第21話 違う選択があったのかもね

 サヤはノーティアの港で別れた時のままの姿だった。華やかでセクシーな虹色ビスチェ。大ぶりのイヤリングにネックレス、ブレスレット。

 高く結い上げた豊かな髪が背中に流れる、その髪が赤い。闇の中で燃えているように赤い。そしてその表情は、投げかける視線はまるで氷のようだ。わたしたちへの友情も懐かしさも微塵みじんもない。

 それでもマコトは話しかけた。

「久しぶりだね、サヤ」

 サヤは眉一つ動かさない。

「おれたちは君と戦いたくない。戦わずにおれたちを見逃してくれないか」

 サヤはなにを言っても聞く耳持たないという表情だ。


「おれたちは君と戦いたくない。戦わずにおれたちを見逃してくれないか」

 サヤはなにを言っても聞く耳持たないという表情だ。


「おれたちは君と戦いたくない。戦わずにおれたちを見逃してくれないか」

 サヤはなにを言っても聞く耳持たないという表情だ。


「おれたちは君と戦いたくない。戦わずにおれたちを見逃してくれないか」

 サヤはなにを言っても聞く耳持たないという表情だ。


 わたしたちは「戦う」しか選ぶことができないんだ。

「どうしても戦わなければならないんだな」

 マコトのその言葉が戦闘開始の合図だった。

 重苦しい音楽が地の底から響いてくるようだ。しかも男性合唱付き。

 サヤは逡巡するわたしたちをあざ笑うように変身する。

 瞳が金色に光り、腰から下が巨大なヘビのようにとぐろを巻いた。

 

 なんというか、人一倍お洒落だったサヤだったのに、かわいそうなほど滑稽な姿でもある。人魚ならともかく、下半身ヘビだなんて、ヘビだなんて。

 などと思う間もなく、炎の魔法が、雷の魔法が、氷が、光が闇が四方八方から一斉に降りかかってきた。

 さすが黒魔術師サヤ。しかもその魔術は格段にパワーアップしていた。

 慌てて魔術からのダメージを軽減する魔法を四人全員にかける。ダイゴの盾には魔術を跳ね返す魔法をかけて、ダイゴを先頭にサヤへじりじりと近づいていく。

 連続するサヤの魔術が途切れる一瞬の隙を見極め、マコトが囮となりサヤの注意を引きつけたところにダイゴが斧を振るう。もちろんクリティカルヒット狙いの一撃だ。命中すれば効果は大きい。

 しかし斧を振り下ろした瞬間、ダイゴは弾き飛ばされるように後方に飛んできた。

 サヤは物理的な攻撃を跳ね返す魔術を自分にかけていた。

 会心の一撃のダメージを自分で喰らい、ダイゴは虫の息だ。

 駆け寄って急いで回復魔法をかける。

「魔術だ、今はそれしか攻撃が入らない、ユリア、頼むぞ」

「はいっ」

 ユリアは惜しげもなく最上級の魔術を使い続けた。

 炎、氷、雷、風、光、闇

 火花が散り、氷が砕け、雷鳴が轟き、空気が岩を切り刻み、光が降り注ぎ、闇が覆いつくす。

 サヤとユリア、魔術師同士の決闘だった。

 わたしたちにも地面が燃える熱気が伝わり、空からは氷柱が降り注ぎ、地表を這う雷に痺れ、旋風に皮膚を切り刻まれないよう必死で防御し、光を避けて逃げ、闇に窒息しないよう受け身の姿勢を取る。

 魔術師同士の激しい戦闘がしばらく続いた後、魔力を使い果たしたユリアが血の気のない顔をしてがっくりと倒れるのと、サヤが苦しみ出すのは同時だった。

 

 わたしは後ろから駆け寄って、急いで懐からクリスタル製の小瓶を取り出すと、ユリアの口に魔力の素を注ぎ込む。貴重なこの水薬は瓶に残り僅かだ。

 ユリアの頬に赤みがさしてくる。

 頼む、サヤ、もうこれ以上は、と祈るようにサヤを見つめると、サヤは苦しみながら野獣のような叫び声をあげて、そして再び変身した。

 空気が振動し、地鳴りが響く。

 サヤは唸りながら巨大化し、その姿を変える。

 ドラゴンだ。

 爬虫類そのものの姿、皮膚はうろこに覆われて、トカゲのような目、耳まで裂けた口から怪獣のような咆哮。そして背中からコウモリのような翼が生えていて、バッサバッサと空を切りながら空中に浮かび上がる。

