第14話 黒魔術師サヤの運命(3)
船出の準備のために、武器防具の予備を選び大量の薬を木箱に詰める。飲み水と食糧入りの樽をごろごろと転がして船の中に運び入れる。船室と波止場を何度も行ったり来たりする。船長と航路の打ち合わせをする。忙しくしていると、ユリアが実に気が利くということが分かってきた。
タイミングよくお茶を出す、食事の用意をする。いつの間にかカップや皿が片付いている。出かける時はそっと供をして荷物を持つ。それらをごくさり気なく行うものだから、いつの間にかこちらの態度も王女さまに対するそれではなく、親し気なムードになっていく。
にこやかな笑顔を見せるユリア王女。同じ顔の妹もきっとこんな風に笑ったら、なかなか可愛いというのに。
引きこもり中の妹を思い出す。ユリア王女の外見は妹でも、中身はまるで違うな。おれは生まれてこのかた妹について気が利くなんて一度も思ったことはないぞ。二人しかいないけど末っ子の特権とばかりに甘やかされて当然の顔をしていたし、お菓子を食べたらそのまんまだし、トイレや洗面所は自分が先でないと怒りだすし、一旦怒るといつまでも根に持つし。
目が合うとユリア王女はにっこり微笑んだ。その屈託のない笑顔はやっぱり可愛らしい。
そしてこのゲームをプレイしている妹に思いを馳せる。
あいつ、いつからこんな風に笑わなくなったんだろう。
そして、どうやったらもう一度、優里亜と話すことができるんだろう。
一方、サヤは気分が悪いと言って宿屋に籠っている。
おれは水差しに冷たい水を入れてサヤのお見舞いに行ってみた。すると彼女はベッドに座ったまま耳に手を当てている。
「バトウがまた話しかけてくるの、帰っておいでって。どうしよう、どんどん声が近づいているような気がする」
バトウはサヤが魔王の手先だった頃の上役だ。
「そんな奴の言葉に耳を傾けちゃダメだよ」
「そうね、もちろんよ」
「マコトたちにも相談する?」
「ダメよ」
はっとする程真剣な表情でサヤは言った。「みんなには言わないで」
そう言いつつも、元気がないので心配だ。こういう時、何と言って声をかければいいんだろう。サヤはおれが弱っている時に優しくしてくれたのに。ふと見ると、サヤの髪の鮮やかな青色が紫色に滲んでいる。
――わたしは思わず叫んだ。
「ダメよ、サヤ、戻っちゃダメ、自分をしっかり持って!」
サヤは弱々しく微笑むと、ベッドに潜り頭から毛布を被った。
初めてわたしたちの前に現れた時、サヤの髪の色は血のような紅色だった。
マコトとダイゴとわたしの三人で旅をしてきた時、サヤは一人で近づいてきた。自分は踊り子で旅芸人の一座からはぐれてしまった、モンスターがうようよいて一人で旅するのは怖いので近くの町まで一緒に連れて行ってほしい、と頼んできた。
マコトは当然のようにサヤを仲間にいれて、四人での旅になった。
あの時はまだみんな半人前で、深い森を抜けたり、高い山を越えたりするのにものすごく苦労していた。突進イノシシも鋼角シカもわたしたちにとって難敵だったけれど、それより強敵は狂暴ヒグマ、錆色グリズリーといった熊たち、さらに炎タイガー、雷タイガーといった魔力の高い虎たち。そして滅多に会わないが滅法強い
人里までは遥かに遠く、手持ちの薬も少なくて、みんなで傷ついた身体をいたわり合いながら日が暮れると雨風よけのテントを張って休んだり、火を熾したり、魚を釣ったり、焚き火でスープを作ったり、森の中を迷ったり、山の斜面を滑り落ちたり、そうこうしているうちにサヤの髪の色は赤から紫色、そして青色に変化して、ある時すっかりわたしたちのことを好きになったのだと告白してきた。
「実はわたし、スパイだったの」
わたしたちは前から気づいていた。
サヤは踊り子というには殺意が
「……じゃあ、どうしてそのままにしておいたのよ」
「だってサヤがとても楽しそうだったから」
マコトがそう言ってにっこり笑うと、サヤは大粒の涙をぽとりと落とした。
サヤが生まれ育ったのはアステル島にたった一つある小さな村だった。青い海と白い砂浜、魚を獲るボートが行き交う港にオレンジが実る小高い丘、日干し煉瓦の家が並ぶ風光明媚な島は西の海の果ての観光地としてたいそう人気があったという。でもアステル島のそのような美しい景色をサヤは覚えていないと言った。物心ついた時には、アステル島は魔王の復活により変わり果てた姿になっていた。
復活したばかりの魔王はアステル島の人間たちをモンスターにしようとした。ところが人間の肉体はモンスター化に耐えられず、村人たちは次々に死んでしまい……
「島の人たちは実験台にされたのね。結局残ったのは、わたしとバトウだけ」
バトウはアステル島の片隅の、誰も行かないような崖の下に一人で暮らしていた。島で村八分にされていたという。その理由をバトウは話そうとしなかった。
