第16話 アステル島の試練(1)

 小姑ぶりを発揮して、新入りのユリアに嫌味のひとつでもかましてやろうかと思ったけれど、そんな余裕はまるで無かった。どこまでも続く水平線を見つめながらサヤとの別れを悲しむ時間も無かった。空を舞うカモメとともにゆっくり船上の旅を楽しむ余裕はもっと無かった。

 海のモンスターが強すぎるのだ。

 強いだけじゃない、数も多い。

 船が進むたびに海面からわらわらと敵が湧いてくる。海中から空中へと飛び出してきて、甲板に飛び移り、わたしたちだけでなく船員にまで襲いかかってくる。

 戦いに次ぐ戦い。

 はじめの大群イワシや麻痺クラゲ、猛毒ゴンズイなどはまだよかった。数は多いが一匹一匹はそれほど強くない。わたしたちは船員をかばいながら、ほとんどダメージを受けずに海のモンスターを倒していた。

 しかし西に進めば進むほど、敵は段違いに強くなっていった。

 魔王の本拠地が近い。嫌でもそのことを突き付けられているようだ。

 ノコギリカジキ、漆黒マグロ、暗闇カツオなどもまだよかった。

 ハンマーヘッドシャーク、タイガーシャーク、ジョーズになってくるとわたしたちは苦戦を強いられるようになった。

「安全な所へ下がってください」

 マコトが船長に叫ぶ。

「敵が強すぎる。避難してください、このままだとあなたたちを守りきれない」

「なんだと?」

 船長が怒鳴り声を上げた。義足を高く上げて床に振り落とす。

「おれたちを舐めるんじゃねえぞ。元は海賊、腕っぷしの強い奴らばかりだ。おい、おまえらの武器を借りるぞ、いいな」

 船底から予備として持ってきた剣や槍、斧が続々と運び出される。

 船員たちは思い思いの武器を手に取ると、鮫モンスターと戦いはじめた。四、五人ずつ徒党を組んで斧で殴り槍を突き刺し、剣で切り刻む。シャークの巨体から血飛沫があがり甲板をびちびちと跳ね回る。さすが元海賊!海水と血液と、怒号と悲鳴と、船上は阿鼻叫喚の世界だ。


 海のモンスターは雷の魔法が弱点だ。

 はじめの頃はユリアの雷の魔法でサクサク片がついていた。マグロ類になってくると、だんだん雷の魔法に耐性を持つ種類が現れだしたが、まだ楽に勝つことができたと思う。ダイゴがノーティアの武闘大会に出場するため訓練に励んでいたので、自分たちが強くなっているという自負もあった。ところが鮫モンスターときたら、完全に雷の魔法の耐性をもっており、それどころか雷の魔法でもって攻撃してくる。波しぶきとモンスターの血飛沫を浴びてずぶ濡れのわたしたちは、電気攻撃にとても弱くなっている。

 そこへジョーズが海面から跳び上がり、自分の身体に雷をまとって降ってくる。その巨体、鋭い牙、パワー溢れる尾鰭おびれによる電撃攻撃。盾でサメの攻撃を受け止めたダイゴは感電に呻いた。ダイゴは麻痺している。甲板で躍り上がったジョーズはダイゴに向かって巨大な口を開く。

 すかさずユリアが氷の魔法でサメを凍らせた。その一瞬に、マコトが空中高く飛び上がり、落下の勢いとともに剣でサメを頭から一刀両断した。わたしは回復魔法を唱え、ダイゴは動けるようになり、身体じゅうの傷も見る間に治っていった。良い連携だ。

 互いに褒め合っている間もない。

 鮫の雷攻撃に船員たちが次々にやられていく。

 わたしは必死に回復魔法をかけてまわる。傷ついた一人一人に魔法をかけていく。だけど、ああ、全然間に合わない。それなのに怪我人はどんどん増えていく。

 その時、船の舳先へさきからにょろにょろと細く長い足を伸ばしてきたのは、ダイオウイカ。黒々とした洞穴のような二つの目が不気味だ。甲板の上まで伸ばしてきた吸盤付きの足は、いったい何本?ひとつ、ふたつとかわした後、わたしは三本目の足に甲板に叩きつけられる。全身の激しい痛みに息ができない、震える手を伸ばして、わたしは自分に回復魔法をかける。

 ダイオウイカは墨を飛ばしてきた。ダイゴが墨を盾で弾くと、左右に分かれた墨は甲板を溶かしてしゅうしゅうと煙をあげる。船員たちは墨を浴び火傷を負い、あちこちから呻き声があがる。

