が朝になるように、そしてどうしても五人で進むことができなかったことと同じくらいどうしようもないルール。

「もう、ヤダ」

 優里亜は泣いている。

「ゲームでも負けるなんて」


 おれは画面をよく見た。

 魔王の手下の眼鏡と太っているのは既に倒されたのか、画面からはいなくなっていたが、例のスーツ姿の男は魔王の影に隠れるようにして相変わらず腰をくねらせて妙な踊りを踊っているようだ。この男が怪しい。魔王はこの男の妙なダンスで何らかの力を得ているのではなかろうか。

 そして魔王に対峙するのはおれの仲間たち、全滅寸前!

 この事態を打開するために何ができるか考える。懸命に考える。

 幸いなことにユリアが生き残っている。彼女は自分の生命と引き換えに仲間を全員生き返らせることができるという、究極の魔術を彼女は体得していなかったか。

「おい、優里亜、おい、泣き止むんだ、落ち着くんだ」

 べそをかいている優里亜に話しかける。

 全く反応がない。

「おい、優里亜」

 何度話しかけても、大声を出してもおれの声は全く聞こえないらしい。

 画面の前でうずくまっている優里亜の肩に触れようとしても、触れることができずにただ妹の身体を突き抜けていった。

 優里亜だけじゃない、モニターも、テーブルも、天井のライトも何の手ごたえもなくただすり抜けていくだけだ。

「お兄ちゃん、そこにいるんでしょ、助けてよ」

 優里亜はモニターに向かって話しかけている。おれがまだゲームの世界の中にいると思っているんだ。

「おれはここだぞ」

 力の限り叫んでも、おれの声は優里亜に全く届かない。

 

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