第17話 アステル島の試練(2)

「正直、きつい」

 涙を拭いながらノゾミが呟いた。彼女の号泣はまだ続いていた。

「こんな感情があなたに全部ばれているなんて。ねえ、わたしの感情を覗かないでよ、よく知らないあなたに感情を見られるなんて最低よ」

――矛先がこっちに向いてきた。感情を覗くな、なんて、それはお互いさまだろ。

「わかった風な口をきかないでよ!あなたなんかにわたしの気持ちがわかってたまるか!」

――吐き捨てるように言ったその声はドスがきいていて、いつもの楚々とした優しい白魔法師ノゾミとは別人みたいだ。なるほど失恋すると、こうして人の隠れた一面が見られるものなのだな。

「くやしい、あなたなんかにそんなこと言われるなんて」

 そう言ってノゾミはひときわ高い声をあげて再び泣きだした。

――ノゾミが泣くのを邪魔しないように、おれはひたすら無の境地になるように努めた。

 うん、余計なことを考えて邪魔はしないよ。

 だから思う存分涙を流しちゃえばいい。

 あれ、なんだろ。

 なにか人生で大切なことが一つわかったような気がする。


 かなり長い間全力で泣くと、ノゾミはごつごつした岩の上にごろんと横になった。

 厚く重たげに垂れ込めた黒い雲の中では稲光と雷鳴。太陽はどこにも見えない。さらに心を沈ませるような暗く寂しい音楽がノンストップで流れている。岩場には寄せては返す赤い波が不気味な泡を立てている。

「……ごめんなさい」

 ノゾミが呟いた。

「わたしとしたことが、あなたに当たり散らすなんてね」

――落ち着いたみたいで、よかった。心からそう思う。

「ふふふ、ヒステリーだったわね。ねえ、お詫びにわたしがあなたの右足を治してあげるわ。回復魔法を使って」

――どんな偉大な白魔法師だろうと、おれの切断したという右足が元に戻ることはないと思うのだけど……でも、その気持ちは嬉しいや。

「どうしてわたしがあなたを治すことができないの?あなたが他の世界の人だから?あなたの世界ではこの世界の白魔法は効かないの?そんな風に決めつけちゃいけないわ。わたしだって、はじめは怪我とかを治すくらいしかできなかったのだけど、今では蘇生もできるのよ。もっと経験を積めばきっとあなたの世界でもわたしの回復魔法が絶対に効くはずよ」

――だったらいいなあ。

「あっ、信じていないわね。やってみないとわからないじゃない、はじめから諦めちゃダメよ」

――自分の気持ちが全てだだ洩れなのはなんだか照れくさいなあ。

「とにかくあなたが元の世界に戻れるようにしましょう」


「なんだ、もう泣き止んだのかい」

 しわがれた声で話しかけられた。

 おれは跳ね起きてバクルスを手に取り力を込めて身構える。

 数メートル先の砂浜の上に突き出た赤い岩にもたれかかるようにして、知らない男がいる。

 ノーティアから一緒に来た船長でも船員でもない。

 黒いタキシードスーツに蝶ネクタイまでしている。落ち窪んだ目に青い顔色。まるで吸血鬼ドラキュラのような姿だ。映画研究会で内村に観せてもらったんだ、古い映画で、ベラ・ルゴシ?なんだかとても怪しげな雰囲気のある吸血鬼で、目の前の男はよく似ている。さらにドラキュラらしく、ご丁寧に唇の端から赤い血を流している。

「もっと泣けばいいのに」

 よく見ればドラキュラ男は大怪我をしていた。白いシャツの腹の部分が血で真っ赤に染まっている。誰かの血を吸ったというわけではなく、口から流しているのはきっと自分の血だ。肩でぜいぜいと息をして、苦しそうにしている。

「おれの名はバトウ。おまえたちの仲間だった黒魔術師からその名を聞いたことがあるのではないかな」

 近づこうとした足を踏み留める。

 仲間だった黒魔術師とはサヤのことに他ならない。じゃあこいつはサヤに交信を送っていたという、魔王のしもべ?ここアステル島のたった二人の生き残りにして、マコトを暗殺するようにサヤを派遣した奴?思い切りやばい敵じゃないか。

「ふふっ。そんな顔をするなよ。本当におれって、嫌われ役だなあ。おれを見る時の冷たい視線、何度も浴びてきたけど、慣れないねえ。嫌われるのも楽じゃない。まあ、そういうふうにこのおれを作ったのが、他でもないおれなんだよなあ。それでもやっぱりそんな顔をされるとこの辺りがちくっと痛むんだよ」

 バトウは胸の辺りを大仰な仕草で押さえた。

 なんだ、この人?