 ユリアは炎の魔法を使った。イカの焼ける香ばしい匂いが漂いはじめる。しかし魔術を使う一瞬の隙を逃さず、ダイオウイカの足が伸びてくる。マコトはユリアを庇うように前に出て、吸盤付きの足を剣で切り刻む。

 弱点は二つの黒々とした大きな目のようだった。ユリアは集中して炎の魔法をダイオウイカの目に浴びせかける。そこに炎の魔力を帯びたマコトの剣とダイゴの斧が攻撃を畳みかける。やがてダイオウイカは食欲をそそる匂いを発散しながら海に沈んでいった。

 連戦につぐ連戦。

 わたしたちも限界だ、肩で息をするマコトとダイゴ。

 ユリアが差し出してきたのは魔力を回復する薬。

 何も言わずとも信頼していると言わんばかりのユリアの視線に、複雑な思いを抱きながらわたしは頷いてそれを飲み、甲板に倒れた船員たちを回復してまわる。

 すると

「アステル島が見えてきたぞ」

 舵をとる船長が叫んだ。

 進行方向の西の空に黒く垂れこめた雲が見えてくる。青い海、青い空があるところでぷつんと途切れ、真夜中のように暗い世界がその先に広がっている。闇に霞む水平線の上にぼんやりと灰色の島の影が浮かんでいる。

 まるで別次元のような不気味な世界。

 船は闇へと進み、青い空がふっつり切れて、黒雲の覆う世界に入ると海は大きく荒れだした。

 雷が轟き、豪雨が垂れ幕のように叩きつける。大波に泡立つ海の上、船は風に舞う木の葉のようにわたしたちや傷だらけの船員たちを翻弄しながら寄る辺なく揺れる。

 船長は額に汗を滲ませながらジェットコースターのような波の中を突き進む。雨も風も痛いほど強く、もはや立っていられない程、上下に傾き、前後左右に揺れる。

 必死に帆柱にしがみついていると、信じられない光景が広がった。

 荒れ狂う海面から現れたのは、船よりも巨大なマッコウクジラ。それが頭から空中へ跳び上がり、白い腹を見せて海の上にそびえ立っているのだ。まるで突如出現した天へと突き上がる壁のようだ。

「船長、もう、これはおれたちにどうにかできる敵じゃない」嵐の轟音にかき消されまいとマコトが必死に叫ぶ。「逃げてくれ!」

 船長は必死に舵を切り、船は180度向きを変える。

 しかし大きく跳び上がったマッコウクジラは船の方向へその巨体を海面に叩きつけると海の底へと潜り出した。

 海面にマッコウクジラが巻き起こした渦が波のように広がり、すり鉢のように深くなる。「急げ」

 必死に逃げる船に渦巻きが迫る。


 あの短い間によくそこまでできたと思う。

 船長含め船員たち、わたしたちは辛うじてボートに乗り込み、脱出した。名前を覚える間もなかった船長は違うボートに乗って、その後どうなったのかわからない。

 わたしたち四人は他の船員たちとボートに乗って、とにかくクジラの渦巻きに巻き込まれまいと必死に漕いだ。激しい雨と波飛沫にボートの底にはどんどん水が溜まる。わたしたちは水を必死にかき出した。かき出して、かき出して、そして押し寄せる大波に飲まれて、その後のことは覚えていない。


 気がついたらひとり、ゴツゴツした岩の上にいた。

 暗く悲愴な音楽が流れている。

 全身海水まみれだ。

 ミトラはちゃんと頭に、バクルスはちゃんと手にある。良かった。

 海水をたっぷり吸って服がずっしり重い。でもさすが賢者の法衣、海に揉まれて岩に叩きつけられたおれを守ってくれた。

 みんなはどこだ?マコトは?

