第18話 アステル島の試練(3)

 戦闘開始。

 三拍子でワルツのようなのに、どこか不気味な音楽に切り替わる。

 バトウはフェンシングのような構えをしたかと思うと、真っすぐに突っ込んできた。大怪我をしているのに、口から腹から血をぼたぼたと垂らしているのに、速い、そして強い。

 おれは細身の剣を抜き、咄嗟とっさに攻撃を受けた。凄い力だ。ふっとばされて岩の上に転がる。体勢を整える間もなく、顔面へと切っ先が伸びてくる。すんでのところでかわすも、髪が切れて後ろへ飛んでいく。

 反撃しようと無我夢中で蹴りを入れると、ちょうど重傷の傷口。

 耳を塞ぎたくなるような叫び声をあげて、バトウが後ずさる。

「ひ、卑怯な」

 殺意剥き出しの相手に卑怯もなにもないだろうが。おれは剣先をバトウに向けて中段の構えをとる。マコトに貰った細身の剣だ。かつてマコトと一緒に剣の修行をしたことを思い出さずにいられない。

 知っている。ノゾミはあの時のことがあんまり嬉しかったので、その後もひとり黙々と剣の練習をしていた。いつか強くなったところをマコトに見てもらいたいという一心で。お陰で身体が良く動く。

 目の前のバトウはまだよろめいている。攻撃のチャンスは今しかない。

 息を整え、足を踏み出す。

 その瞬間、バトウはきっと睨みつけたかと思うと、口を大きく開けてなにかビームのようなものを吐き出す。

 なにこれ、飛び道具なんてずるい!熱と電気を帯びたビームを間一髪躱したおれは、隙のできた胴へと剣を打ち込んだ。

 バトウの脇腹から更に血が噴き出した。呻き声をあげながら後ろへとよろめく。

 今だ。

 剣を両手で握り締めると、畳みかけるように飛びかかった。バトウは再び大きく口を開けたので躱そうとすると、目の前が真っ暗になった。

 さっきのビームのようなものとは違う。バトウが口から吐き出したのは煙のようなもの。それでバトウは自分の目の前に霧のようなベールを作り、おれはそこに突っ込んでしまったのだ。

 目が全く見えない、そ、そうだ、回復魔法を、え、手が動かない、麻痺している。

 背筋を貫くような激痛が走る。

 バトウが自分をどのように攻撃しているのか全く分からない。闇の中、痛みと恐怖だけが襲いかかってくる。

「ぐっ」

 背中に再び激痛が走り、岩場に突き倒された。腹ばいになったところを容赦なくバトウが攻撃してくる。痛い、怖い、このままではまずい、おれは誰もいないところでたったひとりで殺されてしまうのか、死んでしまうのか。


「しっかりしなさいよ」

 声を出してわたしの中のもうひとりの自分を叱咤激励したつもりが、唇まで麻痺しているのでふうぇふうぇとしか声が出ない。

 最後まで諦めるもんか。こんなところで、あともう少しで使命を果たせるというのに死んでたまるもんか。

「まだまだじゃ」

 バトウの笑い声が聞こえる。

 ものすごい痛みとともに口の中に血が溢れた。

「あんまり早く死なないでくれよ。ここからがわしの楽しみなのだから」

 うわ、この爺さん嗜虐しぎゃく趣味だ。血の気が引いてくる。

 バトウが背中を踏みつけてくる。わたしは動かない手で必死にふところの薬袋をまさぐり、震える手で薬草を取り出す。

 早く、薬草を口に。

 それなのに潮が引くように全身から力が抜けていく。やっと薬草を手に取ったのに、その手がもう動かない。

 バトウの高笑いが聞こえた。

 そんなことって……

 思い出すのはやっぱりマコトのことばかりだ。まだ小さい子どもだったマコト。魔法学校を卒業したわたしと久しぶりに会って、照れたように微笑んだマコト。まだ旅立ったばかりで、二人ともとっても弱くて、傷だらけになりながら助け合って励まし合っていた日々……


