第19話 アステル島の試練(4)

 ――あなたさあ、よこしまな気持ちで今までわたしの胸とか太ももとか触っていたでしょう。

「そ、そんなことない」

 思わず声が出た。前を進むマコト、ダイゴ、ユリアが振り返る。

「ごめん、なんでもない」


 おれたちは合流して赤い波が打ち寄せる岸辺を離れ、アステル島内陸部へ向かった。

 襲いかかってくるモンスターはミノタウロス、ケンタウロス、サイクロプスにダイダラボッチ、ヴリトラ、フッキにウロボロス、ヤマタノオロチ。東西の神話伝説ごちゃ混ぜだ。しかも見た目も怖ければ、おそろしく強い敵ばかり。一回一回の戦闘が長引き、おれたちは傷つき、疲弊する。

 あの船にたっぷり積んでいた食料や薬、予備の武器や鎧を思い出す。沈みゆく船からやっとの思いで逃げ出したおれたちは、各自がその時にたまたま持っていた薬と僅かな食糧しか手元にない。

 もちろん、あの海を越えて引き返すことなど考えられない。

 じゃあ、どうするかって?

 眠る、とにかく眠る。

 おれたちには一晩寝さえすれば、なぜか体力気力ともに全快するという便利なルールがある。

 洞窟があれば洞窟の中で、大きな木があればその根元で、何も無くても四人で身を寄せ合って、とにかく休みながら進んだ。

 当然歩みは遅い。いつもなら半日で進むことができるような距離を進むのにもう何日かかっているのだろう。

 アステル島のテーマ曲は美しいけれど悲しげなメロディ。荒涼とした風景に気持ちも塞ぎがちで、加えてモンスターとの激しい戦いで疲労していて足取りは重い。でもそんな中でもマコトはよく喋った。他愛ないことを言って笑い、冗談を言っては笑う。

「……でね、赤い方のキノコを焼いてみたらね、それはもういい感じに焦げ目がついて香ばしい匂いがするんだ。緑の方のキノコを焼いてみたら、中から水分がでてきて変な匂いがしてさ、緑色が滲んじゃってぐしゃぐしゃしちゃって見るからにまずそうなんだ。おれはあんまり腹が減って目が回って来て、我慢できなくて、食べたよ。初めて見たキノコを。さて、どっちを食べたでしょうか。赤?緑?はい、ダイゴ、どっちでしょうか?」

「……赤?」

「だよねえ、そう思うよねえ。おれは考えた。この見た目にいかにもお美味しいですよと訴えている赤の方が毒キノコで、食べてはいけませんという雰囲気を醸し出している緑の方こそが食べられるキノコではないかと。やっぱり自然の法則からいっても色鮮やかな魚には毒があったりして、色合い的には地味な魚の方が美味しかったりする。でも、待てよ、これは魚じゃないキノコだ。でも考えてみたら、赤いキノコも緑のキノコも普通のキノコと比べてみたら、どっちかといったら色鮮やかな方じゃない?自然の法則からいえば、毒寄りの方じゃない?」

「それで結局どっちを食べたの?」

「じゃあ、ノゾミはどっちを食べたと思う?」

「やっぱり赤?」

「ユリアは?」

「わたしも赤だと思います」

「はい、正解は赤でした。やっぱり最後は美味しそうな方を食べるよねえ。意を決して口に入れた時の歯ごたえと口の中いっぱいに広がる香りときたら。あんなに旨いキノコを食べたのは生まれて初めてだったよ。拳ぐらいのキノコを夢中で食べて、ああ美味しかったと食べ終わったら、次の瞬間身体中が燃えるように熱くなった」

「毒キノコだったの?」

「そう。身体中から湯気がでるくらい汗が噴き出して全身が痛くなってのたうち回って動くこともできない。喉が焼けるようにひりひりするのだけど水もない」

「ど、どうしたの?」

「焼いたら水分だらけでべちょべちょになっちまった緑のキノコが救いの神に見えたんだ。震える手でキノコを口に入れたら、乾ききってひび割れたような口の中にじゅっと水をかけたようだったよ。そうしたらあっという間に、身体の具合が良くなった。思うけどあの緑のキノコは赤のキノコの解毒作用があったんだよ、きっと」

