第15話 黒魔術師サヤの運命(4)
からりと晴れた青空に真昼の花火が白く破裂して色とりどりの紙吹雪が舞う。ノーティアの港は勇者一行の旅立ちを祝福していた。
船長は髪や髭に白いものの混じる見るからにベテランの男。堂々とした体躯に杖をついていて、隻脚らしく歩くたびにコツコツと義足の音がする。乗組員たちは海賊と見間違えそうな風体の荒々しい海の男たちだ。出航の準備万端の船に乗り込むべく勇者一行が登場した。集まったノーティアの人々は声援を送る。勇者マコトと戦士ダイゴ、白魔法師ノゾミ、そして黒魔術師サヤとモルタヴィア王女ユリア。
見送りに来てくれた市長と固く握手すると、ダイゴは船へのタラップを登る。最強の鎧シリーズを身に纏い、武闘大会の時とは段違いに風采が上がっている。続いて賢者の法衣シリーズを身に着けたおれも後へ続く。バクルスを持った手を振るとわっと歓声があがる。悪くない気分だ。そして最強勇者の鎧シリーズを纏ったマコトは、いにしえの伝説の勇者もかくやあらんと思わせるような堂々とした男振りだった。ただしその表情は痛々しいほど困惑している。マコトはタラップを登ると振り返った。
ずっと流れていた陽気なBGMが止まる。
マコトはうしろの二人をじっと見つめる。
サヤとユリアも思いつめた瞳をして見つめ返す。
サヤの紫に染まった髪が海風に揺れる。
っておい。
初めからわかっているじゃないか。このゲームをプレイしている妹が自分の名前を付けて自分そっくりにしたキャラクターをマコトに選ばせるのは。
サヤがいくらおれたちと旅を続けたいと思い願っても、最初からスタートラインにも立たせてもらえなかったっていうのか?
それじゃあ、あんまりだ!
「おい、優里亜、そこにいるんだろ、優里亜!」
思わず抜けるような青空に向かって叫ぶと、ピシッという嫌な音がした。
世界が止まる。
見送りに来ていたノーティアの市民たちは手を振ったまま、カリオン市長は笑顔に白い歯を光らせたまま、ダイゴは苦虫を嚙みつぶしたような表情で、サヤとユリアは不安な瞳のままで、そしてマコトは、マコトの表情はなんだろう、全くなにも考えていないように見える……
前に見たような不鮮明な粗い粒子が空に広がっていく。
その向こうにぼんやりと妹の輪郭らしきものが見えてくる。
あいつ、今でもリビングでぬくぬくとゲームしているんだ、サヤの気持ちも知らずに、おれの不安も知らずに。
「優里亜、サヤを選べ!いいじゃないか、おまえはちゃんとそこにいて、ゲームできているんだから、サヤはずっとおれたちと旅をして苦労をともにしてきたんだぞ」
「……何言ってんのかわかんないよ、お兄ちゃん」
「だからサヤを選べって言っているんだ、今、ここで。だって選ばれなかった方は死んでしまうんだろ?おまえはそこでピンピンしてるんだから、たとえ王女が死ぬことになっても、おまえは生きているんだからいいじゃないか、だけどサヤは」
「ひどいよ、お兄ちゃん。ネタバレ」
優里亜の声に怒りがこもっている。まずい、怒らせてしまっては元も子もない。
「これはわ・た・しのゲームなんだからね。お兄ちゃんに指図されたくない。それよりも、お兄ちゃん、どうしていつまでもそんなところにいるの?早く戻ってきて目を覚ましてよ」
「……おれだってどうしたら目が覚めるのかわからないよ、母さんは?母さんにこのこと言って……」
「……ママはもうずっと病院だよ。お兄ちゃんの傍で簡易ベッド借りて病室に泊まりこんで」
「父さんは?」
「……ずっと帰って来ない」
やっぱり。胸の中がすっと冷たくなった。父さんと母さんはもうずっと前から家庭内別居だった。たまに話しているかと思ったらものすごく険悪な感じだった。おれが高校に進級すると、父さんはほとんど家に帰らなくなっていた。っていうと、父さんは息子が事故にあって意識不明になって、生きるか死ぬかの一大事なのに家にも病院にも来てないっていうのか。
冷たくなった胸の中にめらめらと怒りが沸き上がる。
そりゃあもうずっと前から、母さんとおれと妹の三人と、父さん一人っていう家族関係になっていたよ。おれの小学校の卒業式は来てくれたけど、妹の卒業式は来なかったから、両親の関係が悪くなっているのに気づいていたよ。でも、息子が死にそうだっていうのに来ないっていうのか。病院には母さん一人っていうのか。母さんはずっとおれに付き添っているというのか。薄暗い病室に横たわるおれと憔悴した母さんの姿を思い描いて涙が出そうになる。
あんまりだよ、父さん。
ここにこうしている場合ではない。
そうだ、魔王なんてどうでもいいから、一刻も早く現実のおれが目を覚まさないことには、母さんが可哀そうだ。
「……話しておいた方がいいと思うんだけど」
流れるような粒子の向こうから妹の声が聞こえる。
「お兄ちゃん、右足を切断したの」
ふっと気づくと、カモメがひらりと飛んできてすぐ傍にとまった。大きな船の甲板の上にわたしはいる。抜けるような青い空を背景に、カモメが輪を描くように飛んでいる。
わたしの中の、もう一人の男の子は天から非常にショッキングなお告げを受けていた。
右足を切断した、とか聞こえた。妹とか言っていた女の子の声だった。
ガゴンドラクスの爪で右足を吹き飛ばされたことを思い出して、思わず自分の足をローブの上から確認する。痛くない。
ちょっとあなた。わたしの中のもう一人のあなた。大丈夫?返事をなさい。
自分に呼びかけてみても返事はない。
いつの間にか王女ユリアはマコトに手を引かれ、タラップを登っていた。
船が出る。
すべてが夢のようにぼんやりと進行していた。
ノーティアの港が離れていく。見送りに来てくれた人たち、カリオン市長、そしてサヤの姿がだんだん小さくなっていく。
わたしは我に帰る。
待って、サヤとお別れの言葉も交わしていない。
サヤに向かって叫ぶ。何度も何度も叫ぶ。手すりから身を乗り出して大きく手を振る。大声で叫ぶ。なのにサヤは気づいていないように、ただ船を、わたしたちを見ている。
流れている音楽が変わった。どこかもの悲しいようで、それでいて綺麗な旋律。海の音楽だ。わたしたちは海上へと出てしまった。
市長や街の人たちが去っていく中、港にひとり佇むサヤの姿がはっきり見えた。その髪は血のような紅色に変わっていた。
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