 もうサヤじゃない。

 一緒に買い物をしたり、野営したり、お喋りしたり笑い合ったりしたサヤはもう、影も形もない。涙が溢れてきそうになるが、唇を噛みしめてぐっと堪える。

 かつて戦って倒すことのできなかったほこらの竜ガゴンドラクスによく似ている。あの時、封印の呪文を唱えたのは他ならぬサヤだったのに。

 感傷に浸っている暇はない。サヤの変身したドラゴンはあの時のガゴンドラクスよりも素早く、もっと強い。


 サヤは空中に浮かび上がったかと思うと、口から青白い炎を吐いた。

 ダイゴが前面に出て盾で受け止めるが、堪えきれずに盾が粉砕され、ダイゴの全身が燃え上がった。

「あの炎に触れるな、ノゾミ、ダイゴを頼む」

 ダイゴは消し炭のように黒く転がり息絶えていた。わたしは駆け寄って完全復活の呪文をかける。

 ユリアがマコトに攻撃力と素早さを最大限にまで強化する魔術をかけると、マコトはひとりサヤに向かって行った。

 回復したダイゴが休む間もなく突撃し、サヤの注意を引きつける。

 ユリアも炎の魔法で後方から攻撃する。

 マコトはまるで空中を飛んでいるかのような脅威の跳躍力で、空高く跳び上がると落下の勢いを込めてサヤを切りつけた。

 サヤの口から噴き出してくる青い炎をすんでのところでかわすと、マコトはサヤの翼にしがみついた。そして背中を刺す、首を刺す。何度も何度も。

 振り落とそうとめちゃめちゃに飛び回るサヤの翼に、マコトは必死にしがみつく。サヤの鱗に覆われた首から、背から紫色の体液が流れ落ちる。

 やがてぐあっと唸り声とともに、羽が破れたサヤは地響きとともに地上に落ちた。

 そこへ待ち構えていたダイゴが斧で渾身の一撃を加える。

 紫の血飛沫があがる。

 と、同時にマコトもダイゴも跳ね飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 立ち上がったドラゴン・サヤは全身から紫の血を吹き出しながらも、力強く立ち上がった。棘だらけの尾がゆらゆらとうごめき、両手両足の鍵爪が光る。

「危ない!」

 急にドラゴンの尾が伸びてきた。

 マコトが急いでユリアの前に立ちはだかるも、二人して鋭利な尾の先端に身体を貫かれた。

「ユリア!」

 腹を貫かれたマコトが悲愴な叫び声をあげる。同じく腹を貫かれたユリアは口から血を流してどさりと倒れる。

「大丈夫よ、任せて」

 わたしはユリアに完全復活の呪文をかけて、マコトにも回復魔法をかける。

 前線で戦っているダイゴも傷だらけだ。回復魔法をかける。

 あまりの消耗に目がくらむ。後ろに下がって魔力の素を飲む。ああ、もう魔力の素は数滴しかない。足りるのだろうか……でも不安に押しつぶされている暇もない。急いでみんなの所へ戻る。

「あ」

 戻って気づく。

 ドラゴンの攻撃が単調になっている。鍵爪と尾の攻撃を交互に繰り返すのみだ。明らかにサヤは傷つき疲弊している。

 疲れているんだ……サヤ。

 わたしたちが四人で戦っているのに、サヤはたったひとりだ。そしていくら傷つこうとも誰も回復魔法をかけてくれないのだ。

 湧き上がってくるサヤへの同情を必死に抑えてわたしは腹の底から大声を出す。

「みんな、今よ!」

 マコトはそれだけでわかってくれた。

「ユリア、頼む」

 ユリアは再びマコトに攻撃と素早さが最大限にまでアップする魔術をかける。

 同時にユリアが地面に叩きつけられた。

 再びドラゴンの尾が伸びてきて、胸を貫かれたのだ。

 マコトは何も言わず、ただわたしの目を見て頷いた。

 わたしも頷き返した。

 ダイゴは前線でサヤの攻撃を浴び続けて満身創痍だ。

 叫び声とともにマコトがドラゴンへと飛びかかる。

 弾丸のように一直線に剣を突き刺した。続いて二打、三打。鍵爪の攻撃を空中で躱して四打、五打、あまりに速すぎて目視できない。

 わたしの腕の中でユリアが息を吹き返すのと、ドラゴンのくぐもった唸り声が同時だった。

 致命傷を負ったドラゴンは苦しそうな声をあげて、身体じゅうから紫色の血を流しながらどんどん縮んでいった。そして尾だけヘビの姿に戻ると、さらに人間の姿に戻っていった。

 サヤだった。

 傷だらけの血だらけで力なく横たわるサヤの髪は青かった。

 サヤが唇を動かしている。

 止めようとするダイゴの手を振りほどいてわたしは駆け寄った。

 かろうじて聞き取れるようなか細い声。

「……ノゾミ」

 元のサヤだ。サヤの顔だ。手を取って握り締める。

「マコトに言って。わたしのこと、選んでいてくれたらこんなことにならなかったのにって……」

 涙が止まらなかった。

 サヤに向かって回復魔法をかけてみる。

 なんとなく予感はあったけれども、サヤには回復魔法がまったく効かない。ただの言葉が虚しく響くだけだった。

 そうだ、薬草を、と懐に手を入れると、サヤがゆっくり首を振った。

 違う選択があったのかもしれない。

 倒されてここで死を迎えたのはわたしだったのかもしれない。

 サヤは口を動かそうとしたけれど、もう声が出なかった。

 そしてサヤは動かなくなった。

 ――畜生、畜生、どうにかならかったのかな、本当にどうにもならなかったのかな、五人で行く道はどこにもなかったのかなあ

 わたしの中で少年が号泣している。

 ――悔しいよお、あんなにいい人をどうして。おれたちが殺さなきゃならなかったんだ

 傷だらけのサヤの冷たい両手を胸元に祈るように重ね合わせると、サヤの身体は砂のように崩れて、風に吹かれて消えていった。



 




 


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