「……食べる順番が逆じゃなくてよかったな」


 辛い行軍も会話があれば、すこし和んでくるというものだ。

 つられてダイゴは戦いが終わったら故郷マロンの村を再興する夢をポツポツと語りだし、ユリアは王都ドミナリアで、長い間ボランティアに通っている孤児院に伝わる七不思議について語りだし(これが小説を読んでいるように面白かった)、ノゾミは魔法学校での熾烈しれつな首位争いについて語った。

 そんな中、ノゾミとおれも頻繁ひんぱんに話をするようになってきたんだ。

 そ、そりゃあ、邪な気持ちが全く無いと言えば嘘になるかもしれないけれど、だけど右足を触っていたのは、おれの、何て言えばいいんだろ、おれの本体の右足が無くなっちまったっていうから、だから……

 ――だから、あなたの足なら、わたしが回復魔法で直してあげるから!

「……」


 おれたちはへとへとになりながら廃墟にたどり着いた。

 乾いた風が土埃を巻き上げる。もう長い間人の住んでいない、村の跡地だ。

「ここがサヤの故郷なんだな」

 もとは家だったろう黒く焼けた柱の残骸がある。燃えなかった家も風雨にさらされて痛んで崩れている。草木が生い茂るわけでもなく、剥き出しの乾いた土。生命の気配がどこにもない。

 どこか屋根のある所で休ませてもらおうと、おれたちは教会だっただろう建物に入る。

 辛うじて雨風を防ぐことができるくらいの崩れかけた屋根と壁。焚火をして少し暖をとると、それぞれ雑魚寝をする。

 おれは見張り番を買って出た。

 暗い空を見上げても、赤黒く垂れこめた雲の中に時たま稲光が走るだけで月も星も見えない。

 気づくともう三人とも熟睡していた。

 無理もない、戦いに次ぐ戦いで疲れ切っているのだ。

 

 ――ところであなた、バトウのことを知っていたの?サヤの同郷の人と言う意味ではなくて、その、あなたの世界での知り合いのように聞こえたから。

「う、うん。知り合いっていうか、おれが一方的に知っていただけなんだけど。馬頭は有名人だったから」

 みんなを起こさないように小声で喋る。吸血鬼のような姿をしていたバトウのことを思い出す。ゲームクリエイターの馬頭はじめ。同じ名前のキャラクターの中に入り込んでいた。おれと同じ。でも馬頭はじめは現実の世界では亡くなっている。おれはまだ生きている(と思う)。思えば自分が創り出した、しかも敵キャラ、さらに言えば中ボスくらいの中途半端な敵キャラに転生するなんてなんだか哀れだ。息絶える瞬間に馬頭が流していた涙を思い出して胸が痛む。

 ――バトウとの戦いで、わたし、わかったことがある。

「うん、何?」

 白魔法師ノゾミがなんだかんだとおれに話しかけてきてくれるお陰で、おれたちは多少はお互いのことを分かりあえているような気がする。親しくなれたのかな、そんな気がする。

 でも考えてみれば、こんなに綺麗な女の人と親しく話すのは初めてなんだ。意識すると胸がときめいてくる。あれ、なんだか幸せな気分じゃない?と思う。こんなおどろおどろしい場所でなければなあと心から思う。

 ――わたしもよ。

 うわあ、恥ずかしいな。考えていることが全てお見通しというのは困ったものだ。

 ――でね。気づいたのはバトウが話している時、戦っている時、あの男の身体の端の部分が透き通って、妙にざらざらした感じになっていたわよね。

「うん」おれにも見えた、粗い粒子のことだ。

 ――前にあなたが空に向かって叫んで、空の向こうの誰かと話をしていたことがあったわよね。周りの人もなにもかもが全て止まってしまったあの時。

 妹と話していた時だ。あの時、世界は一時停止ボタンを押したように静止し、空に砂漠の砂嵐みたいな粗い粒子が流れていたんだ。

 ――あなたはあの空の向こうから来たの?