 見回しても誰もいない。

 岩だらけの波打ち際がずっと続いている。

 ダイゴもユリアも無事だろうか、探しに行かなくては。

 と思いつつも、全身が重い。疲れ切っているのだろう。そのまま横になっている。

 びしょびしょの裾をめくって、自分の足を見る。

 右足はちゃんとある。

 白い足を触ってみると、滑らかで弾力がある。感触がちゃんとある。

 良かった。

 仰向けのまま、赤黒い雲が重く垂れ込めた空を見る。

 激戦につぐ激戦だったなあ……

 船上での戦いを思い出す。

 ずっと考えている暇もなかったのだけど、こうして一人になると向き合わざるを得ない。

 おれの右足、無くなっちゃったのか……

 暗い病室に横たわる自分の姿を想像する。包帯だらけで管に繋がれて意識不明の重体。母さんは傍らにいて憔悴している。父さんは来ない。

 もう一度、辺りを見回してみる。見渡す限りの岩場に誰の姿もない。

 空の彼方に稲妻が見える。赤黒い空を映した海も赤黒い。打ち寄せる波も禍々しい赤。

 涙が出てきた。

 一度出ると止まらない。

 おれは幼児のようにわあわあ泣いた。右足をつねる、叩く。何度も叩く。

 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。どうしておれがこんな目に遭わなきゃならないんだ。なにか悪いことしたというのか。この世は不公平だ。あまりにも理不尽だ。もう二度と自分の足で歩けないというのか。走れないというのか。どうしておれだけがこんな酷い目に。階段も昇れないのか、今まで普通にしていたことが、当たり前のことが、できなくなるというのか。どうして、どうして。

 

 ――ちょっとあなた、いつまでわたしの足を撫でているのよ!

 自分の内側から溢れてくる声が混乱に拍車をかける。

「うるさい!うるさい!放っておいてくれ、おれを一人にしてくれよ」

 するとノゾミは本当に放っておいてくれた。つまりおれが泣くに任せていた訳だ。声の限り涙の限り泣いてしまうと、力が抜けて少し落ち着いた。

 ――わたしたち、ちゃんと話しましょう。

「……」

 ずっと一緒にいたのに、白魔法師ノゾミときちんと言葉を交わすのは初めてな気がした。なんだか緊張しながら互いに自己紹介する。

 もちろん、互いの思いや感情は筒抜けなのだから、今更な感じはあるけれど、だけどおれは家族構成や高校に通っている男であることなど説明した。そして交通事故で妹のプレイしている「ゲームの中の世界」へ来たんだよと言いかけて、ふと言葉が止まる。

 ノゾミにとっては、ここはゲームの中の世界ではない。

 ちゃんと故郷の記憶があって、幼い頃の記憶があって、大切な家族がいて、そしてマコトと旅をしてきた思い出があって、これからの最終決戦への意気込みと平和を取り戻した後の希望がある。それをただゲームの中の世界だ架空の世界だ、と言い切ってしまうのがあんまりなような気がした。

 でも、おれたちお互い考えが筒抜けなのだから、ゲームの世界だってこともノゾミには多少は伝わっているはずなのだけど、彼女はどう思っているのだろう。

 一方で、ゲームの世界であることも幸いする。

 ここは魔王がいて魔術の存在する世界。ノゾミはおれが外の世界からやって来て、たぶん名前が同じという理由だけで自分の身体に住み着いたということをいとも簡単に納得した。

「おれ、思うんだけど」ゲームという言葉を使わないように慎重に言葉を選ぶ。

「……確証があるわけじゃないんだけど、もしかしたら魔王を倒したら、おれは君の身体から出ていくことができるのかもしれないな」

 つまりそれは妹がこのゲームをクリアするということ。

 クリアしたらおれがこの世界から出られる?

 そんな保証はまるでないけれど、とにかくそう言っておれとノゾミは無理矢理納得する。

 でもおれ、本当に元の世界に戻りたいのかな。

 失った右足、暗い病室、ひきこもりの妹、ひとり残されたlineの画面。

 このままこうしてずっとノゾミの中に居続けたい、みんなと旅を続けたい、そんな気もしていると、知らないうちにノゾミが涙を流していた。

「わたし、ずっとマコトを守らなくちゃと思ってきた。物心ついた時からずっとそう思ってきた、それが生きる証だった。それは愛とか恋とかとは違う、そんな浮わついた気持じゃないの、わたしはマコトのためならいつでもこの命を捧げるつもりでいた。それなのにあんなに短い間にユリアはマコトの一番大事な人になってしまった。だからってマコトがわたしや他の人のことをないがしろにしているわけじゃない、そんな人じゃないの、それも痛いほどわかる。だけどマコトの心の一番大事な場所に、あの子は入り込んでしまった。いとも簡単に入り込んでしまった。そして、もうそこには誰も入る余地はない。王城なんていかなければよかった、王様になんて会わなければよかった、ユリアじゃなくてサヤの方を選べばよかったのに」

 今度はノゾミが誰にはばかることなくわんわん泣き喚く番だった。

 おれはノゾミの真似をして、彼女を放っておいてしばらく黙ることにした。

 



 



 

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