島の人たちが次々にモンスターの出来損ないとなり、異形と化した挙句死んでいった中で、バトウはたった一人、モンスターとなることで人間以上の能力を得た。
「モンスターにされて喜んでいるのよ、バトウは。信じられない!」サヤは吐き捨てるように言った。
「島の人たちがみんな死んでいった中、わたしはかろうじて生き残った。そう、生き残ったのはわたしとバトウだけ。だけどわたしはモンスターとしては中途半端な出来損ないらしく、能力も低かった。バトウに散々馬鹿にされながら……それでも育ててもらった」
ある時、魔王を倒すために旅をする勇者マコトの存在を知ったバトウはサヤにマコトの暗殺を命じた。
「初めのうちは離れていてもああしろ、こうしろと指令を伝えてきたんだけど、いつの間にかバトウからは何の連絡も無くなった。わたしのことを見捨てたのかもね。わたし、弱いし、魔法だってあんまり上手くないし」
「じゃあ、おれたちと一緒に行こうよ」
マコトは手を差し出した。こういう時のマコトは本当に陽の光のように眩しく笑う。
「おれたち、今伸び盛りじゃないか。一緒に成長していこう」
サヤは手を強く握り返した。
それからずっとサヤはかけがえのない仲間だ。いつも一番先に泣いたり笑ったり怒ったり、わたしたちのムードメーカーだ。一緒にここまで強くなってきたのだ。
そんなサヤと王女ユリアのどちらかを選ばなければならないなんて。
――それに、選ばれなかった方は死んでしまう。
えっ、なに、これ?
なんで知っているんだ、おれ。
高校の教室での記憶の
内村と伊藤が数学で赤点を取ったんだ。
内村はおれと同じ小学校出身で、中学から仲良くなった。内村に映画同好会に引っ張って行かれておれも入部することになった。内村は特に昔のホラー映画が大好きで、よく観せられた。エクソシストとかオーメンとか13日の金曜日とかゾンビとか。百年位前のドラキュラ映画も観せられた。無声映画ってやつ、初めて観た。輪郭の定かでないぼうっとした白い光と粒子の粗い黒々とした闇とゆっくりした動きが、今の血しぶきの一粒一粒までクリアな映画よりも逆に怖かったりして。遅くまで学校に残って、映画観て、いっぱい喋ったなあ。
高校に進級して、おれは同好会を辞めたんだ。理由は、やっぱり勉強が忙しくなってきたから。塾に行かないと授業に追い付けなくなるかなっていう不安があった。結構同好会の雰囲気が好きだったので辞めるのは残念だったし、内村にも「幽霊部員でもいいじゃん」と引き留められたのだけど、なんというか、中途半端は嫌だったのでおれなりのけじめをつけたつもりだった。それでも内村とは小学校からの付き合いだから、ずっと友だちだと思っていたんだ。四月のクラス替えで内村と同じクラスになっておれは喜んでいた。内村だって嬉しそうだった。
おれ、相沢と内村の出席番号の席順の間には、伊藤がいた。
自然とおれたちは三人でつるむようになって、内村は伊藤を映画同好会に引っ張っていった。
その日は朝から雨で、昼間なのに教室のライトが点いていた。
内村と伊藤はテレビゲームの新作の話をしていた。
勇者に魔法にモンスター、昔ながらのよくあるファンタジー系RPGのゲームの話をしているなあと思って聞いていた。レトロな感じが受けて結構人気があるらしく、本屋で見たゲーム雑誌で表紙を飾っていたからおれでもそのタイトルは知っている。二人の話だと、なんでも後半に重要な分岐点があるのだという。
「あれ、エグいよな。おまえ、どっち選んだ?」
「選ぶ方に性癖出るよな」
「だって選ばれなかった方は死んじゃうんだろ?」
「絶対殺される仕様なんだって。どこをどうしてもさ。で、おまえどっち選んだんだ?」
「そりゃあ、姫の方だよ。だっておれ、キャラメイクにすっごい時間かけてエマ様そっくりにしたんだぜ」
「おまえ、年上好きだよな」
「悪いか、ハリポタからずっと好きなんだよ。美女と野獣は百回観たよ。そういうおまえはどっち選んだんだ?」
「おいおい、おまえらずっとゲームやってたのかよ」おれが口を挟む。「だから赤点取るんだよ」
たちまち空気がひんやりする。
あれ
なんで二人とも嫌な顔するの?
だって今まではこれで笑ってたじゃないか。おれは嫌味なキャラってことで、こういうことを言えばみんなで「嫌な奴~」とか言って笑い飛ばしていたじゃないか。
昼間でも薄暗い教室にライトが白々と光っていた。
なんだか不愉快なことまで思い出してしまったが、あの時二人が話していたのは、間違いなく妹がプレイしているこのゲームのことだ。そして肝心な情報は「選ばれなかった方は死ぬ」だ。
そんな。
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