 誰かがわたしとバトウの間に立ちはだかった気配がした。動かないわたしを執拗に痛めつけていたバトウが、誰かの不意打ちを喰らって悲鳴をあげている。

 神さま、ありがとう、最期にマコトに会わせてくれて……

「ノゾミさん、大丈夫ですか」

 可愛らしい声が響く。

 ……おまえかよ。

 声の主は動かないわたしの手から薬草を取り、冷たい手でわたしの口をこじ開けて薬草を喉まで突っ込むと、すっと立ち上がって叫んだ「わたしが相手よ!」

 ああ、口いっぱいに広がる薬草の苦みがこれほど有難かったことはない。力を振り絞って一生懸命、咀嚼そしゃくして力いっぱい飲み込むと、徐々に目の前が明るくなってくる。

 ユリアとバトウの激しいバトルが展開中だった。

 いつの間にかバトウは変身していた。細身だった身体が何倍にも大きくなり、筋肉が隆々と盛り上がっている。その剥き出しの肌には粗い縫い目が見える。

 フランケンシュタインみたいだ……

 とわたしの中の男子が呪文のような言葉を呟いている。

 なんだろ、フランケンシュタインって。

 とにかく、そのフランケンシュタインは長い鞭を振り回している。鞭のしなるたびに風を切る音がする。すごいパワーだ。ユリアは鞭を躱しつつ、彼女の使える限りの種類の魔法を駆使して放つ。バトウの弱点を探っているのだ。

 光の魔法でフランケンシュタインは大きくダメージを受けた。

 ユリアは前後左右、時には大きくジャンプしながら、フランケンシュタインの後ろに回り込み、光の魔法を放つ。

 しかし本来前線に立つべきでない防御力の低いユリアは、防ぐことのできなかった鞭によるダメージが蓄積して苦しそうに見える。魔力を最大限に放出しているので、魔力が尽きることによるダメージも心配だ。

 早く、早く助けに入らなきゃ。

 薬が効いてきて、喋ることのできるようになった唇と動かすことができるようになった手で回復魔法をかける、自分に。

 そして次にユリアに。

 と立ち上がった瞬間、目の前でユリアがボロ雑巾のようにぐしゃりと倒れた。

 鞭を正面からまともにくらってしまったのだ。

 蕾のような顔は無残に裂かれて血が噴き出している。

 それを見てわたしの中の男子が絶叫した。


 ゲームの中とわかっていても、そして本物はリビングにいるとわかっていても、やっぱり妹の顔が歯並びが見えてしまう程ぐちゃぐちゃにされたら黙ってなんかいられない。

 フランケンシュタインは舌なめずりをするとユリアの身体を蹴った。ユリアの身体は空中を飛び、遠くの岩にぶつかると垂直に落ちる。

 そしてゆっくりとおれを見ると、にやりと笑い、ゆっくりとやって来る。

 ん?ゆっくり?

 身体が大きくなったバトウは吸血鬼だった頃よりも明らかにスピードが落ちている。ならば

 おれは細身の剣を両手で握り締めた。

 変身はしているが、フランケンシュタインの肌の縫い目は大怪我をしていた脇腹に集中している。もともとその怪我はサヤが負わせたものだ。そしておれと、ユリアもダメージを与えてきた。

 ターゲットロックオン。

 チャンスはたったの一回。

 この攻撃は三人分だ。

 おれは渾身の力を込めて突進した。目指すはフランケンシュタインの脇腹。ただ一箇所!