「さて、おまえさんたちは王女の方を選んだのだな。それで黒魔術師がここに来たってわけだ。いやいや、何度目?何十度目?もう、飽き飽きさ。全くつまらない方を選んだねえ、でも、それが普通か。ああ、つまらない、つまらない」

 なにを言っているんだ、この人?

「せっかく他の選択肢も用意してあげたのに、結局、能力が被っている黒魔術師系のどちらかを置いてけぼりにしちゃうわけでしょう?本当につまんないねえ、君たち。戦士を置いてきて、勇者と魔法使い三人なんて編成もありだし、君を置いてきて、回復魔法無しの難易度大幅アップ編成も有り得たんだけどねえ」

 ドラキュラ男は思い出したようにむむうと呻いて自分の腹を抑える。

「ああ、痛い、痛くてたまらないや。おまえさんたちが黒魔術師を置き去りにしたから、おれがこんな酷い目にあったんだ。この傷はなあ、その黒魔術師にやられたんだよ。おまえさんたちに置き去りにされて、あの子の中の人間らしい部分が完全に死んじまった。今のあの子は完璧なモンスターだ。でもさ、わかっていたこととはいえ、弟子同然に育ててきた子に負けるのは辛いなあ。なんといっても痛いし、血はどんどん出ていくし、苦しいし、それに痛いし」

「サヤはどこだ」

 杖を構えてバトウを睨みつける。重傷でも油断はできない。

「おれとしては、黒魔術師の方が思い入れがあるキャラクターなのだがなあ。なんといっても一緒にレベル上げて強くなっていくんだ。いつの間にか強くなっている王女とは違う。だからおまえさんたちも思い入れ」

 バトウは激しくむせた。口から血飛沫が飛び散る。

「……そういう仕様にしたのは、おれなんだけどさあ。そりゃあ、誰かを置き去りにしないとシナリオが進まないようになっているんだけどね。ねえ、五人でここにやって来ようとか、思わなかった訳?じゃなくてもさあ、おまえさんたちが黒魔術師を置き去りにしなかったら、おれはまだぴんぴんしてたのに」

――ね、ねえ、さっきからこの人、なに訳の分からないことを言っているの?

 おれの中でノゾミが不安な声を出す。

 確かに言っていることは支離滅裂。だけど

 まさか、まさか……

 おれはネットで見かけたニュースを思い出す。

 「ゲームクリエイターの馬頭ばとうはじめ(47)急死」の記事。ヒット作を次々と世に送り出していて、おれでもちょっとは聞いたことがあるような有名人だ。ただ、おれは小学生の時以来、ゲームをあまりやらなくなっていたので、この訃報にあまり興味はなかった。有名人がまた一人死んじゃったのかという感じで、記事は斜め読みしただけだった。

 ゲーム好きな内村と伊藤は記事を見て大騒ぎしていたっけ。そう、その馬頭はじめが急死する直前まで手掛けていたのが、このゲームだったはず。馬頭はじめは販売直前に脳出血かなにかで突然死したんだ。確か。ゲームの発売日がお葬式だったというニュースをネットで見たぞ、確か。思い出してきたぞ。

 じゃあ、あのドラキュラ男は馬頭はじめ?名前が同じバトウだから?おれがノゾミっていうだけでここにいるみたいに?本当にこの人、あの馬頭?