 そう言っていいのか、よくわからない。けれどノゾミから見たら、たぶん、そう。

 ――バトウは、まるで自分がこの世界を創り出したようなことを言っていたわ。それも本当?

 うっ。

 おれは考えまいとする。思考を可能な限り遮断する。

 だって嫌だろ?自分の生きているこの世界が誰かの創った、ゲームの世界と分かるのは。

 だってみんな間違いなくこの世界を生きている。

 マコトもダイゴも、サヤもユリアも、そしてノゾミも。

 ちゃんと喜びも楽しみも、怒りも苦しみも存在する。

 怪我をしたら痛い。毒を受けたら苦しい。魔力を使い果たした時の貧血状態のだるさときたら……

 期待されたら重いけど張り切る。裏切られたら辛い。

 そしてなによりもこれまでの記憶がある。父母が慈しんでくれた記憶、大事なマコトを守り抜く覚悟、そしてこれまでの旅のかけがえのない経験……生きて来た証だ。大事な大事な記憶だ。

 妹のプレイするゲームの世界だなんて言えない。

 ――ゲーム?

 あのさ。

 無理矢理話題を変えようとしておれは言う。

「おれは右足を失ったらしいだろ……」

 おまけに妹は引きこもりだし、両親は離婚寸前、父親はおれの見舞いにも来ないらしい。それに友だちとも気まずくなっちゃって学校に居づらくて。

 ――あなたの足だったら、わたしが回復魔法をかけてあげるって言っているでしょう。知ってるでしょう?わたしの回復魔法の実力を!もう完全回復まで使えるようになったのだから。

 うん、うん、頼もしいよ。

 ……だけどきっとおれの右足はノゾミの魔法では元に戻らない。

 ――なんですって、わたしのこと、信じられないの?

「あのさ、おれ、このままさ。このまま、この世界でノゾミとずっと一緒にいてもいいかな、なんて」

 でもふと思う。

 いつまで一緒にいられるのだろう。

 だって、この状態って間違いなくもうすぐラスボスだよね。ラスボス倒したらエンディングだよね。そしてスタッフロールが流れて、短い後日談か何かあって、めでたしめでたし。でもその後は?

 ――ラスボス?エンディング?なんのこと?

 わわわ、考えるな、おれ、考えるな。

 慌てて思考を切り替える。

「サ、サヤは今頃どうしているんだろうね。ひとりでバトウをあそこまで叩きのめしたのだから、きっとまたおれたちの仲間になってくれるんじゃないかなあ」

 ――サヤの気持ちはまったくわからない。サヤがどういうつもりでバトウと戦ったのか、今どこにいて何を思っているのか。

 最後にノーティアの港で見た、赤い髪のサヤを思い出す。

 ――アステル島にいるのは確かね。サヤのことはマコトやダイゴとも相談した方がいいわね。

「お疲れさん。交代の時間だよ」

 これでもかというくらいの盛大な寝癖をつけてマコトが目の前に現れた。

「居眠りしてたでしょう、寝言言っていたよ」

 こんな時でもマコトはにこにこ笑う。闇の中でほんのり光を帯びているように見える。

「さあ、早く休むといいよ」そしてまたにっこり微笑んだ。

 これが勇者力というものか。

 かなわないな、と思うと同時に、瞬時に周囲を和ませたり空気を穏やかにする能力を心底尊敬した。

 かなわないにしても、見習いたいな……

 おれはダイゴとユリアが眠っている床のそばで横になった。石張りの床がひんやりする。ダイゴは兜を枕代わりにしてあおむけになり、斧を手にしたまま眠っている。ユリアは胎児のように丸まっている。寝顔は子どものようで、そして妹に瓜二つ。

 ――よく聞いて。

 横になると瞼がすぐに落ちてきた。ノゾミが話しかけてくる。

 ――今度、ざらざらしたものが現れたら、あなた、そこに飛び込みなさい。

 

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