 フランケンシュタインの鞭を躱し、おれの剣先は吸い込まれるように吸い込まれた。力を込めて切っ先を払うとバトウの叫び声とともに血しぶきが飛んだ。

 すかさず跳び上がり、上段から振り下ろす。

 フランケンシュタインの脳天に入った感触があった。

 地響きをたてて、フランケンシュタインは崩れ落ちた。


「ああ、また終わっちまったか……わしの見せ場は短すぎるつまらん」

 フランケンシュタインは目を閉じた。すると

「痛いよ、怖いよ、いったい何度こんな目にあえばいいのか。もう嫌だ」

 そう言って泣きだしたではないか。

 死にゆくフランケンシュタインの中から馬頭はじめが再び現れたのだった。

 すると傷つきぼろぼろになった身体の輪郭が徐々にぼやけてくる。粗い粒子が流れるように空気が滲んで見える。

「なあ、おまえは何者なんだ?」

 馬頭はじめは虫の息でおれに必死に問いかけてくる。岩の上に力なく横たわり、もう手足を動かすこともできないらしい。おれはかたわらに膝をついて、声が聞こえるように顔を寄せた。そしておれが本当にただの高校生であること、どうやら交通事故にあって意識不明の状態であることを説明した。それから、どうしても聞きたいというので、馬頭はじめ氏が死んでしまったこと、ゲームの発売日にお葬式が行われたことも話した。

「なんてこった、ならばおれはもう帰ることもできねえじゃねえか、なんてこった」

 しばらく馬頭ははらはらと涙をこぼした。その涙も頬を伝ううちに粗い粒子となって空間に吸い込まれるように消えていく。

「確かにゲームの世界に入りたいと思ったことはあったさ。おれだって人間関係に疲れてさ、剣と魔法のファンタジーの中で生きてみたいと思ったこともあったさ。でもさ、敵キャラになりたいなんて誰も思わねえだろう。毎度毎度こんなに痛い思いをして死ななきゃならねえんだぞ。そりゃ、バトウなんて名前をつけたのはおれさ。ちょっとした冗談のつもりだよ。そうだよ、冗談なんだよ、なあ、おまえ、こんなことが本当にある訳がないじゃないか。これは悪い夢だ、夢なんだ……」

 ごぼごぼと口から血を溢れさせて、馬頭は息を引き取った。

 するとフランケンシュタインのようだったバトウは吸血鬼の姿になり、さらに痩せた、普通のおじさんの姿になった。

 同じような境遇の馬頭はじめ氏ともっと話したかった。出会っていきなり戦わなければいけないなんて、なんて不条理なんだ。落ち着いて話せば元の世界に戻る方法が分かったかもしれないのに。

 でもおれ、本当に元の世界に戻りたいのかな。


「あなた、なにをもたもたしているのよ」

 わたしはバクルスを握り締めて大急ぎで岩場を走る。

「急がないと、取り返しのつかないことになっちゃうじゃない」

 ユリアは突き出た大岩の麓に倒れていてぴくりとも動かない。抱きかかえても何も反応はない。白目を剥いている。顔に縦断するような鞭による深い傷がぱっくりと裂けて見るも痛々しい。

 ――うわあ、優里亜。本当に死んでしまったのか?

 妹そっくりの顔は近くで見るとますますグロテスク。黒髪は血でべったりだ。

 いくら仲の良くない妹でも、これではあまりにも可哀そう。

「ちょっと、あんた、落ち着きなさい」

 今ならできそうな気がする。

 集中して呪文を唱える。

 見る間に酷い傷は綺麗になり、青白い肌は赤味を取り戻し、ユリアは息を吹き返した。そしてわたしを見ると、初めて会ったようににっこりと微笑んだ。

 初めて成功した。

 完全復活の呪文。蘇生だけでなく、体力も魔力もみなぎっている状態への復活。

「……無茶したら駄目でしょう。あなた、魔術師なのに一人で戦うなんて」

「大丈夫だと思ったの。万が一のことがあっても、わたし、よみがえりの葉を持っているんですよ。ほら、このポケットの中に」

「……死んでしまったら、どうやってよみがえりの葉を口に入れるっていうのよ」

 ユリアは心底驚いて目を丸くした。

「そうですね。そこまで全く考えがいたりませんでした」

 そう言って蕾のように笑った。

 つられてわたしも笑う。

 とても素直で素敵な女の子で、だからマコトが惹かれるのもよくわかる。

 ……だけど、わたしはあなたのことを好きになってはあげないわ。

 ――それで、いいじゃない。


 遠くからわたしたちを呼ぶ声がする。マコトとダイゴの声だ。

「遅いよ」そう言って、顔を見合わせて二人で笑った。



 




 




 

 

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