 そう思った瞬間、目の前の吸血鬼バトウのマントの端が、まるで周囲の空気に溶けていくかのように、粗い粒子がざっと流れて滲んだように見えた。

「これは驚いた。おまえもか」

 バトウが牙のような犬歯を剥き出しにする。すると赤い血が口からたらりと流れる。

 ふと見ると杖を持つ自分の手の指先もなんだか滲んで見える。

「……あなた、馬頭はじめさん、なんですか?」

「ああ、ああ、やっとおれの本当の姿をわかってくれる者が現れた!」

 バトウは世にも怖ろし気な叫び声を上げると、長い手足をくねくねさせて踊り出した。踊り……なのだろうか、ただ手足をゆらゆらさせて、腰や尻をくねくねさせて、ただ適当にくるっと回転しているだけのように見えるのだが、気持ちに身体が追いついていない。見ていると、もの悲しい気分になってくる。

 吸血鬼が踊る光景に白魔法師ノゾミも言葉を失っているようだ。

 ひとしきり踊るとバトウはがっくりと膝をついた。腹の傷口から鮮血が滲む。額には脂汗、とても辛そうだ。

「なんか言えよ、引いてんじゃないよ、踊ってる方も恥ずかしいんだよ」

「……」

「後半に登場するからキャラ立ちさせようと思って、わざわざプロのダンサーに振りつけてもらったんだけどさ、このダンス、難しいわ」

 ブツブツ言いながら腹から血を垂らしたまま、バトウはじりじり近づいてくる。

「……で、おれはいつ元に戻れるんだ?」

「は?」

「おい、早く戻してくれよ。おまえはやっと現れた救世主なんだろう?やっとおれを元の世界に戻してくれるんだろう?呪文かなんか知らないのかい?それとも何かい?おれは愛する人のキスで目覚めるのかい?」

「そんなもの、知っていたらおれがとっくにやってますよ」

「なんだと?」

「馬頭さんこそ、このゲームを作ったのに、知らないんですか?元の世界への戻り方。おれは馬頭さんこそが救世主だと思ったのに。おれ?おれはただの高校生ですよ」

 バトウの顔がムンクの『叫び声』になる。

「知らないというのか、ただの高校生だと?この千載一遇のチャンスに、ただの高校生だと!?あああ、なんてことだ」

「ねえ、馬頭さん、少し冷静になって、一緒に考えましょうよ」

 しかしバトウは悲痛な叫び声をあげると、崩れ落ちるように倒れ込んだ。

 するとバトウが身にまとっていた周りに溶け込みそうな感じがなくなって、輪郭がクリアになってくる。

 顔を上げたバトウの両目が赤く光った。

「まったく、いつまでもいじいじと情けない奴め」

「ば、馬頭さん?」

 バトウは牙を剥いてにやりと笑う。さっきまでは別人のような低く重く力強い声。

「アステル島の奴らはみんなわしをあざけり、馬鹿にしてきた。生まれが卑しいから?愛想がなかったから?村の生活に馴染めなかったから?今となっちゃ、その理由もわからないが、そんなことはどうでもいい、奴らは全員死んでしまった、ざまあみろだ」

 バトウが近づいてくる。

 間違いない、馬頭はじめの中から本物のバトウが出てきたんだ。

「魔王様がすべてを変えてくれた。あいつら、せっかく魔王様が強くしてくださるというのに、それに耐えることができなかったのだ。フフフハハハ。日頃散々わしを馬鹿にしていた奴らが、目の前で耐えられずに崩れていった。わしを愚図だ、クズだと言っていた奴らの方がよっぽどクズで弱かった。フフフハハハ。魔王様のお陰でこの姿を手に入れたわしが、奴らの最期を見届けてやったのだ。最高に気分が良かったぞ。あの気分を味わうためにわしは恥辱に塗れた人生を耐えて耐え抜いてきたのだ、だからわしは、たとえここで倒れるようなことがあってももう悔いはないのだ」

「……その怪我はサヤと戦ったのか?」

「フフフハハハ、あいつめ、一緒にいる時は何の役にもたたん弱っちい娘だったから追い出してやったら、知らないうちに強くなっていやがった。強くなったのだから今度こそ、勇者を暗殺するように交信を送ったら、なぜかわしを攻撃してきたのじゃ。ほれ、このとおり」

 上着をめくって見せると、どうしてこれで生きているのかという酷い怪我だ。

 サヤはバトウと戦ったというのか。

 ならば、もしかしたらサヤは話せばわかってくれるかもしれない、もう一度味方になってくれるかもしれない、一縷いちるの望みを抱く。

「わしの役目は、おまえさんをここで殺すこと。そのように決まっておるのよ。そしてわしは案外その役目が気に入っておってな」

 バトウは剣を抜いた。

「怪我をしておるが、白魔法師一人などひとひねりにしてくれよう」






  


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